goo

自分を貫く

私は元来、とても慈悲深く優しい方だと思います。

しかしその優しさが時として弱さにつながるところもあるのです。今回はよくよくそのことを学びました。

優しい=弱い

厳しい=強い

このように当たり前の図式でしか思考できなかったのですが

優しい=強い

厳しい=揺るがない信念

に格上げされた思考をどうやら身に着けたようです。

こうなると自分の我とかの問題を超越しています。

「ただ自分を肯定したいだけだろう」

という耳元のささやきはもう耳にははいりません。

どんなことがあっても信念を貫き通すのみです。


皆さん、いったい何の話をしているのか意味不明かもしれませんが人は必ずこういった境遇に見舞わられることがあります。

その時は負けてはいけません。最後まで自分を通すべきなのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公正明大

人はある一定の許容範囲を持ち合わせています。

だから、あくまでもそれさえ越えなければおおまかなことは許してしまうし、自分自身の反省材料にもするのです。

「私が悪かった。だから今度はそうならないように治そう」

と。

ただそれを超えた時にまるでダムが決壊するように大洪水になります。

もちろん自分の非を認めた上でのことです。まるっきり自己肯定論者になっているわけではありません。

譬えると絶対押してはいけないボタンを押してしまって止まらなくなったようなものなのです。


これを止める術はいまのところ持ち合わせていません。だから自分の意思とは関係なくもうすでにはじまってしまっているのです。

あとは静観するしかありません。

自分は自分で公正明大に生きるのみです。何も悪いことをしていないなら堂々とすべきなのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有り難いやさしさ

私がここで働いていて一番お塔婆を頼んでくれた人が他界しました。満56歳の若さでした。

今までそこまで深く会話したわけではありません。法事に何回か自宅に行き、そしておいしい手料理を御馳走になったのが印象的です。

こんな私でもあまりの仕事の多さと過酷さでまいってしまうことがあります。

そんな時に彼はお塔婆を取りに来る際、「和尚さん、食べてください」とおいしい果物などを持ってきてくれるのです。

私は今日はじめてお通夜のお経のあとの法話で声を詰まらせ泣きそうになりました。父親の時も泣かなかったのに不思議と涙が出てきます。

彼のやさしさは私にとってありがたかったです。

ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その恩

学生時代、精神的にパニックになり食事も喉に通らなくなりました。そんな中、駆け込んだ場所に生涯の師になる方がいらっしゃったのです。

今でも思い出します。優しい笑顔。温かいまなざし。

私は一目もはばからず泣きました。泣き続けました。高校三年のいきがった少年はたまりにたまったものが爆発してしまったのです。

帰り際、私をこのままほおっておけないとお店で働いていた方が自宅に案内してくれ夕飯を御馳走してくれました。

まるっきり喉に通らなかったのですが心が満腹になりました。

その恩は今でも忘れません。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精進します。

なんだかどうでもいいようなことが多すぎます。これから自分はどうなっていくのでしょう。

ただこのままではいけないことは確かです。どうも今までやってきたことが裏目に出ているみたいです。

こういう時は黙って静観するしかありません。

私の立場は私にしかわからないと思います。だからここでのいろいろなこともすべては次のステージの為のものととらえるべきでしょう。


今、自分を支えてくれている方。自分を必要としてくれている方。その方がたのために精一杯、励んでいこうと思います。

それが自分がここで活躍できる唯一の道です。

精進します。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