4日目からの続きです。
● ミッションリベンジ
週末を経て月曜日になったため、この日は市役所を再訪します。
前回足りないと言われた書類は揃えたものの、私の知らない古い時代の戸籍を手に入れるというミッションは重く、他の日のように気軽な気持ちにはなれません。
それでも朝いちで出かけました。
戸籍課に行くと、私の前に待っている人が3人ほどいましたが、みんな早々に済んだようで、すぐに自分の番になりました。
戸籍謄本と抄本、どっちを請求すればいいのかもわからない私。
書類申請の目的は、血縁関係の確認というより、曽祖父の元いた住所を知ること。
それをわかってもらうために、結局自分の状況を詳しく説明することになりました。
● ご先祖様は同姓同名
商家を営んでいたため、祖父は曽祖父の名「重蔵」を襲名しています。
歌舞伎役者のように芸名だけ継ぐのではなく、法律上の名前まで改名しています。
つまり、戸籍上でも祖父と曽祖父は同姓同名になっているため、戸籍課の人に説明するにも、どっちの重蔵のことか、かなりややこしくなっています。
あ~、なんて子孫泣かせのご先祖様たち!
● ミッションクリア
両隣のブースに座る人は、自分の戸籍などの申請ばかりで、サクサクと用が済んで代わっていくのに、私はけっこう長い間相談をすることに。
なんとかして、係の人に、自分の求めていることを理解してもらわない限り、欲しい情報は得られません。
説明をしながら、直系を示す戸籍の必要書類を提出し、曽祖父の戸籍を探してもらえることになりました。
明治前の戸籍はない場合もあるということで、祈る気持ちで検索を待ちます。
「その人まで辿れました」と言ってもらい、安堵の溜息。
わあ、よかったわ~。
肩の力が抜けます。いえいえ、まだすることはあります。
いただいた戸籍(除籍謄本)をうやうやしく受け取り、見てみました。
すると、曽祖父の住所は「岩手県西磐井郡中里村川邉」と書かれていました。
係の人が調べてくれて、「今はその地名は一関市になっています」と教えてくれました。
ありがたいです。市民課の人は、そっけなくて冷たいというイメージで、なかなか腰が上がらなかったのですが、私のややこしい話を丁寧に聞いてもらえて、感激。
青森は特別なのでしょうか?そんなことないかな。
● 古い住所は辿れない
曽祖父のいた岩手の現住所はおおよそわかりましたが、曽祖父と祖父の戸籍に書かれた青森での在住所が違っていました。
それは、戸籍課ではわからないと言われたため、今度は町づくり課に行き、今の住所だとどの辺になるのかを調べてもらいました。
ただ、曽祖父の住所は、陸奥国から始まるもので、「まだ青森県ができてもいないため、調べるのは不可能ですね」と言われました。
「おおよそこの辺だ」と教えてもらったのは、おおよそ今の親の実家のあたり。
つまり、おそらく、住んでいた場所は変わっていないのだろうと思います。
「この辺は、震災復興や地番整理などをすることになっているから、何度か大がかりな地名変更があったんですよ」
青森の中心地付近にあった祖父の住まい。中心地だけに戦争の被害も大きく、青森大空襲で焼け野原になったそうです。
● 下閉伊郡と一関
あらかじめ親から「下閉伊郡(しもへいぐん)から青森に越してきたらしい」と聞いていたため、一関からだったということに驚きました。
下閉伊郡は岩手北部、三陸鉄道の久慈~宮古の間あたりですが、一関だと岩手南部、宮城との県境になり、それぞれけっこう離れています。岩手県って南北に広いですからね。
この日、住所がわかったなら、翌日、三陸鉄道まで下って下閉伊郡で住所を探すつもりでいましたが、一関となると、青森から新幹線で行く距離。
しかも戸籍の住所では番地まではわからないので、すぐには動けなさそう。
う~む。
まあそれにしても、大きな収穫でした。ひまご、がんばったよ、ひいおじいちゃん!
