風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

みちのく津軽ひとり旅 5 青森

2017-02-22 | 東北
4日目からの続きです。

● ミッションリベンジ

週末を経て月曜日になったため、この日は市役所を再訪します。
前回足りないと言われた書類は揃えたものの、私の知らない古い時代の戸籍を手に入れるというミッションは重く、他の日のように気軽な気持ちにはなれません。
それでも朝いちで出かけました。

戸籍課に行くと、私の前に待っている人が3人ほどいましたが、みんな早々に済んだようで、すぐに自分の番になりました。
戸籍謄本と抄本、どっちを請求すればいいのかもわからない私。
書類申請の目的は、血縁関係の確認というより、曽祖父の元いた住所を知ること。
それをわかってもらうために、結局自分の状況を詳しく説明することになりました。

● ご先祖様は同姓同名

商家を営んでいたため、祖父は曽祖父の名「重蔵」を襲名しています。
歌舞伎役者のように芸名だけ継ぐのではなく、法律上の名前まで改名しています。
つまり、戸籍上でも祖父と曽祖父は同姓同名になっているため、戸籍課の人に説明するにも、どっちの重蔵のことか、かなりややこしくなっています。
あ~、なんて子孫泣かせのご先祖様たち!

● ミッションクリア

両隣のブースに座る人は、自分の戸籍などの申請ばかりで、サクサクと用が済んで代わっていくのに、私はけっこう長い間相談をすることに。
なんとかして、係の人に、自分の求めていることを理解してもらわない限り、欲しい情報は得られません。
説明をしながら、直系を示す戸籍の必要書類を提出し、曽祖父の戸籍を探してもらえることになりました。

明治前の戸籍はない場合もあるということで、祈る気持ちで検索を待ちます。
「その人まで辿れました」と言ってもらい、安堵の溜息。
わあ、よかったわ~。
肩の力が抜けます。いえいえ、まだすることはあります。

いただいた戸籍(除籍謄本)をうやうやしく受け取り、見てみました。
すると、曽祖父の住所は「岩手県西磐井郡中里村川邉」と書かれていました。
係の人が調べてくれて、「今はその地名は一関市になっています」と教えてくれました。
ありがたいです。市民課の人は、そっけなくて冷たいというイメージで、なかなか腰が上がらなかったのですが、私のややこしい話を丁寧に聞いてもらえて、感激。
青森は特別なのでしょうか?そんなことないかな。

● 古い住所は辿れない

曽祖父のいた岩手の現住所はおおよそわかりましたが、曽祖父と祖父の戸籍に書かれた青森での在住所が違っていました。
それは、戸籍課ではわからないと言われたため、今度は町づくり課に行き、今の住所だとどの辺になるのかを調べてもらいました。
ただ、曽祖父の住所は、陸奥国から始まるもので、「まだ青森県ができてもいないため、調べるのは不可能ですね」と言われました。
「おおよそこの辺だ」と教えてもらったのは、おおよそ今の親の実家のあたり。
つまり、おそらく、住んでいた場所は変わっていないのだろうと思います。
「この辺は、震災復興や地番整理などをすることになっているから、何度か大がかりな地名変更があったんですよ」
青森の中心地付近にあった祖父の住まい。中心地だけに戦争の被害も大きく、青森大空襲で焼け野原になったそうです。

● 下閉伊郡と一関

あらかじめ親から「下閉伊郡(しもへいぐん)から青森に越してきたらしい」と聞いていたため、一関からだったということに驚きました。
下閉伊郡は岩手北部、三陸鉄道の久慈~宮古の間あたりですが、一関だと岩手南部、宮城との県境になり、それぞれけっこう離れています。岩手県って南北に広いですからね。
この日、住所がわかったなら、翌日、三陸鉄道まで下って下閉伊郡で住所を探すつもりでいましたが、一関となると、青森から新幹線で行く距離。
しかも戸籍の住所では番地まではわからないので、すぐには動けなさそう。
う~む。
まあそれにしても、大きな収穫でした。ひまご、がんばったよ、ひいおじいちゃん!
ほっとして、ちょっと休みたくなりました。

● 青森銀行本店

ホテルはルームキーピング中なので、すこし辺りを散策します。
青森銀行本店前まで行ってみました。



父の実家は、青森銀行のすぐそばにあり、今も親戚が住んでいます。
今回は忙しいお盆期間なので、親戚には来ていることは伝えておらず、外から眺めるにとどめました。

ウィンドウから「がまだせ!」という言葉が目に入りました。
(あれ、津軽弁だっけ?)と思ったら、熊本復興支援のブースでした。
熊本弁でしたね。青森の人々もねぶたも、熊本の復興を祈っています。



● レアねぶたマンホール

青森のマンホールは、ねぶたをモチーフにしたデザイン。
どこか一カ所にだけ、カラーのものがあるって聞いたなあ。



どこにあるのか、地元のイトコに教えてもらい、行ってみました。
ありました~!駅からすぐの場所でした。
カラーはやっぱりきれい。ほくほく。



● タバコ税23億

アウガで見かけたこの表示に、唖然として立ち止まりました。
平成24年にはタバコ税が約23億入り、暮らしに役立てられたとして、タバコの購買を勧めています。



確かに税収は入るでしょうけれど、健康はお金に替えられない大切なもの。
県民の皆さん、短命県の汚名を返上しましょうよ~!

● 生れて墨ませんべい

アスパムに立ち寄って、お土産を買いました。
太宰治の生誕100周年記念で企画されたという「生れて墨ませんべい」と「如何せんイカせんべい」!



