一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
私なりの変化球
周りを見ずに前だけで突っ走る私は絶対にそうしてはいけないと思うようなことをうっかりやってしまう。どうしてそうなるのか。実際に起こったことよりも自分自身に対する情けない思いの方が悔やまれるのです。
何かしていてもうっかりなんてことが多くあるのですが逆パターンで「本当によかった。救われた」なんてこともしばしば。そう思うとちょっとしたミスもちょっとしたラッキーを加算すれば帳消しになるのかもしれません。
なかなか難しいです。絶対にミスしてはいけないと思っても人間だから、思い込みみたいなものがあります。ましてや猪突猛進の自分の性格ではなおさらです。
昔から直球勝負、一直線の自分でした。お師匠様にはお前は直球勝負で変化球がないとよく諭されました。人間関係でも恋愛でも直球ばかりを投げ込んでもうまくいかないことがあります。逃げ場というかあそびというかゆとりというか。どこか自由さがなければ潤滑油がない機械のようにギクシャクしてしまうのです。
つらい仕事をしていても「俺はがんばっているんだ。根性なんだ」という精神むき出しよりも、やることはやっているが頑張っている感をあまり見せない方がなんだか恰好よくも思います。そしてそこにユーモアみたいなお笑いがあった方が。
毎日、小さなことを気にして神経質になってしまっている自分がバカみたいですが直球なので仕方ありません。変化球がなげられないのからと(投げる練習をすればいい話ですが)少し手をゆるめれば単なる遅い球になってめちゃくちゃになりそうで怖いです。直球の速度で少し変化するような技術を身につけたいと思います。
何かしていてもうっかりなんてことが多くあるのですが逆パターンで「本当によかった。救われた」なんてこともしばしば。そう思うとちょっとしたミスもちょっとしたラッキーを加算すれば帳消しになるのかもしれません。
なかなか難しいです。絶対にミスしてはいけないと思っても人間だから、思い込みみたいなものがあります。ましてや猪突猛進の自分の性格ではなおさらです。
昔から直球勝負、一直線の自分でした。お師匠様にはお前は直球勝負で変化球がないとよく諭されました。人間関係でも恋愛でも直球ばかりを投げ込んでもうまくいかないことがあります。逃げ場というかあそびというかゆとりというか。どこか自由さがなければ潤滑油がない機械のようにギクシャクしてしまうのです。
つらい仕事をしていても「俺はがんばっているんだ。根性なんだ」という精神むき出しよりも、やることはやっているが頑張っている感をあまり見せない方がなんだか恰好よくも思います。そしてそこにユーモアみたいなお笑いがあった方が。
毎日、小さなことを気にして神経質になってしまっている自分がバカみたいですが直球なので仕方ありません。変化球がなげられないのからと(投げる練習をすればいい話ですが)少し手をゆるめれば単なる遅い球になってめちゃくちゃになりそうで怖いです。直球の速度で少し変化するような技術を身につけたいと思います。
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