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死の尊厳

間食をしなくなってからお腹がすいて仕方ありません。それに三度の食事も腹いっぱいたべることをしていないので次第に体重が減ってきています。

体重が減ったぶん、身体が軽くなり走るのが楽なような気がします。これがいつまで続くか。いつももって一か月。5月に行われる地元のマラソン大会に出ようと思っているのでそれまで続けられたらと思います。

今年は50歳になったクラスに出走予定です。上位が狙えます。一年以上の本番のブランクがありますが少し楽しみです。

私は B型なので熱しやすく冷めやすいところがありますが。


人がこの世を旅立つのはまるで嘘のように普通におとずれます。生きている私達からすると非日常であり、ありえないことなのですがそれが現実です。
誰にでも起こることなのです。

私は経験上、思います。
病気になって医師からも余命を宣告されている人でも家族がそのことを伝えなければほとんどの人が治ると信じて最後まで生きようとします。
私の父も旅立つ前に弟に「まいった」といつもの調子で語ったそうです。その顔が私には想像できます。

私の大恩人も病院に入院している時に見舞いにいきましたがこうすれば時期によくなる、というような話をしてくれていました。やせ細り、点滴につながれた姿はとてもつらかったですが本人は生きる可能性を信じて疑っていなかったような気がします。

いや、生きようとしていたのもありますが本人も私も死を意識的に避けていたともいえるでしょう。

正直、やはり怖い。

それが本音です。自分の死に対しても大切な人の死に対しても。

ただ中には自分が死ぬことを達観して今を生きている人も私の知り合いの中にはいます。

自分の葬式をどうしようとか、死んでから迷惑をかけないようにするにはどうしようとか。

まるっきり悲壮感がありません。本当に感心してしまいます。

この世に未練をのこして旅立たなければいけないことは本人も家族も本当につらいことです。

しかしその運命に直面した時にその人の生きた証。そして人生。努力。志。

それらを受け継ぐことに大きな意味があるような気がするのです。相続とは金銭などの財産を受け継ぐことばかりではありません。
文字通り「すがた」を受け継ぐのです。

そう思うと死とはとても尊厳のあることだとあらためて思います。
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人生の登山

転んでもただでは起きない

これはいい言葉だと思います。人はどうしても転んだら落ち込んだり、悩んだり、愚痴を言いがちなのです。
しかし、そこでこう頭を巡らします。

もしかしたら、これはチャンスかも。今までの自分にはないものをこれを期に会得しよう。

私は負けず嫌いだから、どうしてもそう思うのです。

ただでは負けたくない。

負けて獲られるものがある。勝って損するものも。


今までの人生、いつも最初は負け組でしたがコツコツとあきらめずに登る
そんな人生でした。だから何年か後に必ず自分も捨てたものでもない、と思えたのです。

その繰り返しです。登っている時は必死だからわかりません。自分はダメだから頑張らなくてはとしか頭によぎらないのです。

しかし気づくと、けっこう登った。そう思います。

今でもなかなか先の見えない山をコツコツと登っています。
 
諦めて下山しないかぎり、遭難しないかぎりいつかは広い景色を見下ろせる場所までたどり着けるはずです。

私はそれを信じています。だから諦めない、登り続けます。
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静と動

動いていた方が頭の回転がいいです。

私がしたいこと、すべきことが脳内で整理されていく気がします。
ただそれでも解決の糸口がわからない時は棚上げです。それしかありません。

人は本来、時間が解決することでも今解決したくて悩みます。今の悩みは多分数年後には消えて次の悩みになっているでしょう。
またその時は違う悩みを抱えているはずです。

また、悩みにもっと大きなものが現れると今までの悩みが小さくなります。そんなことで悩んでられなくなるのです。

一番はとにかく目の前のことのみに集中して先のことで悩みすぎないことです。
車の運転をしていると時々前の車がゆっくり走るのにイライラすることがあります。

でもその車の前も結局つまっていたりして。

所詮悩みすぎても、できることは一緒だということです。やるべきことをやるしかない、それにつきます。

動いている方が頭が回転するといいましたが、睡眠も脳の活性化にいいみたいです。
静と動の使い分けです。

とにかく、身体に気をつけて今を乗り切りましょう!
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コロナの恐怖