あちこちで探していながら、なかなか見つけられなかったものをここで発見。
期間限定なのか、東京のアンテナショップではもうお取り寄せはできなくなっています。
在庫のみなのでしょうか。いやーん、いつも売っていてほしいなあ。
なかなかいいお土産だと思うんですけど。太宰の好感度も上がるし(笑)。



アスパム前のポスト。ミニミニミニねぶたが乗っています。
ミニでもやっぱり迫力満点。

ホテルのルームキーピングが終わるのを待って、部屋に戻り、ホッとして横になります。
緊張が解けたので、少し昼寝することにしました。
そう、今は暑い夏休み。毎日忙しく動きまわることはないんです。

暑い日中を部屋でごろごろ過ごし、16時近くなってから、再び外に出かけました。

● 日本一おいしい水

このオブジェ、一見ステキですが、いつ見てもなんとなくこわいです。
食虫植物のようで、エヴァの使徒のようで、21世紀少年のようで。



これはドイツの芸術家による「日本一おいしい水のモニュメント」だそう。
青森の水が、日本一おいしいの?



そばに「利き水ベスト10」が掲示されていました。
これを見ると、確かに青森市が「おいしい」と答えた人が一番多いです。
でも「まずい」と答えた人も、4人います。
さらに、横浜市の相模川の水が5位に入っていました。どれもほんと~?



でも、八甲田と奥入瀬のことを考えると、本当かもとも思えます。
まあ、水がおいしいのは素晴らしいことです!!

● 善知鳥神社

まずはホテル近くの善知鳥神社へ行きました。



以前、父と一緒に参拝したところです。
その時は2月で、境内はすっぽりと雪で覆われており、参道はとっても細く感じました。
実際にはとても立派な参道です。



前は見事に凍っていた池。
今はみずみずしい光景です。



長い角の龍神の守る湧き水。
生命の力を感じます。



● 青森市発祥の地

ところでこの神社の名前、読めますか?
善知鳥は「うとう」と読みます。
実際にいる鳥の名前です。

青森市はその昔、善知鳥村と言われていたそう。
この神社は、青森市発祥の地と言われています。



残念ながら、今の青森に、善知鳥はいないのだそう。
献納された宮城の善知鳥の剥製がありました。
つぶらな瞳がかわいいわ~。



大安鯛みくじがありました。
竹びつに入った赤い鯛を釣り竿で引き上げます。
カワイイし、一年安鯛(泰)になるそうですよ。

● 奥州街道終点記念の碑

江戸時代五街道の一つ、奥州街道。東京日本橋が起点です。
終点の場所にはさまざまな説がありますが、ここはその有力地。



近くの青い森公園前の道路にも「終点」と書かれた標示が埋め込まれているのを、前に見つけたことがあります。

● 人だらけの合浦公園

お盆の15日のこの日、母方の祖母のお墓参りをしようと思いました。(場所がわかるため)
父の実家の前を通り、提川を渡り、東岳の方面にひたすら東に歩いて行くと、公園が見えてきました。
合浦(がっぽ)公園です。訪れるのは子供の時ぶり。
一人で訪れるのは初めてです。まあ、青森の場所を単身訪れたのは、今回がほぼ初めてですが。



なんだか私の記憶よりも、ずいぶん大勢の人で賑わっています。
みんなスマホを持ってウロウロ。ポケモンGOをやっている人達でした。
青森でも、みんな夢中のようです。



私は、ポケモンではないものを探してキョロキョロ。
きっと海岸の方で見つかるだろうと、海の方へ行ってみます。

● 青森のアイス

あ、見つけたー。それはアイスクリームの屋台。



青森のアイスはとってもおいしくて大好きですが、なかなか食べる機会がないのが残念な点。
前日の恐山での霊場アイスで味をしめたので、平地でも食べたいと思いましたが、道端に売り子さんがいるわけではありません。
どこに行けばいいのかわからず、結局子供の頃に食べたことがある合浦公園で、探すことにしたのです。



よそってくれたのは、おばあさんではなく青年。珍しいわ。
ここでも秋田のババヘラアイスと同じかと聞いてみたところ、やっぱり違うものだとの返事でした。「会社も違うし」とのこと。
久しぶりの青森アイスに、テンションが上ります。
浜辺では少年二人が楽しそうに砂むし風呂ごっこをしていましたが、そんなことはお構いなしにアイスをパチリ。



そんな私が愛してやまない青森のアイスに「特別な名前はない」と親戚から聞いていましたが、どうもチリンチリンアイスというようです。
たしかに、チリンチリンと鳴る鐘の音が聞こえてくると、それはアイス売りが近づいてきたサイン。
おこづかいをもらって、通りに買いに行ったものでした。



アイスをなめなめ、公園内を散策。

● お墓参り

元気になって、再び歩き続けます。
親や親戚に連れられていた子供の時以来でも、意外に道を覚えているもので、迷わずに墓地に着きました。
ただ、祖母のお墓を探すのに一苦労。母方の苗字が多い地区で、墓石に刻まれた家紋もみんな同じ。
どんどん日暮れが近づいてくる頃なので、途方に暮れました。
それでも一つ一つ確かめながら探して行って、とうとう発見。
お墓に花を添えて、ご先祖様にご挨拶しました。
きれいに掃除されており、親戚がすでにお参りしたことがわかりました。



近くにある神社も参拝。夏祭りにイトコたちみんなで行ったものです。
雪深い青森では、公衆電話ボックスは数段階段を上ったところにありますが、ここでは鳥居も上げ底しています。



土地の人たちで管理しているお稲荷さん。無人ながら、きれいに手入れが行き届いていました。

● 帰りはずぶぬれ

祖母の家に続く懐かしい道を通り、県立病院の周りを通って、帰途に着きます。
帰りはバスにしようかな、と思いましたが、今回の旅は交通機関に乗ることが多く、あまり歩いていないため、この日は歩くデーにしようと思いました。

ぽつぽつ雨が降ってきたと思ったら、けっこうまとまった雨がザーッと降り始めました。
やっぱりバスに乗ろうと時刻表を見ましたが、とても本数が少なかったので、諦めました。
雨が降っていても夕焼けが出ている不思議な空。自分の頭の上だけ雨雲が密集していたのでしょう。

青森駅(堤川)方面。


母によく教えられた東岳(あずまだけ)。


けっこう本格的な雨となり、ずぶぬれになって絶望しかけましたが、そのうちに、徐々に雨脚は治まってきました。
1時間少し歩いて、無事に宿に戻り、すぐにお風呂に入ってリフレッシュしました。