ほっとして、ちょっと休みたくなりました。
● 青森銀行本店
ホテルはルームキーピング中なので、すこし辺りを散策します。
青森銀行本店前まで行ってみました。
父の実家は、青森銀行のすぐそばにあり、今も親戚が住んでいます。
今回は忙しいお盆期間なので、親戚には来ていることは伝えておらず、外から眺めるにとどめました。
ウィンドウから「がまだせ!」という言葉が目に入りました。
(あれ、津軽弁だっけ?)と思ったら、熊本復興支援のブースでした。
熊本弁でしたね。青森の人々もねぶたも、熊本の復興を祈っています。
● レアねぶたマンホール
青森のマンホールは、ねぶたをモチーフにしたデザイン。
どこか一カ所にだけ、カラーのものがあるって聞いたなあ。
どこにあるのか、地元のイトコに教えてもらい、行ってみました。
ありました~!駅からすぐの場所でした。
カラーはやっぱりきれい。ほくほく。
● タバコ税23億
アウガで見かけたこの表示に、唖然として立ち止まりました。
平成24年にはタバコ税が約23億入り、暮らしに役立てられたとして、タバコの購買を勧めています。
確かに税収は入るでしょうけれど、健康はお金に替えられない大切なもの。
県民の皆さん、短命県の汚名を返上しましょうよ~!
● 生れて墨ませんべい
アスパムに立ち寄って、お土産を買いました。
太宰治の生誕100周年記念で企画されたという「生れて墨ませんべい」と「如何せんイカせんべい」!
あちこちで探していながら、なかなか見つけられなかったものをここで発見。
期間限定なのか、東京のアンテナショップではもうお取り寄せはできなくなっています。
在庫のみなのでしょうか。いやーん、いつも売っていてほしいなあ。
なかなかいいお土産だと思うんですけど。太宰の好感度も上がるし(笑)。
アスパム前のポスト。ミニミニミニねぶたが乗っています。
ミニでもやっぱり迫力満点。
ホテルのルームキーピングが終わるのを待って、部屋に戻り、ホッとして横になります。
緊張が解けたので、少し昼寝することにしました。
そう、今は暑い夏休み。毎日忙しく動きまわることはないんです。
暑い日中を部屋でごろごろ過ごし、16時近くなってから、再び外に出かけました。
● 日本一おいしい水
このオブジェ、一見ステキですが、いつ見てもなんとなくこわいです。
食虫植物のようで、エヴァの使徒のようで、21世紀少年のようで。
これはドイツの芸術家による「日本一おいしい水のモニュメント」だそう。
青森の水が、日本一おいしいの?
そばに「利き水ベスト10」が掲示されていました。
これを見ると、確かに青森市が「おいしい」と答えた人が一番多いです。
でも「まずい」と答えた人も、4人います。
さらに、横浜市の相模川の水が5位に入っていました。どれもほんと~?
でも、八甲田と奥入瀬のことを考えると、本当かもとも思えます。
まあ、水がおいしいのは素晴らしいことです!!
● 善知鳥神社
まずはホテル近くの善知鳥神社へ行きました。
以前、父と一緒に参拝したところです。
その時は2月で、境内はすっぽりと雪で覆われており、参道はとっても細く感じました。
実際にはとても立派な参道です。
前は見事に凍っていた池。
今はみずみずしい光景です。
長い角の龍神の守る湧き水。
生命の力を感じます。
● 青森市発祥の地
ところでこの神社の名前、読めますか?
