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万燈会

近くのお寺の万燈会に行ってきました。ローソクの明かりが綺麗でした。

なんとなく多くの霊が集まっている、そんな感覚がしました。霊は素直に心静か静だったような気します。

ただカメラマンの多さが少し気になりました。お参りを目的としていればある意味、ちょっと違うかなと思いました。

今日で盆月も終わりです。心の中で一歩前進しろともう一人の自分が叫んでいるような気します。

イケメンのお坊さんが参拝の方に一緒に記念写真を頼まれていました。何年か前かの自分を思い出します。

私は確実に次の段階に進んだみたいです。

多くの人を僧侶として救える自分を目指します。
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上がり調子

もともとこの年齢のわりに速く、どんどん伸びていることに悦びを感じていました。しかし今の練習以上しなければ伸びないとわかり、距離を増やしたところおかしくなってしまって。

仕事も家庭もあるのにランナーとしての自分をもっと高めたいという思いは欲張りかもしれません。正直、今の月間360キロ。この距離がマックスです。

人はいったんその場所に上り詰めるとまたそれよりも高いところを目指してしまう傾向があるみたいです。再びフルマラソンを走れるようになっただけでも悦ばしいことなのに今では3時間切りでなければ意味がないくらいになってしまって。

なんでも調度いいところが一番です。こうでなくてはいけないを増やしすぎると自分を窮屈にしていきます。

風邪をひいて治った後がなんだか気持ちがリフレッシュしていることがあります。
それは一度、自分の普段設定から外れたおかげでどこか気持ちに余裕が出来たからです。

失敗した後になんだかやる気がわくことがあります。
それはなりふり構わない自分になれたからです。

柔道で警告カードを二つきられた選手が後がなくなり急に強くなるのは何故でしょう。
追い詰められて負けたらどうしようから解放されたからです。

自分の気持ち次第でいくらでも上がり調子になれます。どうせなら同じ状態でもそんな気持ちで生きるべきでしょう。
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自分の塩梅で

いよいよ陸上シーズンです。私はここ数か月は思うようには練習できませんでした。とにかく怠い。身体が重たい。疲れる。

走ることが楽しくなくなった時期でもありました。

そして思い切って夜の練習を辞めました。朝だけにして月間の走行距離も少なめにしました。
私の中ではとにかく距離をふまなくてはいけないと思っていたのです。私の年齢でフルのサブスリーは並大抵ではありません。もっと走らなくては焦っていました。けれどこのままだと速くなるどころか普通に走ることさえもできなくなってしまう。

もうサブスリーは諦めました。そして自己ベストを各大会で出そうという気持ちも捨てました。
今は風を感じて自分なりの今のベストで楽しく走ります。それでも走行距離は5000メートルの自己ベストを出した二年前と変わらないのですから。

なんでも人それぞれのいい塩梅があるみたいです。私の陸上もこの位でいきます。
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それが自分

いろいろと納得できない自分があるけれど良い時も悪い時も自分であることには変わりはありません。

どうしても自分の中で「こうあるべき」をもとめてしまうのです。しかしそれと現実は大きく違います。まるで漫画の主人公にでもなったような思いで自分の尺度を勘違いしてしまうことがありますがよーく考えるとそれは無理だろうとも思えてくるのです。

僧侶として生きている私は少なからず「こうあるべき」を頭に抱えながら生きています。普通の人ならそれでもすむことが僧侶だからこそ赦されない。

何も別に罰せられるようなことをしていなくてもビクビクもう一人の自分の監視を受けてしまうのです。

もうこれは今までもこれからも僧侶であるかぎりは同仕様もないことなのでしょう。

いつも理想の自分とそうでない自分にある矛盾を抱えながら不細工でもなんとか走り続けなくてはなりません。

それが自分だから。
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徳を貯める

徳のある人間は孤独にならない。

そんな文句が書かれているのを神社で観ました。まさしくこれはとても的を獲ています。

ある人は自分はこんなに頑張っているのにどうして理解してくれないのだろうと孤独を感じているかもしれません。

確かにしていることは正しいし、間違っていない。

しかし徳がない。

そんなことがあり得るのです。本当に頑張っているのにうまくいかない人の教訓かもしれません。

徳とは何か。「良いことをしなさい」

それと個人の考えは別です。自分にとって良いこと。イコール周りにとっても良いこと。そしてなんとなくうまくいくこと。

理想は常に自分の理解の範囲を超えているのかもしれません。

徳を貯めればいつかは本当の願いは叶うでしょう。
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