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楽しくなくては

今の自分を思うと今までの自分を振り返り、またこれからの自分をどう生きるかを模索する期間。ちょうど人生の過度期に来ていると思います。

昔であるなら人生50年。それをすぎてけっして若くはない自分にどう折り合いをつけていくか。

よく有名人でも50歳近くなったら白髪が目立つようになってきています。老いをけっして否定せずに隠さない。
そんな姿に私は少し安心感をおぼえるのです。

自分だけではない。

皆が平等に経験していくこと。でもどこかでその踏ん切りをつければもっと違った世界が見えてくるのではないか。そのようにも思います。

そういえばいかに休みを自分の為だけに費やしていたか。結局、家族よりも自分の身体を鍛えることばかり。疲れていても長い距離を走り、結局休みなようで休みでなく。のこりの時間も横になってばかり。それは妻も切れるわ。

こうなってみてようやく自分を客観視できるようになりました。
何を目指していたのか。

もっと速くはしりたかったけどもういいのではないか。

楽しく走りたい。そう思います。

何でも楽しくなくなったらアウトです。諦めではなくて違う道を見つけたいと思います。
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歩み続けなくてはなりません

あと、数年後は自分の目の前のことは今とはだいぶ変わっているはず。
数年前と今が違うように。

それほど世の中は変わっていくのです。

行く川の流れ絶えずしてとどまることなし

この命も肉体も明らかに授かり物です。

どうにして作られどうにして動いているのだろう。

死んだら無になるのなら、心臓が止まり動かなくなった肉体はもっとそのままなはず。

私には魂が抜けたあとの肉体はその人とは少し違ってしまっているように感じるのです。

やはり、明らかに魂あってこその肉体だと。

この世の絶え間ない変化の中で私たちは肉体という乗り物をさずかり、大いなる意志に導かれながら生きているのです。

魂を光り輝かせる為に

この世のすべきことを全うするまで歩みは止めず、進み続けなくてはなりません。
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現実からの一歩

今年はどうも草を除草剤で枯らすのがうまくいかなったみたいで今日まいたのですがけっこう草が伸びていました。

でもよく考えるとこの雑草、すごいですよね。こちらが枯らそうと手をつくしてもどうにかして生えてくる。何度も切られ、除草剤をかけられなくなったと思っても根が少しでも復活すれば、種が少しでも落ちていればすぐに復活する。

本当にこの生命力、見習わなくてはなりません。
何度でも何度でも失敗しても立ち上がり、もう駄目だと思ってもあきらめずに

たとえ去年できたことが今年できなくなってもそれでもしぶとくくらいつく。
生きてあきらめないかぎりダメにはならない。

心があきらめてなければそれでもうすでの多くのものを手に入れている。

人はマイナスになればいくらでも落ち込む要素をみつけることができます。
でも理想と現実のギャップに落ち込むのではなく、現実からの一歩に喜ぶ自分でありたいと思います。
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ランナーあるある

どう考えても毎日10キロ走る日常に限界がきているようにも感じます。年齢とともに疲れが抜けきらず、仕事は忙しくなるばかり。
確かに数年前よりも一か月に施行するお葬儀の件数も増えているし、法事や細かなアフターも多くなっていく。

身体が休みたいと言っているのにどうしても走ってしまう。これはランナーのあるあるだと思うのだけれど一回同じ悩みをもつ誰かに相談したくなってしまいます。

確実に走ることは衰えています。大会がコロナで中止になりモチベーションがさがりなおかつスピードがあがらない。
毎日走っているのできっかけでもとに戻ると思うのですがどこまでなのか、それ以上、以下なのか。

秋の風を感じながら30キロ走を毎週のようにこなしていた頃が懐かしく思います。月間走行距離は400キロを超えていたでしょう。
今でも300キロ近いはずです。

走らなくなれば体力が衰え、拝む力もなくなるのでは。いやその逆でいまのままでは身体がもたずに仕事に影響してしまうのでは。

ランナーあるあるです。辞めるに辞めれない。程よい塩梅が難しい。

もともと健康維持のため、信仰維持のためです。
拝むのは体力以上に疲れる仕事です。

前のようにではなく今はどうすべきか模索しなくてはなりません。
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夏休みの作品

もうすぐ夏休みも終わります。娘は読書感想文を書いて読ませてくれました。命を題材にした本の感想文。
よく書けていると思います。

毎年、入選はするのです。本好きで文章書くのも好きだから親としても誇らしいです。
ただ優秀作品集みたいなものを読むととてもかなうような気がしません。それに本当にこの文章は小学六年生が書いたのかと思えてきてしまいます。

今回の娘の感想文はいっさい親は手出しせずに自分の言葉で書かせました。今までは嫁がいろいろ助言したらしくすべて自分とは言えない部分もあったのです。

小学生らしい文章。

もっと大人っぽい言い回しや人を引き付ける文章にくみたても必要だったかもしれません。
ただ自分が小学六年生の時に娘よりもうまい文章が書けたかと思うと今回はこれでいいと思いました。

私もけっこう入選していましたから。

絵も傑作が完成していました。これはとても期待できます。フードロスを問題にした作品です。

本当に親を楽しませてくれます。

私の両親もこのように私にことを思っていたのかもしれません。
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