今、こうしてみると人として生きることが困難な時代になったと本当に思います。

まずコロナの恐怖。そして生活維持への恐怖。また風評被害への恐怖。

芸能人がコロナ感染により、しばらく仕事をお休みをし復帰して働いていますが社会的な風評被害はあまりなさそうな気がします。
しかし私達はどうでしょう。もし感染したら働いている職場、家族、子供、学校、知り合いと多くの人に迷惑をかけてしまうような気がするのです。

そして治ってよかった。さあ、また普段通りに生活をしますと普通のインフルエンザの時のように戻れるだろうか。
とにかくそこの部分が不安で仕方ありません。

ある漢方医の先生はそこまで恐れることないと仰いました。またもともと原因のわからない症状の患者はコロナで騒がれる前から来院していたと。

今回、このような形で世界中が新型コロナウィルスに翻弄されていますがもしかしたら人類はウィルスによって引き起こされる病気との長い闘いの歴史があり、これからも地球に住むかぎり終わりのないのかもしれません。

今回のウィルスを克服してもまたあらたなウィルスが出現し、それを再び克服することの繰り返しなのかもと。

それにしても皆さんもそうかもしれませんが私は風邪をひかなくなりました。インフルエンザにもかからないし、鼻水もでません。花粉症も今年はどうだかわかりませんが去年は克服しました。

今回のこのようなマスク、手洗い、除菌、ソーシャルディスタンスの生活はもしかしたら新しい生活様式でずーと続いていくことになるでしょう。

新型コロナではないウィルスたちはどう思っているでしょう。自分たちの活躍の場を失ってしまったことに対して。


まだまだ解明がされていないし、昨日ある方と話していたら自分の知り合いが疾患もないのにコロナにかかって意識不明になり亡くなってしまったと嘆いていました。
それを聞くとやはり恐ろしい病気だと思わずにはいられません。

コロナにかかって再び普通に社会生活をしている人。後遺症に悩まされている人。生活が一変してしまった人。
さまざまですがとにかく自分にできる予防対策は油断をせずに行っていこうと思います。

皆さんもお身体、ご自愛ください。

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振り向かずに

現代は家の存続が難しい時代です。何百年と続いた家が絶えてしまうということもありえます。

一番の原因は少子化と土地から跡継ぎが離れてしまうことです。長男と長女が結婚する時代。そして各家庭に子供が一人か二人。長男は仕事次第で土地から離れてしまいます。

またお墓を守る人も自然といなくなってしまう時代でもあります。子供たちは自分の住んでいる近くに親の墓を作りたいのでわざわざ田舎のお墓にお骨を入れようと考えません。

ある人は自分の嫁ぎ先。実家。跡継ぎのいなくなつた叔父さんのお墓など三か寺の檀家になっている人がいました。またある人は土地で一番古いお墓をもっていながら自分の代で見る人がいなくなると嘆いている方も。

家もそうです。昔からの土地で少しでも町から離れれば自然と若い人は住まなくなり、空き家になっていきます。
小学校や中学校が廃校になってしまうのも、昔から続く商店などがなくなるのもその理由です。皆、少しでも便利で住みやすい場所に移動するのです。
車でわずか15分走ればついたとしても。

時代は過度期をむかえています。コロナもしかり、生活も困窮して先のことが不安で仕方のない人がたくさんいる時代。
21世紀は便利でとてもいい時代になっていると思ったら違っていました。

ただ今が我慢です。あと10年後ないし20年後には価値観の違う新しい時代の到来が予言されています。

家がなくなっても心さえ失わなければどこでもそこが自分のいるべき場所なのです。

私達はふりむかずに前だけを見て進まなければなりません。

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