この日は青森市内で過ごしました。
お盆の15日にご先祖様の戸籍を入手し、ご先祖様のお墓参りもできて、よかったです。

6日目に続きます。


みちのく津軽ひとり旅 4-2

2017-02-21 | 東北
その1からの続きです。

● 恐山霊場スパ

じっくりと地獄を周り終えました。なんだか肩の荷が落ちたような気がします。
お次は、木造の小さな湯小屋へと向かいます。

恐山は活火山。辺りに硫黄の香りが漂っているように、温泉が湧き出ており、入山者は入ることができます。
なんと無料で。

恐山で温泉なんて、意外な気がしますが、地表のあちこちから硫黄ガスが出ている場所ですからね。
掘っ立て小屋のような湯屋の木戸をガラガラと開けて、中に入ってみました。
浴槽が2つ並んでいる、シンプルな作り。
壁には、鍵のかかっていない大きな窓。
本当にスカスカで、見られるとなったらもう見られ放題。
さらに混浴もあるのです。煩悩を持って入ってはいけないということでしょうか。

(わざわざここまできて入湯しなくても・・・真夏だし)という逃げの気持ちがありますが、
(わざわざここまできたからこそ、入湯しよう)と気合を入れ直し、えいやっと、勇気を出して入ります。
この世のものならぬ霊魂が集う恐山でスッパダカになるのは、かなり勇気がいるものです。



● もう一人の単身女性

おちつかないシチュエーションに緊張しながら浴槽に身を沈めると、まろやかなとてもいいお湯でした。
湯の花も浮いています。
さすが、活火山の恵み。硫化水素含有酸性緑ばん泉という泉質だそうです。(むずかしー)
初めての霊場スパをドキドキ体験しているところに、もう一人女性がやってきました。
行きのバスで同じだった人です。

湯船につかりながら、二人でおしゃべりをしました。
仙台からきたとのことで、仙台のどこかと聞いたら「多賀城ってところです」
「私、住んでいたことがありますよ」
「え?いま高砂に住んでます」「私は鶴ヶ谷にいました」
「わー、なんて偶然!」
現多賀城人と元多賀城人が、地の果ての温泉で巡り合いました。

青森からフェリーで下北半島の脇野沢まで行き、そこからバスを乗り継いできたという彼女。
いいですね~。ドラマチックですね~。もうその冒険者ルートを聞いただけで、彼女のことが好きになっています。
そのフェリーが遅れて、バスに乗りそこねてしまい、真っ青になっていたら(田舎では1本バスを逃すと致命的)、地元の人が「バスに乗り遅れたんだな?じゃあバスに追いついてやるから、乗ってけ」と、車に乗せてバスを追い越してくれたそう。
こちらには暖かい人が多くて、ありがたいわ~。

まさか、恐山の温泉で、そんなくだけた話ができるとは思いませんでした。
つい話し込んでしまい、長めにお湯につかってしまったようです。
硫黄泉につかるのは、長くて10分ほどにしておくところを、その倍くらい入っていました。
う~ん、ちょっと頭がくらくらするから、少し湯冷まししなくちゃ。
その女性は、もう一つの温泉にも入るということで、そこで一旦お別れしました。

● 合掌...霊場アイス

すっかりほてほてにのぼせたので、さらに温泉に入る気にはなれず、外に出ます。
お寺の入口で売られている霊場アイスに引き寄せられていきました。



霊場アイスですよ!すごいネーミングですよね!
魂レベルで心底ひんやりしそう。
恐山に来たら、ぜひともこのアイスを試してみたかったんです。
だって、青森のチリンチリンアイスが大好きなんですもの~。
「(秋田の)ババヘラアイスですか?」と聞くと、盛ってくれたおばあちゃんは「似ているけれどちょっと違うよ」と言いました。



ブルーベリーとよもぎとバニラのミックス。変わった取り合わせですねえ。
まあ、健康そうだから、いっか。
横のベンチに座って食べていたら、呼び水になったのか買いに来る人が集まりだして、商売繁盛のおばあちゃん。
おいしかったです~。特にヨモギは、周りからも大好評。
温泉後のアイスなんて格別。
精進落としもできて、いつの間にか恐山をエンジョイ満喫しています。

アイスでひんやり涼んだところで、再び入山。
訪れた時よりも、雲が薄れてきれいな青空が見えてきました。
地獄巡りを済ませて温泉に入り、アイスを食べてスッキリした私の気持ちを反映しているようです。



● イタコはいない

恐山に行ったことがあると話すと「イタコに会った?」と必ず聞かれます。
全国レベルでイタコが有名なことに、内心ビックリ。
でもイタコは恐山にいつもいるわけではありません。
7月と10月のお祭りの数日間いるだけで、普段はいないのです。



裏山にある展望所に登ると、お寺の広い敷地が見渡せました。
恐山菩提寺の南直哉院代は、語る禅僧として知られています。
彼の著書を何冊か読んだことがあり、とても頭が切れる方だという印象。
下山中でなければ、きっとこの視界の中のどこかにいて、修行中なんでしょう。



● 恐山は畏れるところ

賽の河原一帯はには緑が何も生えていませんが、境内にはジャングルのように木々がうっそうと茂った場所もあります。



こちら側から見る宇曽利湖は、割と普通の顔。
(きれいだな)というくらいで、生死に絡むいろいろな感情は引き起こされません。



やはり賽の河原で地獄めぐりをした後、浄土ヶ浜から眺める宇曽利湖でないと、恐山の景色とは思えないのです。
人は非日常な光景を前に呆然とするために、ここまで来るのですから。



● 下界へのバス

お寺の敷地内にある龍神社をお参りしていたら、13時発の帰りのバスの時間が近づいてきました。
行きの乗客のほとんどがこの便に乗り込むため、バス停前で先ほどの女性とも再会。
バスの中では前後に座り、連絡先を交換し合いました。

