一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
自分の中の自分
今こうしている自分は永遠につづくとはいえません。永遠どころか数年先、数か月先、数日先さえもわからないのです。
久しぶりに会う人が自分自身の記憶にインプットされている本人と違うことに驚くことがあります。それは老化や人格の変化などさまざまなことが要因かもしれませんが、流れゆく川のように逆流してもとに戻ることなどないのです。
今の自分が本当の自分。そして時間や空間の制約を離れたところに本来の自分の中の自分が存在します。
死は永遠の別れではありません。三次元世界の有機物であるこの肉体の寿命がきただけで、その肉体を動かしていた乗り手である魂はなくなることはないのです。永遠に。
いつか私達の魂は母なる故郷に帰らなければなりません。それは神や仏、そして宇宙の根源神といろいろな呼び名がありますが懐かしく暖かく、そして静かで心地よい場所です。
皆平等にその場所に帰ることが約束されています。その意味ではすべてが平等でありへだたりがなく一体なのです。
川の流れのごとく動的なエネルギーにのせられて私達の魂は旅するように活動しています。まるで星々が瞬き、宇宙が鼓動しているかのように小さな宇宙である私達も生かされているのです。
有限であり無限である自分自身を精一杯輝かさなくてはいけません。
久しぶりに会う人が自分自身の記憶にインプットされている本人と違うことに驚くことがあります。それは老化や人格の変化などさまざまなことが要因かもしれませんが、流れゆく川のように逆流してもとに戻ることなどないのです。
今の自分が本当の自分。そして時間や空間の制約を離れたところに本来の自分の中の自分が存在します。
死は永遠の別れではありません。三次元世界の有機物であるこの肉体の寿命がきただけで、その肉体を動かしていた乗り手である魂はなくなることはないのです。永遠に。
いつか私達の魂は母なる故郷に帰らなければなりません。それは神や仏、そして宇宙の根源神といろいろな呼び名がありますが懐かしく暖かく、そして静かで心地よい場所です。
皆平等にその場所に帰ることが約束されています。その意味ではすべてが平等でありへだたりがなく一体なのです。
川の流れのごとく動的なエネルギーにのせられて私達の魂は旅するように活動しています。まるで星々が瞬き、宇宙が鼓動しているかのように小さな宇宙である私達も生かされているのです。
有限であり無限である自分自身を精一杯輝かさなくてはいけません。
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