一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
命令
今日の朝、いつものように忙しくしていて嫁にいろいろとあれやって、これやってと言っていたら突然きれました。
朝から命令されるのいやなんだけど。
自分的には言わなくてもしといてほしい。あ、これもあれもしてくれたんだ、ありがとうって。
いつも同じことをしているのにどうしてそれをわかってくれないのか。
しまいに朝から自分の好きなことをして走ってきてるんだからえばらないでと。
気分が悪いそうです。
昨日、先輩の親友僧侶と電話で話をしました。私たちは日々、心身を清めることが大切だと。
私は朝、走りながら神社とお寺とお堂を三か所めぐります。プチ回峰行です。
しないと身体が重いような気がします。だから日々走りながら修行しているのです。
嫁にはそれがわからないのか。
でも私が浄化できないと嫁にそれがうつるみたいで、彼女の毎日、家にお祀りしているお不動様にお経を30分くらいあげているみたいです。
それも私のせいだそうです。頭がさがります。
朝から命令されるのいやなんだけど。
自分的には言わなくてもしといてほしい。あ、これもあれもしてくれたんだ、ありがとうって。
いつも同じことをしているのにどうしてそれをわかってくれないのか。
しまいに朝から自分の好きなことをして走ってきてるんだからえばらないでと。
気分が悪いそうです。
昨日、先輩の親友僧侶と電話で話をしました。私たちは日々、心身を清めることが大切だと。
私は朝、走りながら神社とお寺とお堂を三か所めぐります。プチ回峰行です。
しないと身体が重いような気がします。だから日々走りながら修行しているのです。
嫁にはそれがわからないのか。
でも私が浄化できないと嫁にそれがうつるみたいで、彼女の毎日、家にお祀りしているお不動様にお経を30分くらいあげているみたいです。
それも私のせいだそうです。頭がさがります。
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ごはん、たまご、納豆
いつも思います。
今日うまく生きれたからといって明日そうなるとは限らない。
それに今日、人生において辛い日の一つであろうとも明日が再びグレー色のままだとも言えない。
油断するなかれ。同時に悲嘆するなかれ。
苦しみは必ず100パーセントやってくる。
しかし嬉しいことも必ずある。
今のように常に人様の悲しみの中に身をおいていると普通であることがいかに尊いことか身に染みてわかります。
それにどんなにこうして大切な人に出会えていることが幸せなことであることも。
私、毎朝ごはんに卵に納豆です。
朝から高級料理を食べようとは思いません。
幸せもそのようなものかと思います。
人間はおろかだから幸せになれてしまうとずーとそれが続くものだと思えてしまうのです。
でもそれは錯覚です。
当たり前の幸せが毎日くることに感謝しながら生きなければなりません。
今日うまく生きれたからといって明日そうなるとは限らない。
それに今日、人生において辛い日の一つであろうとも明日が再びグレー色のままだとも言えない。
油断するなかれ。同時に悲嘆するなかれ。
苦しみは必ず100パーセントやってくる。
しかし嬉しいことも必ずある。
今のように常に人様の悲しみの中に身をおいていると普通であることがいかに尊いことか身に染みてわかります。
それにどんなにこうして大切な人に出会えていることが幸せなことであることも。
私、毎朝ごはんに卵に納豆です。
朝から高級料理を食べようとは思いません。
幸せもそのようなものかと思います。
人間はおろかだから幸せになれてしまうとずーとそれが続くものだと思えてしまうのです。
でもそれは錯覚です。
当たり前の幸せが毎日くることに感謝しながら生きなければなりません。
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ジレンマ
私の仕事は実際の肉体労働よりも疲れます。それは精神的な比重が多いいからかもしれません。
やはりどうしたらもっと僧侶としてスパッと因縁を切って活躍できるか。その一点にかぎります。
つまり実際の労働よりもどのような生活をしているかが重要になってきて油断したらあっという間に波動の回転が下がってしまうからです。
最近、つくづく難しいと感じます。努力をしているつもりですがそこの部分が伴わないと身体に支障をきたすからです。
私のように多くの人の導師をしている僧侶がいたら聞いてみたいです。どうにやって心身を安定して保っているかを。
これがお寺の住職ならば少し違うように感じます。
いつもこのジレンマにぶち当たります。もっと行力、法力がなくてはいけないのに、このままでは。
自分の仕事を天命にして一生をそれについやし、全うされる方がおられます。
どんな分野であれ、私もそうありたいと願っているのです。
まだまだ精進しなくてはなりません。
やはりどうしたらもっと僧侶としてスパッと因縁を切って活躍できるか。その一点にかぎります。
つまり実際の労働よりもどのような生活をしているかが重要になってきて油断したらあっという間に波動の回転が下がってしまうからです。
最近、つくづく難しいと感じます。努力をしているつもりですがそこの部分が伴わないと身体に支障をきたすからです。
私のように多くの人の導師をしている僧侶がいたら聞いてみたいです。どうにやって心身を安定して保っているかを。
これがお寺の住職ならば少し違うように感じます。
いつもこのジレンマにぶち当たります。もっと行力、法力がなくてはいけないのに、このままでは。
自分の仕事を天命にして一生をそれについやし、全うされる方がおられます。
どんな分野であれ、私もそうありたいと願っているのです。
まだまだ精進しなくてはなりません。
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国葬
安倍晋三元総理の国葬が行われています。
私はデジタル献花するほどの思いはないですが静かに無事終えてほしいと思います。