バスは霊界の門を抜け、冷水の横を通り過ぎて、私たちを人里へと連れ戻してくれました。
下北駅に着いたところで、彼女とお別れ。ここからバスを乗り換えて、大間に向かうとのこと。
この日は大間でまぐろ祭りがあるそうで「30分くらいしかいられないけど、マグロを食べてきます!」とやっぱりパワフル。
「夜は八戸屋台村のみろく横丁で飲み明かします!」と楽しそう。
八戸といったら八食センターしか知りませんでしたが、ディープな場所があるんですね。

● てっぺんの終着駅

私はJRはまなすベイライン大湊線の下りに乗り、隣駅で終点の大湊駅まで行ってみました。



下北半島の終着駅。もうここから先に、線路はありません。



最果ての駅の周辺をちょっと見てみようと思ったわけですが、改札の外には、ここからの電車に乗ろうと大勢の人たちが行列を作って並んで待っていたため、私もその最後尾について、慌ただしく再乗車しました。
すっかり夏のいい天気。さっきまでの重苦しい雲は、どこへ消えたんでしょうね。



真っ白なドーム。なんだろう。
あとで調べたら、しもきた克雪ドームでした。



冬の大雪の季節には引きこもりがちになり、病気を多発する県民の運動不足に悩む青森。
ここはそれを解消する、全天候型のスポーツ施設でした。
雪見大福のような、雪苺娘のような、とにかくおいしそう~。(運動する気ナシ)

● 帰りの大湊線

折り返しは快速電車となり、混んでいました。
帰りも陸奥横浜で途中下車ができないかと調べてみましたが、大湊線は本数が少なく、次の電車が来るのは2時間後。
2時間そこで過ごせそうになかったため、通過します。



海は日光を受けてキラキラしていました。



うつらうつらしながら、ふと目を開けると、窓のところに蛾が迷い込んでいました。
普段なら(蛾だ!助けて~)と落ち着かなくなりますが、恐山から帰ってきた後では(生きとし生きるものは大切にしよう)という、だだっ広い気持ちになっており、あまり気になりませんでした。



そのうちに蛾は、どこかに行ってしまいました。



● 下北半島から津軽半島へ

再び野辺地で乗り換えて、青森に到着。まだ日は高いです。
もう少しどこかに行きたいなあと思い、今度は津軽線に乗って、終点の蟹田まで行ってみることにしました。

青森の電車は、ホームから一段高くなっています。
窓の外の景色を取ろうと夢中になっていると、いつも足元不注意となり、バランスを崩してガクッと落ちかけます。(学習能力がない)
雪が深いからでしょうか。足元ヒーターが床に入っているんでしょうか。



津軽半島の途中まで続く津軽線。
こちらも海沿いをゴトゴトと走って行くため、今度は先ほど大湊線で通ってきた下北半島の海岸線が見えました。
真っ青な海です。







途中「せへじ」という駅がありました。妙な響だなあと思ったら、漢字だと瀬辺地。
のへじ(野辺地)が野原近くの場所、せへじ(瀬辺地)は水の近くの場所、ということなんでしょう。

● 蟹田のカニ駅長

30分ほど揺られて、終点蟹田駅に着きました。



ここで7分ほど停車した後、電車は再び青森方面に折り返します。
一旦改札を抜けて、駅の待合室に行きました。

ここの駅は、名前つながりでカニさんが駅長をしていると聞いたので、会いたいと思ったのです。
和歌山のネコ駅長は話題になり、この前島原で鯉駅長のさっちゃんをみてきたところ。
ここは蟹駅長ね。
待合室に水槽があったので、(駅長室だわ)と寄って行きました。



が、そこにはカニではなく、カニのぬいぐるみがいました。
カニの駅長さん、津軽蟹夫は、その寿命を全うし、今は代わりにぬいぐるみを飾っているそうです。



また新しいカニ駅長を迎えればいいのに~。
近くの海辺で駅長を探せないのかしら?サワガニじゃだめなの?

● 風の町



太宰治が小説『津軽』の中で、「風が通り抜ける町」と表現した町。
ロマンチックですが、確かに風が通ります。だって海がそばですから。
夏は涼しいのですが、冬は雪が舞って、しばれるでしょうね。



NY・ローマと肩を並べるとは、蟹田もなかなか大胆ですね。
青森のぶどう、スチューベンの売り文句「NY生まれ、青森育ち」も、結構ツボです。
青森人は、意外に大都会好き?

7分後に発車した上り電車に乗り、再び津軽湾を眺めながら揺られていきます。
18時過ぎに青森に到着。この日の移動はこれでおしまい。

● ワンミッションクリア

ホテルの部屋に戻ると、どっと疲れが押し寄せて、ベッドに伸びたきり、しばらく動けませんでした。
念願の恐山を無事にお参りすることができて、すっきり満足。達成感があります。
ただ、予想していたよりもはるかにパワーのいる場所で、滞在中は土地の雰囲気に圧倒されっぱなしでした。
5日目に続きます。


みちのく津軽ひとり旅 4-1 恐山

2017-02-20 | 東北
3日目からの続きです。

● いよいよ恐山へ

この日も朝からいい天気。
今回の旅の目的その2、「お盆に恐山を訪れる」を決行する日です。



比叡山、高野山と並ぶ日本三大霊場の一つ、恐山。
ほかの二つに比べてメジャー度がぐぐっと下がります。
認知度はあっても、心理的にも物理的にも、ほかの二つに比べて圧倒的に行きづらいのが恐山。
「あの世への入り口」ともいわれるかの場所は、観光地化しておらず、訪れたという県外の人は少ないようです。

私は、以前親戚に連れて行ってもらったことがあります。
この世のものとは思えない、どこにもない場所に驚き、ただ圧倒されました。
訪れるのは2回目なので、余裕ができてもいいはずですが、さすがにここはムリ~。

しかも今回はたった一人で行くのです。
単身で恐山に向かうなんて、相当の気合が必要。
場所の雰囲気を思い出すと、かなり腰が引けてしまいます。

これまでも、気になりながらもなかなか再訪の決心はつきませんでした。
ただ、青森の人たちにとって、恐山はやはり特別な場所。
「人が死んだら、山(=恐山)さ行く」と言われています。
祖母も、亡き祖父と話をしに、イタコに口寄せをしてもらいに行っていました。
ほかにも親戚がらみの摩訶不思議な体験を聞いています。
非科学的だと笑い飛ばすのは簡単ですが、私は(よくわからないけれど、謎めいたこの霊場の全てを否定しない)ことにしています。