善知鳥は「うとう」と読みます。
実際にいる鳥の名前です。
青森市はその昔、善知鳥村と言われていたそう。
この神社は、青森市発祥の地と言われています。
残念ながら、今の青森に、善知鳥はいないのだそう。
献納された宮城の善知鳥の剥製がありました。
つぶらな瞳がかわいいわ~。
大安鯛みくじがありました。
竹びつに入った赤い鯛を釣り竿で引き上げます。
カワイイし、一年安鯛(泰)になるそうですよ。
● 奥州街道終点記念の碑
江戸時代五街道の一つ、奥州街道。東京日本橋が起点です。
終点の場所にはさまざまな説がありますが、ここはその有力地。
近くの青い森公園前の道路にも「終点」と書かれた標示が埋め込まれているのを、前に見つけたことがあります。
● 人だらけの合浦公園
お盆の15日のこの日、母方の祖母のお墓参りをしようと思いました。(場所がわかるため)
父の実家の前を通り、提川を渡り、東岳の方面にひたすら東に歩いて行くと、公園が見えてきました。
合浦(がっぽ)公園です。訪れるのは子供の時ぶり。
一人で訪れるのは初めてです。まあ、青森の場所を単身訪れたのは、今回がほぼ初めてですが。
なんだか私の記憶よりも、ずいぶん大勢の人で賑わっています。
みんなスマホを持ってウロウロ。ポケモンGOをやっている人達でした。
青森でも、みんな夢中のようです。
私は、ポケモンではないものを探してキョロキョロ。
きっと海岸の方で見つかるだろうと、海の方へ行ってみます。
● 青森のアイス
あ、見つけたー。それはアイスクリームの屋台。
青森のアイスはとってもおいしくて大好きですが、なかなか食べる機会がないのが残念な点。
前日の恐山での霊場アイスで味をしめたので、平地でも食べたいと思いましたが、道端に売り子さんがいるわけではありません。
どこに行けばいいのかわからず、結局子供の頃に食べたことがある合浦公園で、探すことにしたのです。
よそってくれたのは、おばあさんではなく青年。珍しいわ。
ここでも秋田のババヘラアイスと同じかと聞いてみたところ、やっぱり違うものだとの返事でした。「会社も違うし」とのこと。
久しぶりの青森アイスに、テンションが上ります。
浜辺では少年二人が楽しそうに砂むし風呂ごっこをしていましたが、そんなことはお構いなしにアイスをパチリ。
そんな私が愛してやまない青森のアイスに「特別な名前はない」と親戚から聞いていましたが、どうもチリンチリンアイスというようです。
たしかに、チリンチリンと鳴る鐘の音が聞こえてくると、それはアイス売りが近づいてきたサイン。
おこづかいをもらって、通りに買いに行ったものでした。
アイスをなめなめ、公園内を散策。
● お墓参り
元気になって、再び歩き続けます。
親や親戚に連れられていた子供の時以来でも、意外に道を覚えているもので、迷わずに墓地に着きました。
ただ、祖母のお墓を探すのに一苦労。母方の苗字が多い地区で、墓石に刻まれた家紋もみんな同じ。
どんどん日暮れが近づいてくる頃なので、途方に暮れました。
それでも一つ一つ確かめながら探して行って、とうとう発見。
お墓に花を添えて、ご先祖様にご挨拶しました。
きれいに掃除されており、親戚がすでにお参りしたことがわかりました。
近くにある神社も参拝。夏祭りにイトコたちみんなで行ったものです。
雪深い青森では、公衆電話ボックスは数段階段を上ったところにありますが、ここでは鳥居も上げ底しています。
土地の人たちで管理しているお稲荷さん。無人ながら、きれいに手入れが行き届いていました。
● 帰りはずぶぬれ
祖母の家に続く懐かしい道を通り、県立病院の周りを通って、帰途に着きます。
帰りはバスにしようかな、と思いましたが、今回の旅は交通機関に乗ることが多く、あまり歩いていないため、この日は歩くデーにしようと思いました。
ぽつぽつ雨が降ってきたと思ったら、けっこうまとまった雨がザーッと降り始めました。
やっぱりバスに乗ろうと時刻表を見ましたが、とても本数が少なかったので、諦めました。
雨が降っていても夕焼けが出ている不思議な空。自分の頭の上だけ雨雲が密集していたのでしょう。
青森駅(堤川)方面。
母によく教えられた東岳(あずまだけ)。
けっこう本格的な雨となり、ずぶぬれになって絶望しかけましたが、そのうちに、徐々に雨脚は治まってきました。
1時間少し歩いて、無事に宿に戻り、すぐにお風呂に入ってリフレッシュしました。
この日は青森市内で過ごしました。
お盆の15日にご先祖様の戸籍を入手し、ご先祖様のお墓参りもできて、よかったです。
6日目に続きます。
● ミッションリベンジ
週末を経て月曜日になったため、この日は市役所を再訪します。
前回足りないと言われた書類は揃えたものの、私の知らない古い時代の戸籍を手に入れるというミッションは重く、他の日のように気軽な気持ちにはなれません。
それでも朝いちで出かけました。
戸籍課に行くと、私の前に待っている人が3人ほどいましたが、みんな早々に済んだようで、すぐに自分の番になりました。
戸籍謄本と抄本、どっちを請求すればいいのかもわからない私。
書類申請の目的は、血縁関係の確認というより、曽祖父の元いた住所を知ること。
それをわかってもらうために、結局自分の状況を詳しく説明することになりました。
● ご先祖様は同姓同名
商家を営んでいたため、祖父は曽祖父の名「重蔵」を襲名しています。
歌舞伎役者のように芸名だけ継ぐのではなく、法律上の名前まで改名しています。
つまり、戸籍上でも祖父と曽祖父は同姓同名になっているため、戸籍課の人に説明するにも、どっちの重蔵のことか、かなりややこしくなっています。
あ~、なんて子孫泣かせのご先祖様たち!
