一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
思い出ころころ
私が中学生の時は洋楽がちょっとしたブームでした。マドンナ、シンディー・ローパー、マイケル・ジャクソン、デュラン・デュラン、カルチャークラブ、A~ha。家での勉強は音楽を聴きながら出なければ、集中できなかったので随分と凝って聞いたものです。
高校受験シーズンの大晦日。私は猛勉強をしていたのですが、なんと日本のテレビにマドンナとA~haが生出演するではありませんか。もう楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。母に家に二台あるテレビの子供部屋の一台はその時間だけだ自分に見せてと頼んでおきました。家には沢山の親戚の子供たちもいたので少し我慢してもらうことにもなるのですが。
ようやく、その時間がきて勉強をきりあげてテレビの前に陣取りました。皆、紅白歌合戦を子供も大人も見ているので親戚の子供にむこうで見てくれと頼みました。その中でぐずる子供がいて「いやだ、いやだ」とごねはじめました。その時、父はそれを聞きつけ理由を私からあまり聞きもせず私を罵倒しました。
「お前は勉強ばかりしていたって、そんな自分勝手でどうするんだ」
私もほんの少しの時間見せてもらいたいだけだったし、今までテレビをほとんど観ずに頑張って勉強してきたのにそこまで言われる筋合いはないと思い、反抗しました。しかし、父はいっさい私の言い分は聞き入れてくれませんでした。
私はなんで両方のテレビで同じ番組を見て、みんなで少しくらい我慢してくれたってと思い、悔しいやら納得いかないやらで半べそかきながら再び部屋に戻りました。
父が亡くなる数か月前に家族で昔話をしている時に母から、あの時のお前があんまりにもかわいそうだったと急に話し出しました。
「お父さん、まるっきり話を聞きもしないで怒るから」
私はそういえばと懐かしくなったのですが、父はそんなことあったっけとまるっきり忘れていました。
最後に深く沢山の話をしたあの日。何度も実家に帰っていても兄弟もいるのでそうはゆっくりと両親とは話せませんでした。今となればあの時、これが最後の父との語らいと覚悟をきめてました。もちろん、こんなちょっとした確執も思春期ならではのいい思い出です。
高校受験シーズンの大晦日。私は猛勉強をしていたのですが、なんと日本のテレビにマドンナとA~haが生出演するではありませんか。もう楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。母に家に二台あるテレビの子供部屋の一台はその時間だけだ自分に見せてと頼んでおきました。家には沢山の親戚の子供たちもいたので少し我慢してもらうことにもなるのですが。
ようやく、その時間がきて勉強をきりあげてテレビの前に陣取りました。皆、紅白歌合戦を子供も大人も見ているので親戚の子供にむこうで見てくれと頼みました。その中でぐずる子供がいて「いやだ、いやだ」とごねはじめました。その時、父はそれを聞きつけ理由を私からあまり聞きもせず私を罵倒しました。
「お前は勉強ばかりしていたって、そんな自分勝手でどうするんだ」
私もほんの少しの時間見せてもらいたいだけだったし、今までテレビをほとんど観ずに頑張って勉強してきたのにそこまで言われる筋合いはないと思い、反抗しました。しかし、父はいっさい私の言い分は聞き入れてくれませんでした。
私はなんで両方のテレビで同じ番組を見て、みんなで少しくらい我慢してくれたってと思い、悔しいやら納得いかないやらで半べそかきながら再び部屋に戻りました。
父が亡くなる数か月前に家族で昔話をしている時に母から、あの時のお前があんまりにもかわいそうだったと急に話し出しました。
「お父さん、まるっきり話を聞きもしないで怒るから」
私はそういえばと懐かしくなったのですが、父はそんなことあったっけとまるっきり忘れていました。
最後に深く沢山の話をしたあの日。何度も実家に帰っていても兄弟もいるのでそうはゆっくりと両親とは話せませんでした。今となればあの時、これが最後の父との語らいと覚悟をきめてました。もちろん、こんなちょっとした確執も思春期ならではのいい思い出です。
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終わりのない旅
私は昔の写真、江戸の後期から明治、大正、昭和のものを見るのが好きです。映像があればそれについ見入ってしまいます。