この夏は父の新盆。
青森ルーツの父をきちんと送り出すために、恐山に行こうと思いました。
というより、どうやったら肉親の死を乗り越えられるのか、わからないまま途方に暮れていたので、死者の供養の場と言われる恐山に向かうことにしたのです。
正直、怖いし怯えもありますが、亡き父への気持ちで、なんとか決心をひるがえさずにいます。

● 津軽の横浜

7時過ぎに青い森鉄道で青森を出発し、野辺地でJR大湊線に乗り換えます。
初日に、JRとの接続で10分近く電車が停まることに驚きましたが、この日はJRはすでに駅で待っており、スムーズに乗り換えられました。
初めての大湊線。ボックス席メインのレトロな車両です。



ゴトゴト揺られていき、しばらく走って電車がこの駅に着きました。
良く見えませんでしたか?陸奥横浜駅です。



浜っ子として、やはりここは避けて通れないと思っていました。
「横浜出身」と言うと、けっこううらやましがられることが多いのですが、青森では実はそうでもありません。
青森に、横浜町という場所があるからなんですねー。
津軽の人にとって、横浜は結構不便なイメージなのかも。
こちらはアクセントが違って、「よこは・まー(_ _ _| ̄)」と、最後の「ま」を上げて言うんですが。

春になると、きれいな菜の花が咲き乱れるそうです。
途中下車してみたいところですが、なにせ本数の少ない大湊線。目的達成のために、先を急ぎます。

横浜町は、名前の通り海のそばにあり、しばし電車は海岸沿いを走っていきます。
少し陸地が見えてきました。(画像左側)
これは、青森市辺り。



少し進むと、今度は陸地が長ーく続いて見えるようになります。
これは、津軽半島です。



今は、まさかり型の下北半島の、一番細いところを走っているため、海の見える角度によって、津軽湾のいろいろな顔を楽しめます。



● 本州最北の駅

うとうとしていたら、9時頃に下北駅に着きました。
ほとんどの乗客が、終点の一つ手前のこの駅で降ります。

本州最北の駅ですって。つまりここより北には、もう駅は存在しないんですね。
そういえばかつて、下北半島の最北端にある大間崎に、フェリーとバスを乗り継いで行きました。



最果ての駅に降り立った感を噛みしめる間もなく、5分後に発車する「霊場恐山」行のバスに急いで乗り換えます。
バスの本数も限られています。

● 霊場行きのバス

ほかの乗客たちは、二人連れかグループばかり。
みたところ、単身者は数名しかいません。
一人で向かう女性の姿をもう一名見かけて、ちょっとホッとしました。

気合が入っていたのか、気が張っていたのか、一番前の座席に座りました。
運転手の椅子が、なんだかレトロ!



バスはむつ市内を通りぬけ、いつしか山の中へ。登ったかと思うと今度は下り、峠越えをしています。
これは、とても歩いては辿りつけないわ。
どんどん人里から離れていき、いつしかうっそうとした森の中。
さっきまで抜けるような青空だったのに、気がつくと空には雲が立ち込めています。
ますます緊張してきました。



● 恐山の冷水

恐山霊場へは、下北駅から恐山街道を通り、峠を越えて向かいます。
その途中に、こんこんと冷たい水が湧き出る冷水(ひやみず)という水場があります。

「いつも冷水で一時休憩して、そこの水をお客さんに飲んでもらうけれど、熊出没情報があったとのことで、状況によってはそのまま通過します」とのアナウンス。
熊が出た!?まあ、出てもおかしくない山の中ですから。
すると後ろの席から「長生きできない~」「若返れない~」という小さな声が聞こえてきました。
みんな、ガチガチに真面目な参拝客というわけでもなさそうです。

運転手さんは、様子を見て判断したのか「ほんのちょっとの間だけですが、冷水休憩します。十分気をつけて」と言って、停めてくれました。
やった。ヒバの木々に囲まれた水場に駆け寄り、急いで一口水を飲みました。
冷たい、山の水です。



恐山の冷水は、昔から「1杯飲めば10年、2杯飲めば20年、3杯飲めば死ぬまで若返る」と言われています。
霊験あらたかですが、消毒などはされてはいません。
気になる人は、煮沸消毒をするほうがいいでしょう。

前日の萱野茶屋のお茶に続いて、今度は延命水。またもや一気に10年長生きすることになりました。
もはや仙人状態です。かなり緊張しているので、カウントできなくなっています。

この水場は俗世と霊界との境界として、浄めの手水舎の役割もあるといわれています。
ここからいよいよ、霊場へ足を踏み入れることに。



● 俗世と霊界との境界

とうとう次は終点、恐山。
右から左に「霊場恐山」と書かれた門をくぐり、霊界に入りました。



45分ほどバスに揺られて、ようやく着いた恐山。
お寺に入る前から、辺りは静かで荒涼としています。



三途の川にかかる赤い橋を通り過ぎて、霊場の前に着きました。
バスを降りる前から、既に硫黄の匂いがしています。



● 菩提寺の門をくぐる

冷や水に停めてくれた運転手さんに感謝して降ります。
外に出ると、とたんに鼻を突く、強い硫黄臭。
以前来た時には、山のカーブで車酔いをした上に硫黄の匂いを嗅いで、さらにぐったりした記憶があります。



青森駅前のホテルを出てから3時間、電車とバスを乗り継いで、ようやく恐山菩提寺にたどり着きました。
おおお、迫力に圧倒されるわ。
以前の時はとにかく怖くて、ずっとビリビリしていたことだけ鮮明に憶えています。
この六地蔵たち、小さく見えますが、そばにいる人と比べると、その大きさをわかっていただけると思います。



