一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
魂の奇跡
あの石川県の豪雨で家ごと流された中学生。彼女の生前の映像を見ると涙が流れそうになります。
それで今日、彼女のおじい様がニュースで話されていたのですが100キロも離れた沖合で漁船によって発見されたのは奇跡だっだそうです。
漁師さんが夕方、仕事をおえて帰る途上、大海原にうかぶ彼女とその漁師さんの舟がまるでそこでしか出会えない一点で出会えた。ありえないことがおこった。それはまるで見つけてほしい、皆に会わせてほしいという彼女の思いと会いたいという家族の思いが叶えた奇跡。
私はこの話を聞いてやはり人は魂の存在なんだと思いました。想像すると見渡すかぎりの大草原の中にどこに落ちたかもわからない指輪を通りっかって見つけるようなものです。それももう日が沈み暗くなる頃に。
光っていたのだと思います。霊的にはその船の舵をにぎっている人の魂が引き寄せられたのだと。
彼女は地震でも被災してテレビでインタビューをうけていました。お父様が挨拶されていたように将来は公務員になってきっと幸せな家庭をつくれたはずです。
悲しいかな。今世の彼女のお役目は命の大切さ、家族の大切さを世の中に身をもってつたえることだったのだと思います。
無垢で穢れない魂のご冥福をお祈り申し上げます。
ソワソワ
なんだかお葬儀の仕事は常日頃から緊張感がぬけないのがダメージになります。電話の着信がすぐに仕事ではと反応してしまうのです。
それにお休みでも搬送の仕事の状況をスマホで予約日確認ができるため、ついつい気になり見てしまいます。
そうすると二件とか入ったとなると身体がソワソワしてきて休んだ気にならなくなってしまうのです。まして自分の知り合いや、自分のお勤めだとなるべくやらなくてはという思いにかられて仕事場にかけつけたくなってしまいます。
本当にこのオフとオンのバランスが難しくて。
もし、これからも安定して働いていくのならここの部分が大切になってきます。心身が健康でなければいい仕事ができないし、健康であるためにはストレスをいかにうまく緩和する必要があるからです。
さまざまな病気はこのストレスから発生する可能性があります。飲食も睡眠もいいかげんになったら注意です。
また緊張感は心臓にもこたえるような気もします。
とにもかくにも自分がのぞんだ世界ですからやっていくしかありません。
うまく出来るようになっていったら成長した証だと思います。
リカちゃん
娘はリカちゃんにいまだにはまっています。
それはまるで自分の望みをリカちゃんに投影して楽しんでいるかのようです。
デジカメでストーリーをつくって楽しみながら撮影しています。
自分にはよくわからないですがリカちゃんに大人でもはまるのは何か理由があるからだと思うのです。
多分、雛人形みたいな役割が。
ストレスの緩和になっているみたいです。
人型の紙に息を吹き込んで神社に納めたりします。リカちゃんはどう浄化されればいいのだろう。
そう考えるとペットもある意味そんな役割があるのかもしれません。
精神科の施設て動物を飼育する話は聞いたことがあります。
娘はタカラトミーに就職希望だそうです。
好きこそものの上手なれ
夢は人生に大きな影響を与えます。
そんな人生を歩んでほしいと思います。
疲労
なんだか悔しいけれど距離をふめばそれだけ肉体に疲労がたまって仕事に集中力がなくなります。
悔しいけどこれは事実です。
距離をふめば必ず速く走れます。しかしそのぶん家族も不満がっているし難しいところです。ただいまと帰ってすぐに走りに行ってしまうのだから。
ただ手ごたえはあります。確実に身体がしぼれて速くなっているのは確かです。今日はでも走るのを辞めようと思います。
遅い時間に帰ってから走るのはさすがにこたえるからです。
難しいです。このバランスが。
私は仕事をしていて「ありがとうございました。あなたに頼んでよかったです」と言われるのが好きです。やりがいがあります。
それだけ頑張っている自分がいるのも確かです。しかしこの疲労がなければもっと頑張れるのにとも思います。
難しいです。
自分への供養
昨日は少し仕事的に納得いかなかったのですが今日は今日で無事に終わりました。
寒い日が続きます。こうなるとまったくあの暑かった日が嘘のようです。
私は人生はいくらでも二転三転すると思うのです。それはどんなに頑張っていたとしても人は思いもよらないことが次々とおきてくるからです。
よく思うのです。歴代の名僧の方々の人生をみると皆必ず多くの苦労を背負いながら人生を全うしています。
時には殺されそうになり、時には島流しにあい。また荒れ狂う波で沈没しそうな舟にのり海を渡ったり。
また時代によっては異端として迫害を受けたり。
でもその方々はそのような中でも生涯を全うして次の時代に何かをのこしているわけです。
生前では成し遂げられなかったことも時代の経過で評価されていく。
この二転三転する人生の中でも何かをのこせるのはそこに信念があるかないかだと思います。
時代を貫く信念があればきっと今世では評価されなくてもその思いは受け継がれるはずです。
思いが受け継がれることは一番の自分への供養になると思います。
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