● ミッションクリア
両隣のブースに座る人は、自分の戸籍などの申請ばかりで、サクサクと用が済んで代わっていくのに、私はけっこう長い間相談をすることに。
なんとかして、係の人に、自分の求めていることを理解してもらわない限り、欲しい情報は得られません。
説明をしながら、直系を示す戸籍の必要書類を提出し、曽祖父の戸籍を探してもらえることになりました。
明治前の戸籍はない場合もあるということで、祈る気持ちで検索を待ちます。
「その人まで辿れました」と言ってもらい、安堵の溜息。
わあ、よかったわ~。
肩の力が抜けます。いえいえ、まだすることはあります。
いただいた戸籍(除籍謄本)をうやうやしく受け取り、見てみました。
すると、曽祖父の住所は「岩手県西磐井郡中里村川邉」と書かれていました。
係の人が調べてくれて、「今はその地名は一関市になっています」と教えてくれました。
ありがたいです。市民課の人は、そっけなくて冷たいというイメージで、なかなか腰が上がらなかったのですが、私のややこしい話を丁寧に聞いてもらえて、感激。
青森は特別なのでしょうか?そんなことないかな。
● 古い住所は辿れない
曽祖父のいた岩手の現住所はおおよそわかりましたが、曽祖父と祖父の戸籍に書かれた青森での在住所が違っていました。
それは、戸籍課ではわからないと言われたため、今度は町づくり課に行き、今の住所だとどの辺になるのかを調べてもらいました。
ただ、曽祖父の住所は、陸奥国から始まるもので、「まだ青森県ができてもいないため、調べるのは不可能ですね」と言われました。
「おおよそこの辺だ」と教えてもらったのは、おおよそ今の親の実家のあたり。
つまり、おそらく、住んでいた場所は変わっていないのだろうと思います。
「この辺は、震災復興や地番整理などをすることになっているから、何度か大がかりな地名変更があったんですよ」
青森の中心地付近にあった祖父の住まい。中心地だけに戦争の被害も大きく、青森大空襲で焼け野原になったそうです。
● 下閉伊郡と一関
あらかじめ親から「下閉伊郡(しもへいぐん)から青森に越してきたらしい」と聞いていたため、一関からだったということに驚きました。
下閉伊郡は岩手北部、三陸鉄道の久慈~宮古の間あたりですが、一関だと岩手南部、宮城との県境になり、それぞれけっこう離れています。岩手県って南北に広いですからね。
この日、住所がわかったなら、翌日、三陸鉄道まで下って下閉伊郡で住所を探すつもりでいましたが、一関となると、青森から新幹線で行く距離。
しかも戸籍の住所では番地まではわからないので、すぐには動けなさそう。
う~む。
まあそれにしても、大きな収穫でした。ひまご、がんばったよ、ひいおじいちゃん!