入り口の総門をくぐると、参道の途中に立派な山門が見えます。
周囲には、荒涼とした岩だらけの景色が広がります。



山門の左側にある赤い屋根の平屋の建物は、夏の大祭でイタコの口寄せが行われる場所。
普段は参拝者の休憩所として使われています。



目の前の灯篭は、屋根がなくなり、黄色く変色して崩れかけています。
風と硫黄で摩耗したようです。



● 禅宗の板木の言葉

右側には、御朱印をいただく場所が。お坊さんに書いていただくだけでも、なんだか非日常感に胸がドキドキしています。
その場所から庫裏に続く長い廊下がありました。
ピカピカに磨かれた木の廊下に吸い込まれそうになります。



板木(ばんぎ)には
     「白大衆 生死事大 無常迅速 各宣醒覚 慎勿放逸」と書かれています。

      敬って大衆に白す(うやまってだいしゅうにもうす)

      生死事大(しょうじじだい) 無常迅速(むじょうじんそく)

      おのおの宜しく醒覚すべし(おのおのよろしくせいかくすべし)
 
      慎んで放逸なることなかれ(つつしんでほういつなることなかれ)



     (お寺に生まれた皆さんにお伝えします。
      「生き死に」は我々にとって重要な事です。
      諸行無常に過ぎゆく世界の中で しっかりと目を覚まして
      無為に時を過ごす事がありませんように。)

● 霊場の中にスパ

参道を進んで山門まで来たところで、入り口を振り返って見ました。



雲が立ち込める殺伐とした光景ですね。バスの中にもう一人いた、女性のおひとりさま乗客。
その人が映っています。きっとツワモノです。

山門をくぐり、なおも続く参道の奥には伽藍が見えます。
右にある小屋は、温泉です。



恐ろしい恐山ですが、意外なことに温泉が湧いています。
霊場スパ!えー、どんな気持ちで使ったらいいのかしら。
こちらは男性用。外から男性たちが湯小屋の中をのぞきました。
多分、木戸をあけるよりすぐわかるからでしょう。
本当に簡単にのぞけちゃいます。こんな聖地でハレンチ事件を起こす人はいないのでしょう。



● 死者を導くお地蔵さま

参道を歩ききった場所にある本堂。
ここは地蔵菩薩がご本尊なんですね。
お地蔵様は地獄で霊を導くので、なるほどと思います。

私の前に、登り龍がデザインされた派手なTシャツ姿の男性がお祈りをしていました。
町なかですれちがったら(わあ、山師みたい)と思いそうですが、手に持つ袋の中からたくさんの黄色い棒が出ていることに気付きました。



それをみて、ピンときました。
(あれはきっとかざぐるま。この人は、亡くなった自分の子供の供養に来ているんだわ)

じっくりと長い時間をかけて、その人はお祈りをしていました。
その後ろ姿を見ながら、胸がいっぱいになりました。

● 地獄めぐり

総門をくぐり、地蔵堂をお詣りしてから、賽の河原に向かって地獄めぐりを始めます。



緑のない荒涼とした岩肌の続く、不毛な土地。
さまざまな地獄を巡っていきます。



硫黄のために草木が育たない場所。



ところどころ、その山のなかから蒸気が上がっているのは、今なお硫黄ガスを排出しているから。
この光景を地獄になぞらえるのは、しごく最もです。



生気がなく、見渡すかぎりに石を積み上げた小山ができています。
おびただしい数の石の山を見ると、これだけの山を作った人々の気持ちがわかるよう。
私も、小石を積みました。



「人はみな それぞれ悲しき 過去を持ち 賽の河原に小石積みたり」と句が彫られていました。



穏やかなお地蔵さんの像に、癒されます。まさに「地獄に仏」。



穏やかな顔のお地蔵様が、池の真ん中でお祈りを捧げています。
しかしここは「血の池地獄」。
名前と光景のギャップに、オドオドします。



無限地獄、金堀地獄、賭博地獄、修羅王地獄など、数ある地獄のうちで一番腰が引けたのが「重罪地獄」。
底知れぬこわさを感じます。









水子をしのぶ親がさす風車が、あちこちにあり、風を受けてはカラカラと乾いた音を立てて周っています。
やりきれない思いになります。



一つ一つの小石を積み上げた、いろいろな人の気持ちを考えていると、人の命の重みとそれを失った哀しみを感じて、耐えられなくなってきます。
そんなつらい思いをなぞりながら、不毛の地獄をさ迷い歩いた果てに、最後に導かれるのは、宇曽利湖(うそりこ)です。





この世とも思えないような美しい湖面。
極楽浜とも浄土の浜とも言われています。
それまで水が全く無い場所を通り、カサカサに乾ききっていた参拝者の心がうるおいます。



● かざぐるまが周る

地獄めぐりをしている時に、私と前後して、本堂でお参りをしていた一人の男性が歩いていました。
ヤンキーのような風貌をしていましたが、一体のお地蔵様の前でその人はしゃがみ込みました。
袋から黄色い棒を一本取り出し、お地蔵様の前にさして手を合わせました。
それはやはり、水子供養の風車でした。

歩いてはあちこちの仏像の前で座り込み、風車を地面にさして、祈りをささげる男性。
私と同じくらいの歩みで地獄めぐりを行っていきます。
最後に宇曽利湖に出た彼は、水のほとりまで歩いて行き、そこにも一本風車をさして、砂浜の上にあぐらをかいてどっかりと座り込みました。
煙草を吸うのか、お酒を飲むようなぞんざいなしぐさでしたが、さすがにここは聖地。
開けたのは、缶コーヒーの蓋でした。

湖に流すのかしら?と思いましたが、そうではなく、自分で飲みながら、ただ静かに湖を見つめていました。



おそらくはこの人もお盆の供養として、亡くした子供を偲んでいるのでしょう。
ふたたび涙が出そうになりました。



かくいう私も、父とのお別れのためにここまでやってきました。
きちんと送り出してあげようと思ったのです。



ここは死者の魂が集まると言われている場所。
お盆のこの時期には、特に地場がパワーアップすることでしょう。
変な地縛霊にとらわれたりしないよう、数珠とお清めの塩をぐっと握りしめます。



