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最近お腹がすいて仕方ありません。とにかく食べたい、美味しいものでもそうでなくても。

ひと昔まえの脳内診断みたいなので頭の中は全部「食」になっていました。がめついというか本能で生きているというか。
どうも私はどちらかというと食いしん坊みたいです。

四人兄弟の上から二番目である私は子供の頃から兄弟とおかずの取り合いをしてきました。とにかく美味しいものを自分の満足するだけ、お腹いっぱいに食べたい。
兄はやはり年上なので結局なんでも二番手に甘んじてきました。くやしいけれどおかずもいつも兄に横取りされていたような気がします。

何かのテレビ番組で犬の体格、強さ、恰好よさを競う外国のある家族に密着したものを放映していました。確かタレントの照英だったと思います。そこのボス犬がとても恰好よくてどうどうとしていて照英さんが自分になつかせようと必死に頑張るという内容です。当初は群れのナンバー2と仲良くなる企画だったのですが変更してそうなりました。

その飼い主がボスになる犬の特性として餌を堂々と子供の頃から食べることだと述べていました。確かに子犬でも自分の分だけ隠れて食べているものもいればボス犬の子供は他の子犬とくらべて偉そうに堂々と食べています。

私は自分の食べ方を見てこれはボスになる器ではないとここでも悟りました。どこかしら食に関してはがめつく、一人で満足しようとします。

嫁にいうと欲張りだけど普通の欲張りだと言ってくれました。お坊さんだからその普通が欠点になってしまうと。
確かに喜んで納得していいのか、そうでないのか迷うところです。

ただ言えることはその欲望がとても小さい範囲にとどまっていることです。本能なので理論的に構築して何かを達成しようとする欲望にはならないみたいです。

つまらない話をしてしまいました。
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乾燥の季節

最近、ブレスケアースプレーとかサンスターののど殺菌スプレーにはまっています。
今は空気が乾燥していて風邪やインフルエンザが蔓延しています。自分自身の体調管理には極力気を付けたいものです。
うがい、手洗いはもちろんのこと、寝不足や疲れによる免疫力低下にも気をつかわなくてはなりません。

経験上、まずのどが乾燥してからなんだか体調が悪くなっていくようなのでいちいちうがいする暇のない時は携帯したスプレーをシュッと喉にふきかけます。また飴をなめたり、水分を補給して原因菌を胃袋んびながしこんでしまえば安心です。

仕事上、どうしても法事や葬儀をお勤めできないのは避けなければなりません。気合いをいれて頑張ります。


でもよく言うことですが風邪をひくことは悪いことばかりではないみたいです。熱によって体内の風邪菌を死滅させるわけですから寝込むことはまるで台風一過の青空のように回復した時に何かが変わります。

このままではいけないよ。一回クールダウンしよう。

という自分の心身の訴えなのかもしれません。

ちなみに娘はインフルエンザでしばらく学校はお休みです。今まで一回も休んでこなかったのに少しかわいそうな気がします。

目標、学校は休まない。

と紙に書いて大きく貼ってあったので本人も悔しいでしょうが仕方ありません。

人間、身体が資本です。風邪をひこうがインフルエンザになろうが治ればいいのです。体調が悪い時はしっかりと休むことも大切だと思います。
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頑固

今年の冬は本当に寒いです。私は毎年腰のあたりにホッカイロをよく貼るのですが今年は貼らないと決めています。寒い冬におかしな話ですが走り込んでいるので体温が例年よりも熱くなっていると勝手に思い込んでいるのです。
実際、夏場は身体が熱くて上半身裸で家では過ごしていました。子供の頃からの寒がりは変わらないのにどうしてもそこの部分は譲れなくなっています。