ほっとして、ちょっと休みたくなりました。
● 青森銀行本店
ホテルはルームキーピング中なので、すこし辺りを散策します。
青森銀行本店前まで行ってみました。
父の実家は、青森銀行のすぐそばにあり、今も親戚が住んでいます。
今回は忙しいお盆期間なので、親戚には来ていることは伝えておらず、外から眺めるにとどめました。
ウィンドウから「がまだせ!」という言葉が目に入りました。
(あれ、津軽弁だっけ?)と思ったら、熊本復興支援のブースでした。
熊本弁でしたね。青森の人々もねぶたも、熊本の復興を祈っています。
● レアねぶたマンホール
青森のマンホールは、ねぶたをモチーフにしたデザイン。
どこか一カ所にだけ、カラーのものがあるって聞いたなあ。
どこにあるのか、地元のイトコに教えてもらい、行ってみました。
ありました~!駅からすぐの場所でした。
カラーはやっぱりきれい。ほくほく。
● タバコ税23億
アウガで見かけたこの表示に、唖然として立ち止まりました。
平成24年にはタバコ税が約23億入り、暮らしに役立てられたとして、タバコの購買を勧めています。
確かに税収は入るでしょうけれど、健康はお金に替えられない大切なもの。
県民の皆さん、短命県の汚名を返上しましょうよ~!
● 生れて墨ませんべい
アスパムに立ち寄って、お土産を買いました。
太宰治の生誕100周年記念で企画されたという「生れて墨ませんべい」と「如何せんイカせんべい」!
あちこちで探していながら、なかなか見つけられなかったものをここで発見。
期間限定なのか、東京のアンテナショップではもうお取り寄せはできなくなっています。
在庫のみなのでしょうか。いやーん、いつも売っていてほしいなあ。
なかなかいいお土産だと思うんですけど。太宰の好感度も上がるし(笑)。
アスパム前のポスト。ミニミニミニねぶたが乗っています。
ミニでもやっぱり迫力満点。
ホテルのルームキーピングが終わるのを待って、部屋に戻り、ホッとして横になります。
緊張が解けたので、少し昼寝することにしました。
そう、今は暑い夏休み。毎日忙しく動きまわることはないんです。
暑い日中を部屋でごろごろ過ごし、16時近くなってから、再び外に出かけました。
● 日本一おいしい水
このオブジェ、一見ステキですが、いつ見てもなんとなくこわいです。
食虫植物のようで、エヴァの使徒のようで、21世紀少年のようで。
これはドイツの芸術家による「日本一おいしい水のモニュメント」だそう。
青森の水が、日本一おいしいの?
そばに「利き水ベスト10」が掲示されていました。
これを見ると、確かに青森市が「おいしい」と答えた人が一番多いです。
でも「まずい」と答えた人も、4人います。
さらに、横浜市の相模川の水が5位に入っていました。どれもほんと~?
でも、八甲田と奥入瀬のことを考えると、本当かもとも思えます。
まあ、水がおいしいのは素晴らしいことです!!
● 善知鳥神社
まずはホテル近くの善知鳥神社へ行きました。
以前、父と一緒に参拝したところです。
その時は2月で、境内はすっぽりと雪で覆われており、参道はとっても細く感じました。
実際にはとても立派な参道です。
前は見事に凍っていた池。
今はみずみずしい光景です。
長い角の龍神の守る湧き水。
生命の力を感じます。
● 青森市発祥の地
ところでこの神社の名前、読めますか?
