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八月へ

いよいよ明日から八月です。
日本の八月はお盆が終わるまで重要な期間になります。

広島と長崎に原爆が投下された日。終戦記念日。

日本の国体がなくなる寸前まで追いつめられたあの夏。
自国、他国に多くの犠牲者をだしたあの戦争。

他国の人に戦時中とはいえ、行った多くの罪深き行為。

私たちの今は忘れてはいけないあの時代を背負ってのものです。
因果応報は今も続いています。

懺悔と先祖供養、感謝の心で明日からの日々を過ごしましょう。

この世の中はやったことしか返ってきません。

少しでも善徳を積まなければと気を引き締めましょう。
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入道雲

入道雲を見ていると生きる力がわいてきます。本当に暑くてたまらない毎日。そんな中でも自分にとっては入道雲が心に癒しになるのです。

この世の中は生きていても生命力をうしなった人がいます。逆にあの世に旅立っていてもこの世で生きているかのような人も。

死んだ気がしない

よく思うことです。どこかで生きているようにも感じるし、いなくなったという実感がない。

何年も前に他界していてもまだすぐ現れそうな人はこの世に自分をしっかり刻んだ人だといえるでしょう。
笑い声が聞こえてきそうです。

せっかく生きているのならこの世の不条理に振り回されずに生きていることを実感すべきです。

入道雲をみると「しっかり生きてみろ」と青森のねぶたに登場する鐘馗様が言っているように思えます。

暑い夏を乗り越えましょう。
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無邪気は時に

今の連続テレビ小説「らんまん」を観ているとどこか自分にかぶることを感じます。

私も主人公と同様、無邪気に僧侶の道を極めたいという一心で生きていました。そもそもお寺の息子でない私が僧侶になるということはハンデがあるのです。
そう、どんな世界もしがらみみたいなものは存在します。どこか忖度なようなものを前提にもちながら関係性をたもっているのです。

主人公は今、困難に直面しています。学歴がなく植物が好きで好きでたまらない青年。同時に天才的な才能を植物学の道に持ち合わせているからこその妬みや嫉み。そして無邪気というある意味、他を一目置いて考えることに欠いた非社会性な性格。

私は天才ではないですが仏様が好きで純粋に人の役に立ちたいという思いは強かったのだと思います。そんな私をどこか放っておけないからこそ周りの人が助けてくれる。そこに甘えていた自分がいたのかもしれません。

「らんまん」のストーリーはこれからどのようになるかわかりませんができれば主人公が他を恨むものでなく己の道を切り開いていってほしい、そのように思います。

また悪役になってしまっている教授にも本当はそうでないという光をあててほしいとも思います。
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生きているだけで丸儲け

生きているだけで丸儲けとはよく言ったものです。時々感じます。

ジャラジャラとお金がパチンコ台からコインが出るがごとくに自分に流れてくる。

確かに明日死ぬかもしれない。いや数か月先でも死が確実だったとしたら自分は生きているだけでいい。この生が本当にありがたいと思うはずです。
そう考えるとこうして普通に今がある自分がとても愛おしくて。

人間何も身に着けずにこの世に生まれてきたのだから、何もないのが当たり前。ただこうして生きていられる。明日が確実にやってくる。
それだけで何もかもがありがたく思えてくるのです。

さあ、そんな気持ちで日々生活できたらどれだけ有意義か。

難しいです。それが人間のサガだと思います。
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本当はOK

少し足りないくらいがちょうどいい。

なんでもそうかもしれません。ほしいものの全部手に入れてしまえばどこか満足感が思ったよりもうすれます。
あんなに望んでいたのに・・・。

なんでもあともう少しなのにと追いかけている時の方が気持ちの火はおとろえないものです。

前にも書いたかもしれないのですが自分は四国霊峰石鎚山の山頂から山々を見下ろす景色に憧れていました。本に載っていたその光景を一目みたいと思っていたのです。

なかなか晴れて澄んだ日がない石鎚山の山頂。二回目の登拝でようやく青々とした空と緑の山並みを拝むことができました。
しかしやはり少し雲がかかっているのが気になったのです。本にのっていた光景はもっと奇麗だったはず・・・。

そう思いながら帰宅しました。でも飾ってあったその写真は自分がみたものとあまり変わらなかったのです。
雲もかかっているし、あれ同じじゃん。

自分の中で不思議な感覚になりました。

意外に普段から本当はOKなのにそうでないと勝手に決めつけている自分がいるのではないか。そのように思いました。
ないものねだりです。

気付かないのは不幸なことかもしれません。
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