夢のように美しい湖は、とても澄んでいました。
火山噴火でできたカルデラ湖なのに、不思議。
酸性が強いため、魚はほとんど棲めないそう。
やはりここは、何もかもが非日常感にあふれています。

その2に続きます。


みちのく津軽ひとり旅 3-2 十和田湖

2017-02-18 | 東北
その1からの続きです。

● 光り輝く十和田湖

高い木々に囲まれた奥入瀬の林を抜けると、視界がぱあっと開けました。
明るい日差しの中、正面にまばゆく光る湖が見えます。
ああ、十和田湖だわ。バスを降りた時にはちょうど正午になっていました。





この湖を訪れるのは5、6回目ですが、いつも親戚の車に乗せてもらっていました。
青森からも距離があるこの場所に、一人でバスに乗って来たのは、今回の旅が初めて。
いつも親戚任せで、途中にどんなものがあるのか全然気にしていませんでしたが、今回はいろいろと立ち寄りポイントや見どころがあることがわかりました。



前にイトコ達と一緒に乗ったことがある、白い大きな遊覧船。
起伏に富んだ湖畔の自然を、水の上から眺められます。
出航時刻になったのか、遊覧船は船着き場を離れてゆっくりと湖面を渡って行きました。



● 鮎焼きとじゃがバター

湖畔に並ぶお店では、おいしそうな焼きだんごが売られています。
見ていると、小腹がすいてきました。



もうお昼なので、湖畔のベンチに座って、鮎焼きとじゃがバターを食べました。
木陰に入ると涼しく、ホカホカの食べ物もおいしくぺろり。



日差しを受けてキラキラ輝く湖面がまぶしくて、サングラスをかけました。
すれ違う人々もみんな、目を細めたり手をかざしたりしています。



湖に沿って歩き、高村光太郎の「湖畔の乙女」像のところまで行きました。
2日前に小河原湖畔の姉妹像を見た時、これに似ていると思いましたが、見返してみるとこちらの方がかなりふくよか~。

● おごそかな十和田神社

次に、湖畔から離れて、うっそうとした古い杉木立の中にある十和田神社に参拝。
青森の霊場というと恐山が思い出されますが、実はここも修験道の神聖な場所。



時が止まったような聖域の中に入り、古めかしく立派な本殿をお参りしました。
自然の中にあり、すがすがしい気持ちになります。



厳かな風情のある本殿には、建物の細部に至るまで見事な彫刻が施されています。
この神社は平安時代に、坂上田村麻呂が東夷征伐に際して日本武尊を祀ったのが始まり。
また、古くからの龍神信仰である青龍大権現も祀られています。



杉の巨木に囲まれた神社境内は、真夏でも涼しい気に満ちていました。

● 奥入瀬渓流の始まり

道を戻って、先ほどバスを降りた停留所に行くと、ちょうど十和田湖発の13時台のバスの発車時間が近づいており、人々が列を作って並んでいました。
やってきたバスに乗り込んみ、3つ目のバス停「子ノ口(ねのくち)」で降ります。



ここが奥入瀬渓流の始まり地点。
昨日は「雲井の滝」から「石ヶ戸」まで歩いたので、今回は湖畔の「子ノ口」から「雲井の滝」まで散策してみようと思いました。



十和田湖を背にすると、湖の水は川のように奥入瀬を流れていきます。
渓流の初めはこんなに明るい場所だなんて。



はじめは流れも広くゆるやかですが、じきに急流ができるようになります。



明るく暑い日光は、うっそうとした木々にさえぎられて、ところどころ木漏れ日が射し込んでいます。



胸いっぱい息を吸いながら、のんびりのんびり、歩いていきます。



● 銚子大滝

いくつも滝がありました。こんなにあるなんて。
じきに、銚子大滝が見えてきました。



高さ7m、幅20mの絵になる大きくてきれいな滝。間近に見られます。すごい迫力です。
十和田湖をお銚子にすると、その注ぎ口の場所に滝があるから、命名されたのだそうです。



千葉の銚子にはまったく関係ありませんでした。
でも、周りには大勢の人々がいて、ここも大人気。



奥入瀬渓流には透明度が高い清流が流れています。



十和田湖にはプランクトンが少ないため、湖の水が澄んでいるんだそう。



そこから流れていく渓流や沼が、きれいなのは当然ですね。



青々と生い茂った緑の植物は、夏だからこその生命力に満ち溢れています。





昨日に引き続き、今日も自然にパワーを分けてもらいました。





清流沿いを歩き続けて「雲井の滝」のバス停に着いたのは、バスの来る10分前。
滝を見ながら到着を待ちます。

この2日間で、奥入瀬渓流の子ノ口から石ヶ戸までの9km弱を散策しました。満足だわ~。
15時40分のバスは10分ほど遅れてやって来ました。道路がけっこう渋滞していたたそうです。

● 闇トレの思い出

あとは帰るだけ。
千人風呂で知られる酸ヶ湯温泉旅館の前を通りました。
この辺りは世界でもまれな豪雪地帯。
学生の頃、冬休みに親戚宅に滞在し、八甲田山麓のスキー場に通ってマンツーマンレッスンを受けていた私。
毎日酸ヶ湯温泉行きのバスに乗って行っていたなあと、懐かしくなります。



このバスも、なつかしいスキー場を通りますが、酸ヶ湯を過ぎた辺りから、山のカーブがゆるくなるため、バスの中でブンブン身体が揺れることがなくなります。
そうすると、結構歩いたこともあって、しだいに瞼が重くなってうとうと。
それでも雪中行軍のアナウンスが流れると、耳が反応して起きてしまい、また聞いてしまいました。
結局2日間で4回聞いたわ~(ぐったり)。

● 青森のメモリアルシップ

遅れていたのに、途中でいつの間にか挽回しており、前日と同じ定時の6時に青森駅着。
2日間連続で十和田湖に行くとは思いませんでした。
まあ、私は奥入瀬渓流は何度散策してもいいので、問題ありません。