一人の人間の死がこれだけの影響力を持つ。安倍元総理は良い意味でも逆の意味でも凄い存在だと思います。
どこか不完全、でも魅力的。
私たちはこの世でいったいどのような影響力をもって旅立つのだろう。
私は大切な家族に見守られながら静かに旅立ちたい。
安倍さんも本当はそうではないだろうか。
自分の使命を最後まで果たそうとした人間、しかしあくまでもそれは政治家として。
本当は地味で素朴な人なのかも。
根拠のない私の意見です。
大騒ぎしたいのは関係のない第三者かもしれません。
私はデジタル献花するほどの思いはないですが静かに無事終えてほしいと思います。
一人の人間の死がこれだけの影響力を持つ。安倍元総理は良い意味でも逆の意味でも凄い存在だと思います。
どこか不完全、でも魅力的。
私たちはこの世でいったいどのような影響力をもって旅立つのだろう。
私は大切な家族に見守られながら静かに旅立ちたい。
安倍さんも本当はそうではないだろうか。
自分の使命を最後まで果たそうとした人間、しかしあくまでもそれは政治家として。
本当は地味で素朴な人なのかも。
根拠のない私の意見です。
大騒ぎしたいのは関係のない第三者かもしれません。
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かがみの孤城
娘が買った「かがみの孤城」という本を読みました。ベストセラーになった本みたいでアニメによる映画化もされます。
良くできた作品です。何らかの事情で心に傷を負い学校に行けなくなった少年や少女の気持ちを的確にとらえ時空を超えたストーリーとして完成されています。
主人公はひょんなことから学校の中心的人物から嫌われていじめの対象になりました。自分と付き合った男子が小学生の時に主人公のことが好きだったというだけで。
いじめはあくまでも一人を対象に大人数で行うのです。相手から圧倒的有利を勝ち取ることでいじめの対象者の何もかも否定していく。
主人公は追い詰められて学校にいけなくなってしまいます。そんな日々の中、自分の部屋のかがみが急に光って。
物語はその鏡の中にあるお城の中がメインです。オオカミのお面をかぶった少女が導きます。そこに主人公と同じように学校に行けなくなった7人の少年、少女があつめられて・・・。
いつの時代も人は自分からすると違和感を感じる人をいじめの対象にします。優れていたり、劣っていたり、自分たちの和に入ってこない、大人びている、男子にもてる。
家庭環境や持ってうまれた能力の違いはあって当たり前です。でも学校というところは一種の閉鎖空間でそこでの自分の立ち位置に皆執着してしまうのかもしれません。
何度か出てきたこんな言葉が印象的でした。
「たかが学校」
確かに長い人生からするとたかが学校です。成長期のほんの数年が思うようにいかなくてもいくらでもやり直しができる。
私もそれを経験しました。
いじめではないけど孤立したり、一方的に責められたり。今思い出すと辛い思いでだけどそのことがあったから仏教にも出会いました。
物語は不完全を認め合った7人がお互いを友達だと大切に思いあいます。学校では味わえなかった感覚が異空間の孤城の中でめばえて成長していくのです。
そして現実世界でもお互い助け合おうと誓い。
ネタばれになるのでできれば機会があれば読むことをお薦めします。
世の中はそんなに多くの人に愛されなくてもわずかでも大切に思ってくれる人がいればそれでいいのかもしれません。
「あなたを救いたい」
そう思ってくれる人に出会えたらチャンスです。
それもすべて過去から未来につながった、前世から今世、来世につながった大切な縁かもしれません。
私に救われることを待っている人の為に今を生きたいと思います。
良くできた作品です。何らかの事情で心に傷を負い学校に行けなくなった少年や少女の気持ちを的確にとらえ時空を超えたストーリーとして完成されています。
主人公はひょんなことから学校の中心的人物から嫌われていじめの対象になりました。自分と付き合った男子が小学生の時に主人公のことが好きだったというだけで。
いじめはあくまでも一人を対象に大人数で行うのです。相手から圧倒的有利を勝ち取ることでいじめの対象者の何もかも否定していく。
主人公は追い詰められて学校にいけなくなってしまいます。そんな日々の中、自分の部屋のかがみが急に光って。
物語はその鏡の中にあるお城の中がメインです。オオカミのお面をかぶった少女が導きます。そこに主人公と同じように学校に行けなくなった7人の少年、少女があつめられて・・・。
いつの時代も人は自分からすると違和感を感じる人をいじめの対象にします。優れていたり、劣っていたり、自分たちの和に入ってこない、大人びている、男子にもてる。
家庭環境や持ってうまれた能力の違いはあって当たり前です。でも学校というところは一種の閉鎖空間でそこでの自分の立ち位置に皆執着してしまうのかもしれません。
何度か出てきたこんな言葉が印象的でした。
「たかが学校」
確かに長い人生からするとたかが学校です。成長期のほんの数年が思うようにいかなくてもいくらでもやり直しができる。
私もそれを経験しました。
いじめではないけど孤立したり、一方的に責められたり。今思い出すと辛い思いでだけどそのことがあったから仏教にも出会いました。
物語は不完全を認め合った7人がお互いを友達だと大切に思いあいます。学校では味わえなかった感覚が異空間の孤城の中でめばえて成長していくのです。
そして現実世界でもお互い助け合おうと誓い。
ネタばれになるのでできれば機会があれば読むことをお薦めします。
世の中はそんなに多くの人に愛されなくてもわずかでも大切に思ってくれる人がいればそれでいいのかもしれません。
「あなたを救いたい」
そう思ってくれる人に出会えたらチャンスです。
それもすべて過去から未来につながった、前世から今世、来世につながった大切な縁かもしれません。
私に救われることを待っている人の為に今を生きたいと思います。
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