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お身体を大切に。

家でも住まなくなれば急に痛むなんてよく聞きます。また私が感じることですがいつも履いていた靴。そろそろ買い替えないとなーと思いなんとかもたしているのですが、新しい靴に取り換えて下駄箱のすみに置いておくとすぐに痛むような気がします。時々はこうとするとあまりにも痛んでいて・・・・。

つまり物には息吹を吹き込むことによって活性化することがいえるのではないでしょうか。
物を大切に扱うことは生命体ではなくても生かすことにつながります。車もいつも声をかけることによってなんとなく調子がよくて事故からも守ってくれるような気がするし、箸やお茶碗、日常に使うあらゆるものも粗雑に扱えばそれだけ実際よりも早くいたんでしまうことがいえるのです。

私達の身体も実際は有機物からなる物質からできています。精神や思いにかかわらず大切に扱おうとすればそれだけ細胞が活性化して長持ちするのではないでしょうか。

今日、ラジオで飛行機を乗るときの第一条件は安全、車を選ぶときの基準は価格とアンケート調査で出たそうです。
そして一番危険で自分の人生ばかりでなく他人の人生を台無しにしてしまうの可能性があるのが車であるのに、あまりにも日常化してしまっていることで優先すべき選択が麻痺しまっているのにたいていの人は気づいていないと。

一番大切にすべき私達の身体も必要以上に酷使したり、不摂生したり、逆にだらけさせたりしてはいけないのではないでしょうか。
いつも気にかけて安全に大切になおかつ定期点検を忘れずに乗りこなさなくてはいけないのが私達のこの身体なのです。
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人生を楽しむ

娘はパパの好きなところはとの回答でキンニクと幼稚園の用紙に書いてくれました。
小さな女の子からすれば大人の男性のキンニクはすごいと思うかもしれません。私も毎日身体を鍛えていますので、普通の体型ではないことは確かです。
しかし男子百メートルの日本選手権の決勝をテレビで見ていて娘が
「パパが走ったら一番になる」
みたいなことを言われた時は正直嬉しさの反面、身の引き締まる思いがしました。

私も子供のころ、何かあればお父さんは強いからきっと助けてくれるはずと子供ながらに思っていました。小さな子供からすれば大人はやはり大きくてかなわない存在です。その大人に自分がなって、20代に接していた父と同じ年齢に近づいたのだと思うとなんだか不思議な感覚になります。

意外に人生あっという間かも。それが今しきりに心に思えてきます。
大丈夫か。ちゃんとやれるか。失敗したくない。なんとかやりきりたい。

時代はあっという間に過ぎます。早く人生やり終えてあの世に無事帰りたいなんて思いをいだく余裕もなく毎日が流れていくのです。

「今日が無事終えられれば、また明日はなんとかなる」

それにつきます。この世で自分という乗りものを運転してこの人間にふさわしく、皆の期待を裏切らなようになんとかゴールまでたどりつきたい。

40代も半ば過ぎ、ようやく感じてきた私の本心です。
とにかく油断はできません。しかし昨日こう教えてくれた人がいました。

「人生、仕事楽しくこなさければ身体を壊すよ。楽しむこと。それが大事」

なんとなく納得しました。
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ありがたき出会い

今日は久しぶりに学生時代からお世話になった方々が会いにきてくださいました。かれこれ25年以上の付き合いになります。

私は精神を患って、日々苦悶の生活を送っていました。そんな時に信仰の先生と一緒に救いの手を差し伸べてくださった方々です。みなさんがいなかったら今の私は存在しなかったかもしれません。

一人は私がはじめて救いをもとめて先生のお店を訪れた時にカウンターでお手伝いをしてくれていた方。今すぐにでも死にそうな私を家に招き入れ、食事をご馳走してくださいました。摂食障害みたいになっていたのでほとんど食べれなかったのです。それでも鳥弁当の味は今でも憶えています。
また人と話すことが怖くて、なるべく一人でいようと思っていた私を一緒に出かけようと誘ってくれました。
その時期は自分みたいな人間と一緒にいても誰も楽しくないだろう。どうせ周りに迷惑をかけるだけだと思っていたのです。暗いのだから仕方ありません。でもそんな私をまっすぐに受け入れて、普通に話しかけてくれました。それがどんなに助かったことだろうか。