私が生まれる何十年も前の写真や映像。そこには今を生きる私達と同じように人間社会がありドラマがあり、人々が泣いたり、笑ったりしていたわけです。しかし、その頃この世に生きていた人はもうこの世には存在していません。でも存在の事実は写真や映像でしっかりと残っています。
にやりと笑う農民。武士として眼光するどく見つめる眼差し。若き芸子の麗しき姿。小さな子供のくったくのない笑顔。
いったいもうどこにもその方々は本当にいないのでしょうか。いや、思い=魂は残っています。この世で経験したすべてを記憶された魂。またDNAとして私達、子孫の肉体にも生きた証が記憶され受け継がれてもいます。
この世の生を終えることはすべてが無になり、生きた証も無くなることではないのです。そうです。私達は無駄死にする人など一人もいない。今までもこれからも続く営みの役割を全員が担う、神仏の子であり手足なのです。
いつか神仏と本当に一体となるため、その営みに終わりはありません。何度も生まれ変わりさまざまなドラマを生み出し再び、あの世に戻る。いつかもうこの世に降りてくる必要がなくなったとしてもすべての魂がそうなるまでは永遠に止まることはないのです。
私が生まれる何十年も前の写真や映像。そこには今を生きる私達と同じように人間社会がありドラマがあり、人々が泣いたり、笑ったりしていたわけです。しかし、その頃この世に生きていた人はもうこの世には存在していません。でも存在の事実は写真や映像でしっかりと残っています。
にやりと笑う農民。武士として眼光するどく見つめる眼差し。若き芸子の麗しき姿。小さな子供のくったくのない笑顔。
いったいもうどこにもその方々は本当にいないのでしょうか。いや、思い=魂は残っています。この世で経験したすべてを記憶された魂。またDNAとして私達、子孫の肉体にも生きた証が記憶され受け継がれてもいます。
この世の生を終えることはすべてが無になり、生きた証も無くなることではないのです。そうです。私達は無駄死にする人など一人もいない。今までもこれからも続く営みの役割を全員が担う、神仏の子であり手足なのです。
いつか神仏と本当に一体となるため、その営みに終わりはありません。何度も生まれ変わりさまざまなドラマを生み出し再び、あの世に戻る。いつかもうこの世に降りてくる必要がなくなったとしてもすべての魂がそうなるまでは永遠に止まることはないのです。
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本当の魅力
先ほど、私がお世話になっている方の家にお邪魔をしてお話した時にはっと思うことがありました。
先述したようにもしあの時今の自分ならの話です。
「今の年齢になって落ち着いて誰とでも話せる自分になったし、高校生の頃こんな風ならもっと女の子にもモテて理想の恋愛が出来たと思うのですよ」
そう言う私に
「いや、ぜんぜんいい男ではないわ。自分が出来てないと思って努力をするから魅力だ出てくるのであって、そんな思いのない人間には良さは感じないはずよ」
確かにその通りだ。さすがにいろいろな苦しみを乗り越えているだけあって説得力があります。彼女は前にもお話しした全身癌で、娘さんを若くして亡くし、旦那さんも数年前に他界されています。
「若い頃、いい男は年をとってから侮男になるものよ。反対に若い頃あまりいい男でなくても、年齢を重ねてとても魅力的になっていく人はたくさんいるのよ年をとっても色気がなくなってはダメよ。色気とは生命力。いつまでも心がときめいていなくては」
「聞いたことがあります。世界一長寿だった人に長生きの秘訣は何かと聞いたら、女だと答えたってことを」
そういえば私はブログのタイトルに本当を付ける傾向があるみたいです。本当のことなんてなかなか知れないのが本当の自分かもしれません。
先述したようにもしあの時今の自分ならの話です。
「今の年齢になって落ち着いて誰とでも話せる自分になったし、高校生の頃こんな風ならもっと女の子にもモテて理想の恋愛が出来たと思うのですよ」
そう言う私に
「いや、ぜんぜんいい男ではないわ。自分が出来てないと思って努力をするから魅力だ出てくるのであって、そんな思いのない人間には良さは感じないはずよ」
確かにその通りだ。さすがにいろいろな苦しみを乗り越えているだけあって説得力があります。彼女は前にもお話しした全身癌で、娘さんを若くして亡くし、旦那さんも数年前に他界されています。
「若い頃、いい男は年をとってから侮男になるものよ。反対に若い頃あまりいい男でなくても、年齢を重ねてとても魅力的になっていく人はたくさんいるのよ年をとっても色気がなくなってはダメよ。色気とは生命力。いつまでも心がときめいていなくては」
「聞いたことがあります。世界一長寿だった人に長生きの秘訣は何かと聞いたら、女だと答えたってことを」
