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家の存続

いよいよ花粉シーズン到来です。去年はとことん苦しんだので、今年は悪くなる前から薬を飲み続けました。今はそのおかげがなんとかかんとか持ちこたえています。2月は妻がおたふくで最近まで体調を崩し、娘が溶連菌に感染しておととい、昨日と原因がわからず、夜間救急にも行き、今日の週明けでかかりつけの小児科医の判断でようやく落ち着きました。皆さんも一番体調を崩しやすい時期なのでお気をつけください。

病院に行く道すがら、戦国末期に北条氏討伐の遅参で豊臣秀吉の怒りをかい、何百年と続いたお家が改易となり廃城になった場所を通り過ぎました。豊臣秀吉はもとは農民の身分です。そこから織田家の足軽になり大名までのぼりつめました。戦国時代は沢山の大名が国を統治していたがほとんどが歴史ある名家だったはず。何代もその土地に根差し守ってきた歴史は想像以上の誇りとプライドをもって家がなりたっていたのではなかったか。それが天下統一に名乗りをあげた何も先祖の歴史やプライドを持たない豊臣秀吉の思いひとつでお家が断絶してしまうのなんて、どれだけくやしかっただろうか。

確かにだれかが天下布武の名のもと、武力で無理やり新しい国の秩序をつくらなければ治まらない時代ではありましたが、たくさんの家の長く続いた伝統が亡くなってしまったことはなんだか無常を感じてしまいます。そういえば私のご先祖様もその時代、戦に敗れて故郷をはなれ、山奥の静かな土地へとたどり着きました。お家再興とかのレベルではなく、とにかくそこで江戸時代の数百年、田畑を耕してきたわけです。やはり悔しかったのだろうか。もう今となってはその思いが時代の中に深くうまってしまって知る由がありません。

戦国時代の最後を演出した豊臣家も江戸時代の初期、大阪冬の陣、夏の陣にて滅んでしまいました。滅ぼした徳川家も明治の時代の幕開けで歴史の表舞台から姿を消し・・・。

日本の歴史と同じ伝統をもつ天皇家も歴史上、武家の台頭により苦境にたたされた時代もありました。しかし、その血筋の正当性が途切れることがなかったのは日本という国の最高の神官だったからです。自らの家の存続のみを考え歴史を紡いだ武家などの家柄とは違います。あくまでも国の平和と安泰、そして国民の幸せを一番に思う姿勢がけっして途切れさせてはいけない加護力を生み出すことにつながってきたのです。

そう思うと私たちも家の存続、子孫の繁栄を考えるならば、国を思い、この国のともがらを大切にすることが一番のその方法だと思うのです。

私見ではありますが、帰途の車の運転中にそんなことが心に巡りました。



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本当の喜び

今日、法事の席で経営コンサルタントの仕事をしている人とお話しをする機会がありました。その方は日本の大企業の社長さんと多くお話しする機会がるみたいで、それらの方々に共通しているのが自分がやらなくてはという使命感が衰えてないとのことでした。同じ会社役員でもただ自分の保身の為に職務をこなしている人は定年退職後に身体を壊し、70歳そこそこでこの世を去る人が多いとのこと。しかし、終身で職務をこなす覚悟がある方は、年齢のわりには衰え知らずでその熱意に驚かされるそうです。

人は誰かの、何かの役にたっているのだということで元気がでます。自分の為だけではなかなか気力がでないのです。「喜び」もこのことに付随するみたいで、持続性のある「喜び」は家や車などを買った「喜び」にはなく、何かの役に立ち続けられる「喜び」こそが長時間、自らの心を満たしてくれるそうです。

お金の価値観も、多くのお金を所持できることと「喜び」が必ずしも比例していきません。もしお金で満足を得ようとするならば、社会の為に、より多くの人の為に自分が何ができるかを考えるべきだといいます。しかしそれは財をなげうってすべて寄付しなくてはということではないのです。あくまでも、自らの生活の安定、その為のお金と社会的貢献に自分の人生が役に立っているという満足感が必要です。

その方の話では会社の小売のディーラーでいつも業績一位をとる理由が、その地域の為に清掃などのボランティア行為を積極的に行うことから地域に守られるからだと述べていました。そうすると周りがその会社の存在をみとめ、なおかつ地域になくてはならないという思いをいだくからです。
「自分達があの会社を守らなくては」
多少、安さが違っても信頼から応援したくなってしまう。それがお金からではない人の「喜び」がなせるわざです。

これからの時代は今までの資本中心の社会から脱皮を図って本当の「喜び」に第一の価値観を置く時代になっていくでしょう。この時代の過度期に自分がどれだけそのことを見届けられ、また貢献できるかが楽しみでなりません。
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社会の常識から

学生時代、不思議な体験をしたことが多くありました。ここでは具体的に述べることをしませんが、まだ心が柔らかい頃だったからこその経験だったのかもしれません。信仰は入りたては見るもの聞くものすべてが新しくて新鮮に感じます。そこで体験する神仏とのつながりが今の何倍もの感動を心にもたらしました。

例えばお参りに行く神社や仏閣。行く前から神仏の霊的なエネルギーを感じ、いろいろなお試しをうけます。ただ参拝するだけなのに、まるで何日も修行に入っているような感覚です。そして無事、お参りを終えられるとなんとも言いようのないような安堵感がえられます。霊的なことなので目にはみえませんが、大きく自分の中の霊性は大きく変化していくのです。