この日は車酔いしていなくて元気だし、夕暮れの美しい時間なので、ホテルに直帰せず、停泊している八甲田丸の方へ行ってみました。



正式名称は青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸。長いなあ。
八甲田丸に並ぶのは、海上保安庁のおいらせ号。
どちらも、今しがた行ってきた場所の名前です。

青函連絡船の停泊している埠頭から、海を挟んで青森ベイブリッジやアスパムが見えます。
その奥に見えるのは、東岳。
母が実家に里帰りする時に、いつもタクシーの窓いっぱいに広がる前方の山の名を教えてもらっていました。



● 終着駅・青森

青森駅の連絡通路から、しばらく海を眺めました。

ここはターミナル。線路が途絶えた先には、津軽海峡が広がっています。
目の前にうっすらと見えるのは北海道。写真には撮りきれませんでしたが、右には下北半島、左には津軽半島が見えます。
旅愁たっぷりの、ロマンあふれる光景です。



津軽半島と下北半島に挟まれて、少し凹んだ場所にある青森駅。
大胆な曲線を描くこの辺りの海岸線の形が、おもしろくて好きです。

日の入りを見送って、のんびりと宿に戻りました。

4日目に続きます。


みちのく津軽ひとり旅 3-1 蔦沼

2017-02-17 | 東北
2日目からの続きです。

● 十和田湖フリーきっぷ

この日もいい天気。早めに起きて朝食を取り、駅に向かいました。

「青森・八戸・十和田湖フリーきっぷ2日間」を使って、前日に続きこの日も十和田湖に向かいます。
2日間乗り放題のこのフリーパス。
湖の辺りに一泊して、翌日帰る人が対象なんでしょうけれど、お盆休暇には、十和田湖の宿は予約でいっぱい。

青森駅前に宿をとった私は、2日往復することにしました。
2日通うなんて、物好きですよね。でもこれも、いい機会ですから。
(そう納得できるところが物好きなんですよね~、わかってますよ~、笑)

駅前から7:50に出る十和田湖行きのバス、みずうみ号に乗ります。
始発便なのに待っている人は大勢いて、バスは満席状態に。
お盆休みですからね。私も最後列の席になりました。

昨日さんざんバス酔いしたので、この日はしっかり酔い止め薬を飲んでいきました。
効果満点!まったく気持ち悪くなりません。
というより眠くなって、うつらうつら。
2回目なので、緊張も解けたんでしょう。



やっぱりまだ見慣れない、ピカピカの新青森駅。
白いから、雪が降ったら埋もれてわからなくなりそう。さすがにそれはないかな。

● 茶屋の延命茶

1時間ほどバスに揺られて、この日も萱野茶屋でバスを降りてひと休み。
また、あつあつの麦茶を1杯いただきます。





1杯飲んだことで、さらに寿命が3年追加されました。これで13年長生きしちゃう!
ここは無駄に数を増やさず、3杯飲んだ時の「死ぬまで生きることになる」にしたいところだったんですが、お茶が熱すぎてそんなに飲めませんでした~!



八甲田山ロープウェーのところで、結構な数の人が降りました。
みんな、山の上に行くのね。

この日もまた、雪中行軍の悲しい話がアナウンスされました。もういいのに・・・。
雪中行軍の霊が、この辺りを今でもズンズン隊列行進しているという話を思い出しちゃいましたよ~、ブルブル。



● ヘブンリーな地獄沼

この日の地獄沼です。泉温は98度あるそうですが、見た目的にはやっぱりあんまり地獄っぽくありません。
むしろヘブンリーに見えますよね。
こんなに風光明媚なら、地獄もいいなって思えてきます。



● 蔦温泉の沼巡り

蔦温泉に到着し、私ひとりだけバスを降りました。
温泉周辺には蔦の七沼があり、沼巡りコースが整備されています。
前日は、もう日が高くなって辺りが暑くなっていたので、そのまま先に進みましたが、この日はまだ8時。
涼しい朝の空気が残っています。
次のバスが来るまでの間、少し回ってみることにしました。





ビジターセンターのところから出発。
すぐに林の中の道になります。他にも歩いている人の姿は見かけますが、ほんの数名のみ。



ああ、空気がおいしい。野鳥のピチピチいう声も聞こえてきます。
朝の森林浴って、なんて贅沢なのかしら。



● 緑の蔦沼

すがすがしい林の中を歩いて行くと、そのうちに一番大きな蔦沼に着きました。



よく写真で見たことがあるこの光景。
秋になると、周囲の木々が燃えるようにあかあかと紅葉して、それはそれは美しい景色になります。



今はまだ青々として静かな光景ですが、あと数ヶ月したら、大勢のカメラマンが押し寄せる人気スポットになるのでしょう。

蔦沼から一旦もと来たビジターセンターに戻り、今度は逆側の小路を歩きます。



護ってくれるように枝葉を伸ばした、ブナの木。



● 眠れる湖沼

ほどなくして瓢箪沼がありました。沼というよりは境目の曖昧な湿地帯のようですが、以前は瓢箪の形をしていたそうです。
長い時代を経て、形が変わっていったんですね。

国語の授業で習った、「さまよえる湖」ロプノール湖のことを思い出しました。
リヒトホーフェンとスウェン・ヘディン。わあ、なつかしい響きだなあ。
瓢箪沼は、形が変わるくらいで、移動はしないんでしょうけれど。

更に歩いて行くと、今度は菅沼がありました。
眠っているように動かない水面をのぞくと、大きな白い樹木が沼の中に沈んでいて、とても神秘的でした。



沼というと、底が見えない濁った水面のイメージですが、蔦の七沼はどれも透明できれいです。
蔦の七沼を一周するには、2時間ほど必要ですが、次のバスが来るのは1時間後。
途中まで周って、またビジターセンターに戻ります。
ちょうど今、蔦温泉は断水になってしまっているそうで、茶屋もおやすみでした。

● 十和田市のマンホール



十和田湖に浮かぶ船がデザインされています。
帆を張った北前船のようにも見えますが、湖だから遊覧船でしょう。

やってきた次のバスに乗り、今度は終点まで行きました。
その2に続きます。