鑑定士の方に観てもらっても私は相当頑固みたいです。自分でこう決めてことはなかなか曲げようとしません。融通がきかないと言った方が早いでしょう。

時々こう思うのです。窮屈だなー。言ってしまった手前、なかなか曲げれないし。面倒くさい。

もしここの部分をうまくやりくり出来たらもっと人生楽に生きられるのに。この性格、なんとかならないかなー。

私にかぎらず、人間皆頑固な部分をもっています。それが個性なのだから仕方ありません。
いつまでたっても子供みたいな自分には飽き飽きしますがいい年の取り方をしたいものです。

私の下の世代がどんどんと増えてきました。若いとは羨ましい、そう感じます。
だけれどもこの年になったからこそ見えてくる景色があると思います。頑固を貫き通してどこまでいけるか。

自分を信じていこうと思います。
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負けてたまるか

私が見ている世界は現実です。しかしよく映画や漫画のオチであるようにすべて夢だったみたいに最後はなるのかもしれません。

そもそも般若心経に説かれているように最初から増えもしない減りもしない。見えているものはすべて空でその意味では無から始まり無で終わっているのである。私達が五感で感じることは本来はすべてまやかしにすぎず、その先にある真理を突き詰めなくてはいけない。

ならば何故私達はこうしてこの世で生きているのでしょう。まるで星の瞬きのように宇宙時間からするとその生は一瞬です。その瞬間に凝縮されたこの人生。

生きるということは死へと向かうものです。しかし死がないのであればなんのために生きるのかとかえって思ってしまうのでしょう。
永遠の命を与えられた人は最後に望むものは死に違いありません。


最近、私はおじさんと言われることが増えました。今日もあるお宅に行って二歳くらいのお孫さんにおばあさんにあたる人が

「ほら。おじさんにその書いたやつみせてやりな」

ん~。確かにもうお兄さんの年齢ではないですがやはりおじさんと言われて気持ちいいものではありません。
抵抗したい。年齢に。しかし現実は着実に年をとっていっているのです。

30代はもっと顔が白くてきれいだったのに今は一年中、どこかしら黒っぽくなっている。シミもあるし・・・。


あの世に行けば一番元気だった頃の自分に戻れるそうです。
この世の中は仮の世界です。そう考えると私の老いも本当はあってないようなものなのかもしれません。

子供もまだ小さいのに老け込んでいられません。
さあ、帰って休もうと思います。
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ポイントを開く

今日感じたことはこんなことです。

人の思考をある意味操作するのはポイントというか点というか。きっかけと言った方がいいだろうか。そんなものが生きる上で大きく関わってきているように感じます。

それはマトリックスという映画であった存在する世界を一変にトリップしてしまう電話のように。たったそのポイントにたどり着くかしないかで大きく変わってしまうのです。

私達も生きているうえでいくつものポイントが存在していると思います。ただそれが気付かないだけで今もいくらでも意識を変えるスイッチはちらばっています。
ただ本人の状態がそのスイッチを見つけ出せるかどうかです。

今日、車を運転していて何気なく前の車の交通安全のステッカーを観ました。そこには出羽三山と書かれていました。私の意識はそのステッカーから山形の出羽三山の霊気に触れます。そして今までお参りさせてもらった経験の映像が走馬燈のように流れてどこか疲れていた心身に再びエネルギーが注ぎ込まれるのです。

これは不思議で出羽三山の目の前にいても感じない時は感じません。空間と時間は関係ないのです。たった目に写ったその名前の文字のみで私のスイッチがオンになったと言えます。

面白くありませんか。皆、何かをつかもうとして右往左往して時間と労力を費やしています。しかし必要なのは新しい世界にたどりつくその入り口のポイントだけなのです。ただやみくもにさまようばかりが努力ではないということです。お参りや信仰も同じです。

ポイント、点を経由して線をつなぎ次なる点から再び次の点へ。

生き方を賢くするのならそれが近道かもしれません。
要領がよく生きることではありません。感性を研ぎ澄まして入口を察知することです。

今日は頭の中でそんなことが湧いてきました。もっと文章にしたいのですが遅いので帰ります。
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