私は社会人ではなかったので、大学で学びながらそのような世界のことばかりに気持ちを向けていました。今、○○の神様と強い縁ができてお世話になるようになったとか、呼ばれているからと遠くの霊場によくお参りにいったものです。

良くなったか悪くなったかはわかりませんが、社会に出てから自然と見えない世界のことばかりに重点を置く生活はやめました。お葬式や法事などのお勤めをしているのだから見えない世界と今でも強く結びついているではないかと思われるかもしれません。しかし必要以上に気にすることはしなくなったのです。

頼らないのではなく、信仰を熱心にしてないわけでもないのですが、「いいかなー」とも思うようになったのです。ほとんど社会は確実に見えるもので取引がなりたっています。そうするとなんだか見えないものに価値をつけることはあまり一般的ではないように思えてくるのです。そこから世間の大多数の基準が常識であるのだと私のような職業は覚悟しなくてはなりません。こちら側の基準を無理やり通すのはいかがなものかと。

つまり、当たり前でなく感謝の姿勢が宗教者にも求められるのではないでしょうか。へこへこすべきだと言っているのではないのです。神仏の名を逆手にとって勘違いしてはいけないと言いたいのです。もともと仏教の開祖のお釈迦様は法を説き、人々を救われたのであって、救われた人の感謝の布施は「どうかお使いください」の真心の証でした。日本の仏教界に今、一番必要なのはこの姿勢です。陰口を言われてはダメなのです。

私もえらそうなことを言える立場ではありません。しかしこのことを忘れるようであってはいずれは自分の身を滅ぼすことになるでしょう。
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魂を燃やす

見えない何かに縛られて私達は生きています。まるですべてがはじめから決められていたように、選択肢だけをのこして。自分で生きているようでそうでない。本当はもっと「あーしたい」「こーしたい」とやりたいことが沢山あったのに。

私はよく理不尽な運命に翻弄された時にこう考えます。
「生まれる前から、こういう試練にあうことは自分で決めてきていた。この今を乗り越えることが自分にとって一番の魂の修行である」

この世に生まれてくることはありきたりでさほど何もないような人生では意味がないのです。ギリギリのところでもがき苦しみ、なんとか指一本でも諦めずにかけて岩場を登っていくのが人生です。下が谷底だから本気になります。落ちても安全だとわかっていたら本当の意味で必死になれませんから。

しかし、こう思うのです。もしかしたら、必死になって登っていき、自分の身体をささえられず谷底にまっさかさまに滑り落ちたとしても何もかもが終わりになるのではないのではないかと。意外に終わったと思って悲嘆にくれようともそこは想像したよりも普通の場所ではないのかと。そしてそのような場所からまた登っていこうとしても、神仏や先祖は変わらず温かく見守ってくれているのではないかと。

一番の罪はそのようなある意味きめられた人生に生きる意味を見出さずに諦めてしまうことかもしれません。
「どうせがんばっても無理」
いくらケツをたたこうが手を引っ張ろうが頑張るだけ無駄と魂を燃やさないことだと思います。神仏は見ています。どんな場面でもいつも変わらず応援してくださっています。苦しみながらそれでもがんばって這い上がろうとしている子ほど親は愛おしいものです。
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奇跡の出会い

いくら血がつながっていてもだいぶ離れて親戚であればほとんど面識がなくなってしまいます。私の苗字は戦国時代に活躍した武将と同じですが400年以上たっています。そこで日本同じ血を受け継ぐ人を25歳位での単位で換算すると13万1072人になりました。当時の日本の人口が1800万人。約137人に1人が私のご先祖様だというとになります。結構な割合です。

先祖の中には早世した方もいれば、長生きした方もいます。辛いことづくめの生涯の方もいれば、恵まれた環境で幸せな生涯をおくった方も。日本全土に散らばって生涯を全うした魂の一番先端に私達がいるのです。意外に世間は狭いなーと思うことがありませんか。
私は山の手線に乗っていて中学時代の先輩に偶然会いました。彼が次の駅で降りるほんの数分です。私は地方出身であるから結構な確率です。小田急線沿いに住んでいたのですが同じ駅周辺にまた一つ上の先輩、二人が住んでいました。一人は私の家の前の幼馴染。駅で偶然会いました。もう一人は工事の旗振りを私のアパートの近くでしているので偶然気付いたのです。
しつこいようですが、私の小学校と中学校の全校生徒は100人くらいです。そのわずかな人数であっても偶然人混みの中で出会います。究極は渋谷のデパートの前で親戚と偶然会いました。多くの人がすれ違うわずかな間の視線で分かったのです。

もしかしたら気付かないだけで同じような接近は多く起こっているのかもしれません。それが自分と同じ先祖の血をひいた人なんていうことはお互いが知らなくても霊的には感じ合っているのかも。

先祖の縁もさることながら、自分の前世の縁もそこに組み込まれていきます。前世にお世話になった人。前世で家族だった人。前世でとても親しかった人。そう考えると結論はこうです。

「出会う人、すべてが自分の親戚」

どうしても会いたくて、恩返しがしたくて、力になりたくてようやく私達は今世で会いま見えることができました。魂は本心では奇跡だと自覚しているのかも。その割にはたいしてありがたいと思っていない自分。記憶や霊的つながりの自覚を一度リセットしてこの世に降りてきているので仕方ありません。この世の行を終えた時にはじめてそれがどれだけのものだったのかを私達は思い知らされるのです。
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