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沙門の法話

一僧侶の日常の思いを語る

2025-04-19 19:23:27 | 日記
毎日があっという間に過ぎていきます。でも同じ一日でも昨日とは違うし、明日も今日とは違う。

それにいつも思うのだけど今日大丈夫だから明日も大丈夫というのはない。何かいつもそうあることが当たり前なようで本当はまるで当たり前でない。

そう考えると今日が最悪な一日でも明日が最高になる可能性もあります。もちろんその逆も。

一念三千の教えは地獄・餓鬼・畜生・人・天・修羅・菩薩・声聞・如来それぞれの世界に地獄もあれば天国もある。つまり天国にいても心がけ次第で地獄になるし、地獄の中にも天国があるということ。

思えばまるで試験のように受からなくては、みたいに地獄に行きたくないと思うのとは何だか違う考え方です。

もはやそれはあなたがその時、その瞬間、その場で悟ればそこが最高の境地であるということです。

私はよく思考は点と線のような直線的なものではなくてもっと回転している円のようなものであるような気がしてなりません。

宇宙もそうかも。始まりと終わりを繰り返し、最終的には何も始まっていないし、終わっていない。というような世界かもしれません。

だから人生も自分も捨てたものではない、と思うべきだと思います。

達観

2025-04-18 19:04:56 | 日記
gooの終了でブログを引っ越さなければいけないのですがなかなかうまくいくか自信がありません。
まあ、新しく移ったらお知らせします。

ただあまり気持ちは焦ってはいません。まあ、仕方ないかぐらいです。何故だろう。多分、満足しているからだと思います。
どうなろうと流れに身を任せるみたいな気持ちです。

この世の中、そううまくいくことばかりではありません。そもそも自分で望んだことが明確に叶ったことはそうはないのです。
しかしそれでもいいとどこか思ってしまう。

毎日が朝が来て昼になり夜がくるのがいいのだと思います。つまりはじまって終わるというのを一日を通して体験しています。
それは人生の縮図です。

多分、かならず終わりがくるというのがいいのだと思います。それは何かどこかいい意味で諦めみたいな気持ちになれるからです。

この世で多くのことを経験するとある程度のことは諦められます。それはマイナスの思考ではないところの諦めです。

どちからというと達観に近いものかもしれません。

涙そうそう

2025-04-17 18:11:31 | 日記
私がお寺につとめている時に一緒に修行した在家の信者さんがいました。その方は土建会社の社長でとても気さくではにかんだ笑顔がとても印象的な優しい方でした。これからもずっと一緒だと思っていたのに。

ある日、お休みで出かけていた時にお寺から電話がはいって事故で亡くなったと知らせをうけました。49歳、工事中の事故でした。
木を切っていたらそこの根と一緒に大きな石が落ちてきて。

私はとてもショックでしばらく放心状態でした。何故なら滝に打たれ、お護摩をうけ、月に何度もお寺に通い、心を共にしてきた同行の友だったからです。

人が旅立つのはこんなにあっという間なのか。

私はその後、その方のぶんまで生きてそして思い出を忘れずに心の中で思い続けることを誓いました。

「涙そうそう」はその時に聞いていた曲です。だからこの曲を聞くとその頃もことが一気に思い出されます。

あれから、二十三年。もうとっくに年齢も超えてしまいました。

何故だろう。遠くにいるように感じません。近くにはいないけど遠くでもない。

その方のぶんまで生きようと思ったのだから平均寿命ぐらいまでは生きようと思います。

ただ一日一生です。

感謝の思い2

2025-04-16 18:57:30 | 日記
またこんなこともありました。私はある日、地元で三番めに高い山そして二番目に高い山を山駈けして登頂しようと行者服を身にまとい出かけました。何も水分を持たずにに修行だと思って。

まずは最初の山に無事登頂しました。もうお昼近かっただろうか。そのまま越えて二つの山を登り降り、二番目に高い山を登り始めました。少し無茶があったかもしれません。降りてくる人たちに今から登るのですかと声をかけられたのを憶えています。そのグループのひとつのある女性にペットボトルでお茶をもらいました。
助かりました。途中、湧き水を少し飲んだだけだったので。

でも最後の山の登頂したのはたぶん3時半くらいだっただろうか。そこから急いで山をくだりました。さすがに体力も底をついてきて真っ暗になってきて、最後の数キロで道を間違えてしまって違う場所についてしまいました。

途方にくれてしまいました。どうしよう。バスもなし、タクシーもなし。車を置いた場所までどうやってたどり着こう。

その時、目の前に工事のプレハブ事務所がありました。まだ電気がついています。
なんとかなるかも。
私はそこにいた男性にたのみました。どうか最寄りの駅まで乗せてもらえないだろうか。

男性は心よく私の願いを聞き入れてくれました。私は無事、近くの駅といっても30分くらいかかるだろうか。そこからタクシーに乗って自分の車にたどりつくことができたのです。

確か、錫杖でお加持させていただきお礼をしたような記憶があります。

今でもその方の背中の感触があります。そして感謝を思い続けています。