善知鳥は「うとう」と読みます。
実際にいる鳥の名前です。
青森市はその昔、善知鳥村と言われていたそう。
この神社は、青森市発祥の地と言われています。
残念ながら、今の青森に、善知鳥はいないのだそう。
献納された宮城の善知鳥の剥製がありました。
つぶらな瞳がかわいいわ~。
大安鯛みくじがありました。
竹びつに入った赤い鯛を釣り竿で引き上げます。
カワイイし、一年安鯛(泰)になるそうですよ。
● 奥州街道終点記念の碑
江戸時代五街道の一つ、奥州街道。東京日本橋が起点です。
終点の場所にはさまざまな説がありますが、ここはその有力地。
近くの青い森公園前の道路にも「終点」と書かれた標示が埋め込まれているのを、前に見つけたことがあります。
● 人だらけの合浦公園
お盆の15日のこの日、母方の祖母のお墓参りをしようと思いました。(場所がわかるため)
父の実家の前を通り、提川を渡り、東岳の方面にひたすら東に歩いて行くと、公園が見えてきました。
合浦(がっぽ)公園です。訪れるのは子供の時ぶり。
一人で訪れるのは初めてです。まあ、青森の場所を単身訪れたのは、今回がほぼ初めてですが。
なんだか私の記憶よりも、ずいぶん大勢の人で賑わっています。
みんなスマホを持ってウロウロ。ポケモンGOをやっている人達でした。
青森でも、みんな夢中のようです。
私は、ポケモンではないものを探してキョロキョロ。
きっと海岸の方で見つかるだろうと、海の方へ行ってみます。
● 青森のアイス
あ、見つけたー。それはアイスクリームの屋台。
青森のアイスはとってもおいしくて大好きですが、なかなか食べる機会がないのが残念な点。
前日の恐山での霊場アイスで味をしめたので、平地でも食べたいと思いましたが、道端に売り子さんがいるわけではありません。
どこに行けばいいのかわからず、結局子供の頃に食べたことがある合浦公園で、探すことにしたのです。
よそってくれたのは、おばあさんではなく青年。珍しいわ。
ここでも秋田のババヘラアイスと同じかと聞いてみたところ、やっぱり違うものだとの返事でした。「会社も違うし」とのこと。
久しぶりの青森アイスに、テンションが上ります。
浜辺では少年二人が楽しそうに砂むし風呂ごっこをしていましたが、そんなことはお構いなしにアイスをパチリ。
そんな私が愛してやまない青森のアイスに「特別な名前はない」と親戚から聞いていましたが、どうもチリンチリンアイスというようです。
たしかに、チリンチリンと鳴る鐘の音が聞こえてくると、それはアイス売りが近づいてきたサイン。
おこづかいをもらって、通りに買いに行ったものでした。
アイスをなめなめ、公園内を散策。
● お墓参り
元気になって、再び歩き続けます。
親や親戚に連れられていた子供の時以来でも、意外に道を覚えているもので、迷わずに墓地に着きました。
ただ、祖母のお墓を探すのに一苦労。母方の苗字が多い地区で、墓石に刻まれた家紋もみんな同じ。
どんどん日暮れが近づいてくる頃なので、途方に暮れました。
それでも一つ一つ確かめながら探して行って、とうとう発見。
お墓に花を添えて、ご先祖様にご挨拶しました。
きれいに掃除されており、親戚がすでにお参りしたことがわかりました。
近くにある神社も参拝。夏祭りにイトコたちみんなで行ったものです。
雪深い青森では、公衆電話ボックスは数段階段を上ったところにありますが、ここでは鳥居も上げ底しています。
土地の人たちで管理しているお稲荷さん。無人ながら、きれいに手入れが行き届いていました。
● 帰りはずぶぬれ
祖母の家に続く懐かしい道を通り、県立病院の周りを通って、帰途に着きます。
帰りはバスにしようかな、と思いましたが、今回の旅は交通機関に乗ることが多く、あまり歩いていないため、この日は歩くデーにしようと思いました。
ぽつぽつ雨が降ってきたと思ったら、けっこうまとまった雨がザーッと降り始めました。
やっぱりバスに乗ろうと時刻表を見ましたが、とても本数が少なかったので、諦めました。
雨が降っていても夕焼けが出ている不思議な空。自分の頭の上だけ雨雲が密集していたのでしょう。
青森駅(堤川)方面。
母によく教えられた東岳(あずまだけ)。
けっこう本格的な雨となり、ずぶぬれになって絶望しかけましたが、そのうちに、徐々に雨脚は治まってきました。
1時間少し歩いて、無事に宿に戻り、すぐにお風呂に入ってリフレッシュしました。
この日は青森市内で過ごしました。
お盆の15日にご先祖様の戸籍を入手し、ご先祖様のお墓参りもできて、よかったです。
6日目に続きます。