また今でも家族でお世話になっている私を育ててくれた先生の跡継ぎの娘さんも来てくださいました。明るくて優しく、いつも先生と一緒に私を見守ってくださいました。私はその方のお顔を見ると涙が出てくるのです。わからないのですが悲しいわけでもうれしいわけでもありません。ただがむしゃらに頑張っている自分の心身が少し安心するのか心が「ふわー」とあたたかくなります。言葉では説明できません。

そしてもう一人の方は私の活躍をいつも楽しみに応援してくださっています。先生が病院に入院中もいつも傍らにいて支えてくださっていました。心がさっぱりとした方で話していて安心できます。今は遠方にいる私にときおり明るさを届けてくださいます。

皆変わらずにお元気でした。本当に久しぶりにお会いするのですが、時間を超えてこうして繋がっていられることになんだか不思議なご縁を感じます。

そう言えば今日先生の夢をみました。先生と娘さんと私でアンティークな小物のあるお店で買い物をしていました。
とてもリアルでした。先生が私に会いにきてくださったのだと思いました。
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本当の覚者

毎日当たり前のことを当たり前にこなす。意外に難しいこのことがとても大切だと思います。

物事は「言うのは簡単、行うのは難しい」、まさにそれに尽きると思うのです。普段は大丈夫なことでも体調や季節、時間で難題に変化します。それが普段の観点で大丈夫だよと軽々しく人は思うのです。
しかし、物事を行うのはほんの5分で完了することでも一日の流れの中で行うのが難しいのです。優先順位をつけたとしてもそのわずかな行為が後回しにされてやがて忘れてしまうなんてよくあることです。簡単にできることほど後回しされます。しかしそれが意外に重要だったりするのです。
「あ、いけない。忘れた」
大慌てです。なんでやっておかなかったのか。後悔しても後の祭り。5分の行為が1分の時間の余裕もなくてまるで大きな山でも登るように遠い存在になってしまいます。

「行うのは難しい」

簡単だ。誰でもできる。そうです。誰でもできるからこそ、いつでもできそうだからこそ、毎日きちっと行ずることが難しいのです。
仏教の真髄は「悪いことをせずに良いことしなさい」です。「三才の幼子でも理解できるが八十歳の老人でも行うことが難しい」

私達は特別な能力を発揮することが悟りを開いた人の境地だと思いがちですが、特別でないことがきちっとできることが本当の覚者と言えるでしょう。
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麻薬

有名人が薬物疑惑で捕まるニュースがまた流れました。正直、一般の私達からすれば知ってなんの得にもならないことなので知りたくなかったとも思えます。しかし、あの人がと思うと信じられないと同時に仮面をはぐような興味心も湧いてきてニュースの取り上げ方と同じように気になって仕方なくなるのです。

麻薬を使用している人間がどうして普通に生きられるのかが不思議でなりません。身体や脳、精神に対するダメージがあるはずです。そんなマイナスな見返りを受けたとしてもどうしてもほしいものは何か。やはり当事者でなければなかなかわからないところなのでしょう。

精神にはやはり依存心とかマインドコントロールとか、どうしても抜け出せない弱みみたいなものがあります。まるでドミノが崩れていくのを抑えるようにそのスタートをなんとか保とうとするのに似ています。そこをなんらかの契約で握られてしまっているかのよう。
命よりも大切だと思える信仰。恋人。仕事。

皆気づいてないのです。裏切れば殺されるような信仰なんてこの世にないことを。自分のことを第一に思ってくれない恋人は本当は愛すべき人ではにことを。命や家族を犠牲にしてまで仕事にこだわるのは、本当の真人間ではないことを。

麻薬も身体に打ち込んだ楔のようなものです。抜けば大量に失血しますから抜けません。ずーとそれを身体に刺したまま生き続けなくてはなりません。

「多分辞めることはできないだろう」

必ずこんなコメントがのっています。精神の苦しみも解放というよりその状態からできることの最善を見出し、つきあっていかなければいけないのと同じように、麻薬も一生その後遺症を患いながら生きていかなければならないでしょう。
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