そういえば私はブログのタイトルに本当を付ける傾向があるみたいです。本当のことなんてなかなか知れないのが本当の自分かもしれません。
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ルーティーンと努力
最近、ラグビーの五郎丸選手や初場所優勝した琴奨菊関の話題の中でルーティーンという言葉が頻繁に耳にします。
スポーツ選手とかが自分の実力を最大限に発揮する為に決められた動作を繰り返し望むことによって集中力を高めることを言います。
確かに、他からみたらなんで同じ動作を繰り返すのかと見えることでも本人にとっては大切な意味があるみたいです。イチロー選手もバッターボックスに入る前、そして構える前といつも同じ動作を繰り返しているのは前から気になっていました。
私にとってのルーティーンは何だろうかと考えてみました。まず朝起きたら、トイレに入り顔を洗って歯磨きをして着替えます。水を一杯飲み、走って神社へ向かい街を抜けて一周して約5キロのジョギング。家に戻ってお風呂で水行してから神棚と仏壇、お不動様にお参りをしてから朝食をとって出勤。この間、朝日の出る時間帯で太陽に二礼二拍手。以上がほぼ毎日繰り返す朝のルーティーンです。
日中は仕事に準じて行動をし、帰宅してからは夕食、録画した朝ドラを観て娘をお風呂に入れる。出てから娘の髪を乾かし、歯磨きをして絵本を読んであげる。寝かしつけてからトイレに入り、歯磨きをして神棚と仏壇、お不動様に手を合わせて就寝(チベット体操を一応さぼるときもありますがなるべくしてから)。
特に朝は決められた行動をしなくては気持ち悪くてなりません。今の時期は寒いので走りはじめが身体にこたえます。だんだん温まってくればそうでもないのですが、精神を鍛えるとしたらその時かもしれません。
そういえば今思うと16年もよく毎朝滝に打たれてきたと思います。家のお風呂とはわけが違い身体にけっこうこたえるからです。どうして続けられたかたいうと仏様のそばで大声を出してきつい行をしていることが楽しくて仕方なかったからです。今はそれが走ることに代わりました。
走るのも何日かさぼると元に戻すのに時間がかかります。それなのでいつも実力を最大限に発揮しようとするスポーツ選手はルーティーンができるようになるまでが本当に努力、努力の繰り返しなのでしょう。
はじめにルーティーンからではなく、努力あってのルーティーンだと思います。
スポーツ選手とかが自分の実力を最大限に発揮する為に決められた動作を繰り返し望むことによって集中力を高めることを言います。
確かに、他からみたらなんで同じ動作を繰り返すのかと見えることでも本人にとっては大切な意味があるみたいです。イチロー選手もバッターボックスに入る前、そして構える前といつも同じ動作を繰り返しているのは前から気になっていました。
私にとってのルーティーンは何だろうかと考えてみました。まず朝起きたら、トイレに入り顔を洗って歯磨きをして着替えます。水を一杯飲み、走って神社へ向かい街を抜けて一周して約5キロのジョギング。家に戻ってお風呂で水行してから神棚と仏壇、お不動様にお参りをしてから朝食をとって出勤。この間、朝日の出る時間帯で太陽に二礼二拍手。以上がほぼ毎日繰り返す朝のルーティーンです。
日中は仕事に準じて行動をし、帰宅してからは夕食、録画した朝ドラを観て娘をお風呂に入れる。出てから娘の髪を乾かし、歯磨きをして絵本を読んであげる。寝かしつけてからトイレに入り、歯磨きをして神棚と仏壇、お不動様に手を合わせて就寝(チベット体操を一応さぼるときもありますがなるべくしてから)。
特に朝は決められた行動をしなくては気持ち悪くてなりません。今の時期は寒いので走りはじめが身体にこたえます。だんだん温まってくればそうでもないのですが、精神を鍛えるとしたらその時かもしれません。
そういえば今思うと16年もよく毎朝滝に打たれてきたと思います。家のお風呂とはわけが違い身体にけっこうこたえるからです。どうして続けられたかたいうと仏様のそばで大声を出してきつい行をしていることが楽しくて仕方なかったからです。今はそれが走ることに代わりました。
走るのも何日かさぼると元に戻すのに時間がかかります。それなのでいつも実力を最大限に発揮しようとするスポーツ選手はルーティーンができるようになるまでが本当に努力、努力の繰り返しなのでしょう。
はじめにルーティーンからではなく、努力あってのルーティーンだと思います。
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魂の存在価値
生きる。それは時として幸せであり、苦しみであり、そして喜び、悲しみでもあります。
