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良いお年を

今年がもうすぐ終わろうとしています。

私が今年一年で感じたことは「変革」です。

今までの自分を捨てて新しい自分になる。やはり変革の年には精神的にも肉体的にもいろいろと問題が出てきます。
しかしそれを乗り越えることによって竹のふしができるようにもっと成長できる力を手に入れることが出来るのです。

今年あったことも数年後には懐かしい思い出になります。私にとってかけがえのない一年だったと言えるでしょう。
先ほど電話で友人に去年よりも心が地についていると褒められました。今年の最後にようやくここまでたどり着いたのです。自分を褒めましょう。


それにしてもまた一年、年をとってしまいました。

ただ年を重ねたからといって老いていくのだと決めつけるのは早いです。

現に私はマラソンのタイムは良くなっているのですから・・・。

まあそのぶん練習量も増えていますが。

幸せになりたいのなら生きることに対する練習量を増やすしかありません。

何事にもなるべく手を抜かずに真面目に生きるのみです。


それでは良い年をお迎えください。
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素晴らしい人生

この一年、いいこともあれば悪いこともありました。自分の限界を悟ったり、新たに道が開けたりと・・・。

多分、人は歩みを止めなければどんな状況からも這い上がれる、そんな気がします。

終わりはないのです。

今日、悟っても明日地の下に落ちるかもしれません。

逆に、

あしたにみちをきかば、ゆうべにしすともかなり

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりとは、朝に人がどう生きるべきかを悟ることができれば、夕方に死んだとしても後悔はないという姿勢で生きることも一つの真理です。


この世はどう生きるかが重要です。その内容こそが自らの財産になり魂に刻まれます。


自分で「これでいい」と悟ることは宝くじで一等を当てるよりもありがたいことなのです。(昨日、テレビで宝くじの当選者を羨ましく見ていた影響かも)


皆、あの世に行けばわかります。そうだったのか。そういうことだったのかということを。

自分はこんなんでいいのかと思っていたけど間違っていなかった。

そんなふうにあの世で思えたら、何よりも素晴らしい人生だったと言えるでしょう。
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悲しみが無くなることを

私には縁のあった人が皆幸せになってほしい、そういう思い一念です。

しかし現実は思いもよらない悲しみが起こってしまうこともあります。


自分の力が足りなかったのか。あの時、一言でも二言で声をかけてあげれれば。どうにかなったのではないか。


すべては起きてしまってからはどうにもならないことです。

再びそうならないように自分の力を出し惜しみすることなく精一杯、心を張り上げていこうと来年は思います。

すべてはその為に僧侶を続けてきたのですから。
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違いを知る人。

ほんの少しの努力で世界が変わります。

私には大きく羽ばたく力はありません。しかし目の前を一歩踏み出す力はあります。

あんな大きな山はとうてい超えられないと思います。しかし目の前の岩場をよじ登るくらいの力はあるのです。


皆、初めから諦めるのには早いです。塵も積もれば山となる。

小さな努力を重ねればいつか大きな努力になり、何かしらの形を作り上げることができるはずです。


皆、その小さな努力が難しいことを知らないのです。

いつでも出来る。そんなこと今やらなくても。後ですれば・・・・。


そこでやれる人が違いを知る人です。

私には人に自慢できるほどの能力はありません。

しかしいつかここまでやれたのはすごいことだと証明してみたいと思います。
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いい人は本当か

本当にいい人は自分をいい人だとは思ってはいません。

あたかも真面目で人の気を使い、とても優しい。

そんないい人はどこにでも必ず一人はいるものです。

でも気付けばいつも

「自分はいい人。だから自分は悪くない」

そんなオーラを出しています。

つまり貧乏くじは絶対にひかないようにうまくたちまわっているのです。そしていざという時はわりと冷たくなります。

さっきまでのいい人が嘘のようです。

つまりいい人を演じていて本当にいい人ではないのです。

私は自分がいい人だとは思ってはいません。とうていその域には及ばないということです。
しかしこれでいいとも思ってはいません。

やはり自分がいい人だと思ってしまっている人はあまりいいとは言えない気がします。


悪人正機説【あくにんしょうきせつ】


浄土真宗の開祖親鸞さんの有名な言葉です。《歎異鈔(たんにしょう)》に〈善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや〉とあります。善人は自己の能力で悟りを開こうとし,仏に頼ろうとする気持が薄いが,煩悩にとらわれた凡夫(悪人)は仏の救済に頼るしかないとの気持が強いため,阿弥陀仏に救われるとしました。


自分がいたらないと知る人。私はそんな人間が好きです。
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