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自分らしく

最近はランニングが楽しいと再び感じるようになりました。一時、長い距離をふむのが少しイヤになっていたのです。

休みのたびに長い距離を走る。疲れる。思ったより記録が伸びない。ストレスがたまる。楽しくない。

コロナもあり大会がのきなみ中止になり、走り方を変えました。長い距離は月一。これで疲労の負担がだいぶ軽減され、家族といる楽しみが増えました。
また疲労が少ないために身体がかえって軽くなり、スピードが戻ってきているような気がします。

食事も変えました。間食をしないために胃の負担がなくなり、三食がっつり食べて食事制限をしなくても痩せ始めました。調子がいいです。


もしこのままの状態で大会の出てそこそこの記録が出せればあんなに走りこんでいたのは何だったという結果になります。
フルマラソンばかりがマラソンではないということです。


人生もそうかもしれません。追い込まなくてないけない焦燥感がかえって生き方を窮屈にしているのかも。

少し余裕を持たせてそれなりに生活をした方が自分らしく生きれるのかもしれません。

自分さがしはいつでもどこでも出来ます。

真面目に生きることは大切ですが厳しさだけで自分が見つかるのではないということを悟りました。
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諸悪莫作 衆善奉行

こんな日があるのかな。

ひとつ歯車が狂うとなかなかもとに戻せなくて気合いだけで一日を終えたような日でした。

うまくいかないのはなんとも気持ちの悪いものです。一生懸命がなかなか結果に表れないのです。

でもこれって自分の表面意識の中のことかもしれません。実はすごく頑張っているという可能性もあるのです。

目に見えるもの。感じるもの。そうだと思うことのみに流されてはいけません。

実はその下の層こそ重要なのです。

意識の下の深層意識。

それが無意識に自分の行動に制限をかけます。だから偶然だと思っていることが実は必然なのです。
なんであんなことをしてしまったのか。後悔しますが実はそうなるように深層心理が働きかけていた可能性も。


逆にこの深層心理さえしっかりと抑えられれば現実はどんな形にしろ「なるようになっていく」ともいえるのです。


何度もいうようですが「すべきことをする」。

してしまったことは仕方ありません。今すべきことに集中するしかないのです。

それにしてもこの深層心理を見方につけるには「悪いことをしない。善いことをする」

です。


簡単なようで難しい。3歳の子供でも分かるが80歳の老人でもすることが難しい。

さあ、前をむいて善いことをします。
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お役に

私は今、つくづく普通でいられることに喜びを感じています。

こうなりたい。こうありたい。

何が欲しい。今の生活が嫌だ。

こんな気持ちが全くないのです。もう何もいりません。何も欲しがりません。三食食べれて、寝れるところがあれば充分です。

こんな思いです。


多分、コロナ社会の中でいつ自分がどのような身に置かれるかわからないという危機感があるからだと思います。

何でも命あってのこと。そして仕事があり収入があることがどんなにありがたいことか。


思い返せばこのような気持ちになる前はいったい人生にどんな不満があったのだろうと思います。

自分の人生に納得がいかない。こんなの嫌だ。もっとやれるはず。みたいに。


お金持ちになっても、有名になっても、人のうらやむ生活をしても命あってのことだと思います。

自分の命、家族の命、大切な人の命。


逆を言えばこの世は生きていられさえすれば自分次第でいくらでもやり直しがきくものなのです。

さあ、この命。これからどのように輝かせよう。

誰かのお役に立ちたい。

それが一番の望みです。
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アニメマン

私の生活の中で重要なのはとにかく無事に一日を終えることです。

家に帰れば今日も終わったとホッとします。そこまでが自分のスイッチがオン状態。家のついて夕食をとり、就寝して起床するまでがオフ状態です。

人間だもの、多少のミスがあります。それをあれこれとカバーしながら乗り越えてどうにか一日が終わるのです。気持ちは一昔前にモッ君がCMでやっていた「ビジネスマーン」みたいなもの。

多少、それを楽しんでいる自分もいるのです。「お、今自分仕事している」みたいに。


この年になって少しおかしいかもしれませんがアニメを観るのにハマっています。娘も大好きです。少年ジャンプに連載されている「呪術廻戦」とか「ブラッククローバー」とかです。「半妖の夜叉姫」も観て「転生したらスライムだった」、「進撃の巨人」も録画しています。

何故かというと頭を使わないで観れるからです。さすがに娘は「進撃の巨人」は怖いと言って観ません。

最初は「鬼滅の刃」にはじまって娘が学校ではやっているアニメを教えてくれたからです。どれも魔法とか呪術をつかって戦ってばっかの内容ですが日本のアニメは映像もふくめて優れているので臨場感があって楽しいのです。

50歳になるオッサンがアニメにはまるのもいかがなものかと思いますがへたなテレビを観るよりもストレス発散になります。

嫁も娘もあきれがちです。

ちなみに「おちょやん」も毎日見ています。前作の「エール」は好きでした。
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人類皆兄弟

昨日、自分の親戚をどんどん調べていったら有名人につながるというテレビ番組を観ました。

意外に芸能人同士も何親等かすれば親戚になっているという話です。

ふと自分はどうかと思いました。もしかしたら有名人とは言わないまでも想像もつかない仕事をしている方が親戚になっているのではないかと。


自分からの目線ではありますが逆のことも考えれます。「あれ、実はあなたと親戚なんです」みたいに。


そう考えると「あなたと親戚で良かった」。

そう思われる自分でありたいと思いました。親戚同士は見えない糸みたいなものでつながっています。血族であるということはどこか同じオーラを醸し出しているものなのです。


私の苗字はそれほど多くはありません。それなので時々、同じ苗字の人に出会うとどこか懐かしい親近感を覚えるのです。
コンビニの店員さんとか、たまたま目にしたお宅の苗字プレートとか。

またテレビに出ている芸能人とか。


何がいいたいかというとある意味、人類皆兄弟だということです。

世間は狭いという言葉があるように気づかずに本当は縁者とつながっているのかもしれません。


幼い時に生き別れた二卵性の双子がいつのまにか恋人同士になったり、親友になっているというように私達の出会いには偶然というものはないのかもしれません。

すべて必然かも。

そう思うと一つ一つの出会いがいかに大切なものであるかとも思えてくるのです。

私のモットーは一つ一つの出会いにマックスです。




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