私達は多くのことに今まで出会い、そして育み、学び、修練してきました。ただ何もしてこなかったわけではないのです。だからといってすべてが自発的でもない。何か、今の時代の大きな流れに飲み込まれながら、そこで自分であることを迫られ、なんとか形にすることを選んできました。
一人では何もできません。生まれた時はもちろんのこと成人して自立できるまでは親の世話になり、学校ではいろいろな先生、先輩方に学び、社会にでてからはそこで周りのサポートを得ながら仕事を自分のものにしていく。
一人で生きるのは不安なので、友人、恋人の存在の助けをプライベートではおおいにかりて、時期がくればパートナーをみつけ一緒になります。もちろん、すべての人が結婚の道を選ぶことはないのですが一人で孤独に毎日を生きている人でも、だれかしらの心に寄り添おうとしているはずです。
毎日に追われ気付けば、それなりの年齢に到達する。メディアに出ている主流の俳優やスポーツ選手の年齢が自分と大分離れてきたのに多少の違和感を覚え、肉体的にも若い頃のようにはいかない自分自身に気付き始めます。そのころから、急にサプリメントなどの健康志向にはしり、自分の身体が少しでも長くもつことを願うのです。これは20代の頃にはけっしてない感覚。
私はまだその過程なのでわかりませんが、還暦近くなるとだんだんと死に対しても用心をしだすのではないでしょうか。周りも何かしらの病気をするようにもなり、あまり無理のない老後を迎えたいなんて思うはずです。しかし、現実年金だけでは心もとないのでなるべく何かしらの仕事に励んで、そののち少しは楽しみを持てる時間をつくろうかとおもっていたら、人生もう終わりが近くなっていたと。
意外にこんな風に自分ではあまり想像できなかった死が現実としてやってくる。もちろん、人の運命にはそれを待たずして終焉を迎える人もいます。ただ若いことには無念がありますが、あの世の価値観になじめばそれ程悔やむことでもなくなるのかもしれません。この世の時間はあの世ではあまりあてにならないからです。
生きることへの思い。今を生きる私達の思い、それこそが現実です。人生の過程はその思いの前では時間を超越してしまうのです。
現在、過去、未来、三世を貫く思い。それこそが私達の唯一の存在価値なのです。
私達は多くのことに今まで出会い、そして育み、学び、修練してきました。ただ何もしてこなかったわけではないのです。だからといってすべてが自発的でもない。何か、今の時代の大きな流れに飲み込まれながら、そこで自分であることを迫られ、なんとか形にすることを選んできました。
一人では何もできません。生まれた時はもちろんのこと成人して自立できるまでは親の世話になり、学校ではいろいろな先生、先輩方に学び、社会にでてからはそこで周りのサポートを得ながら仕事を自分のものにしていく。
一人で生きるのは不安なので、友人、恋人の存在の助けをプライベートではおおいにかりて、時期がくればパートナーをみつけ一緒になります。もちろん、すべての人が結婚の道を選ぶことはないのですが一人で孤独に毎日を生きている人でも、だれかしらの心に寄り添おうとしているはずです。
毎日に追われ気付けば、それなりの年齢に到達する。メディアに出ている主流の俳優やスポーツ選手の年齢が自分と大分離れてきたのに多少の違和感を覚え、肉体的にも若い頃のようにはいかない自分自身に気付き始めます。そのころから、急にサプリメントなどの健康志向にはしり、自分の身体が少しでも長くもつことを願うのです。これは20代の頃にはけっしてない感覚。
私はまだその過程なのでわかりませんが、還暦近くなるとだんだんと死に対しても用心をしだすのではないでしょうか。周りも何かしらの病気をするようにもなり、あまり無理のない老後を迎えたいなんて思うはずです。しかし、現実年金だけでは心もとないのでなるべく何かしらの仕事に励んで、そののち少しは楽しみを持てる時間をつくろうかとおもっていたら、人生もう終わりが近くなっていたと。
意外にこんな風に自分ではあまり想像できなかった死が現実としてやってくる。もちろん、人の運命にはそれを待たずして終焉を迎える人もいます。ただ若いことには無念がありますが、あの世の価値観になじめばそれ程悔やむことでもなくなるのかもしれません。この世の時間はあの世ではあまりあてにならないからです。
生きることへの思い。今を生きる私達の思い、それこそが現実です。人生の過程はその思いの前では時間を超越してしまうのです。
現在、過去、未来、三世を貫く思い。それこそが私達の唯一の存在価値なのです。
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