風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

みちのく津軽ひとり旅 4-1 恐山

2017-02-20 | 東北
3日目からの続きです。

● いよいよ恐山へ

この日も朝からいい天気。
今回の旅の目的その2、「お盆に恐山を訪れる」を決行する日です。



比叡山、高野山と並ぶ日本三大霊場の一つ、恐山。
ほかの二つに比べてメジャー度がぐぐっと下がります。
認知度はあっても、心理的にも物理的にも、ほかの二つに比べて圧倒的に行きづらいのが恐山。
「あの世への入り口」ともいわれるかの場所は、観光地化しておらず、訪れたという県外の人は少ないようです。

私は、以前親戚に連れて行ってもらったことがあります。
この世のものとは思えない、どこにもない場所に驚き、ただ圧倒されました。
訪れるのは2回目なので、余裕ができてもいいはずですが、さすがにここはムリ~。

しかも今回はたった一人で行くのです。
単身で恐山に向かうなんて、相当の気合が必要。
場所の雰囲気を思い出すと、かなり腰が引けてしまいます。

これまでも、気になりながらもなかなか再訪の決心はつきませんでした。
ただ、青森の人たちにとって、恐山はやはり特別な場所。
「人が死んだら、山(=恐山)さ行く」と言われています。
祖母も、亡き祖父と話をしに、イタコに口寄せをしてもらいに行っていました。
ほかにも親戚がらみの摩訶不思議な体験を聞いています。
非科学的だと笑い飛ばすのは簡単ですが、私は(よくわからないけれど、謎めいたこの霊場の全てを否定しない)ことにしています。

この夏は父の新盆。
青森ルーツの父をきちんと送り出すために、恐山に行こうと思いました。
というより、どうやったら肉親の死を乗り越えられるのか、わからないまま途方に暮れていたので、死者の供養の場と言われる恐山に向かうことにしたのです。
正直、怖いし怯えもありますが、亡き父への気持ちで、なんとか決心をひるがえさずにいます。

● 津軽の横浜

7時過ぎに青い森鉄道で青森を出発し、野辺地でJR大湊線に乗り換えます。
初日に、JRとの接続で10分近く電車が停まることに驚きましたが、この日はJRはすでに駅で待っており、スムーズに乗り換えられました。
初めての大湊線。ボックス席メインのレトロな車両です。



ゴトゴト揺られていき、しばらく走って電車がこの駅に着きました。
良く見えませんでしたか?陸奥横浜駅です。



浜っ子として、やはりここは避けて通れないと思っていました。
「横浜出身」と言うと、けっこううらやましがられることが多いのですが、青森では実はそうでもありません。
青森に、横浜町という場所があるからなんですねー。
津軽の人にとって、横浜は結構不便なイメージなのかも。
こちらはアクセントが違って、「よこは・まー(_ _ _| ̄)」と、最後の「ま」を上げて言うんですが。

春になると、きれいな菜の花が咲き乱れるそうです。
途中下車してみたいところですが、なにせ本数の少ない大湊線。目的達成のために、先を急ぎます。

横浜町は、名前の通り海のそばにあり、しばし電車は海岸沿いを走っていきます。
少し陸地が見えてきました。(画像左側)
これは、青森市辺り。



少し進むと、今度は陸地が長ーく続いて見えるようになります。
これは、津軽半島です。



今は、まさかり型の下北半島の、一番細いところを走っているため、海の見える角度によって、津軽湾のいろいろな顔を楽しめます。



● 本州最北の駅

うとうとしていたら、9時頃に下北駅に着きました。
ほとんどの乗客が、終点の一つ手前のこの駅で降ります。

本州最北の駅ですって。つまりここより北には、もう駅は存在しないんですね。
そういえばかつて、下北半島の最北端にある大間崎に、フェリーとバスを乗り継いで行きました。



最果ての駅に降り立った感を噛みしめる間もなく、5分後に発車する「霊場恐山」行のバスに急いで乗り換えます。
バスの本数も限られています。

● 霊場行きのバス

ほかの乗客たちは、二人連れかグループばかり。
みたところ、単身者は数名しかいません。
一人で向かう女性の姿をもう一名見かけて、ちょっとホッとしました。

気合が入っていたのか、気が張っていたのか、一番前の座席に座りました。
運転手の椅子が、なんだかレトロ!



バスはむつ市内を通りぬけ、いつしか山の中へ。登ったかと思うと今度は下り、峠越えをしています。
これは、とても歩いては辿りつけないわ。
どんどん人里から離れていき、いつしかうっそうとした森の中。
さっきまで抜けるような青空だったのに、気がつくと空には雲が立ち込めています。
ますます緊張してきました。



● 恐山の冷水

恐山霊場へは、下北駅から恐山街道を通り、峠を越えて向かいます。
その途中に、こんこんと冷たい水が湧き出る冷水(ひやみず)という水場があります。

「いつも冷水で一時休憩して、そこの水をお客さんに飲んでもらうけれど、熊出没情報があったとのことで、状況によってはそのまま通過します」とのアナウンス。
熊が出た!?まあ、出てもおかしくない山の中ですから。
すると後ろの席から「長生きできない~」「若返れない~」という小さな声が聞こえてきました。
みんな、ガチガチに真面目な参拝客というわけでもなさそうです。

運転手さんは、様子を見て判断したのか「ほんのちょっとの間だけですが、冷水休憩します。十分気をつけて」と言って、停めてくれました。
やった。ヒバの木々に囲まれた水場に駆け寄り、急いで一口水を飲みました。
冷たい、山の水です。



恐山の冷水は、昔から「1杯飲めば10年、2杯飲めば20年、3杯飲めば死ぬまで若返る」と言われています。
霊験あらたかですが、消毒などはされてはいません。
気になる人は、煮沸消毒をするほうがいいでしょう。

前日の萱野茶屋のお茶に続いて、今度は延命水。またもや一気に10年長生きすることになりました。
もはや仙人状態です。かなり緊張しているので、カウントできなくなっています。

この水場は俗世と霊界との境界として、浄めの手水舎の役割もあるといわれています。
ここからいよいよ、霊場へ足を踏み入れることに。



● 俗世と霊界との境界

とうとう次は終点、恐山。
右から左に「霊場恐山」と書かれた門をくぐり、霊界に入りました。



45分ほどバスに揺られて、ようやく着いた恐山。
お寺に入る前から、辺りは静かで荒涼としています。



三途の川にかかる赤い橋を通り過ぎて、霊場の前に着きました。
バスを降りる前から、既に硫黄の匂いがしています。



● 菩提寺の門をくぐる

冷や水に停めてくれた運転手さんに感謝して降ります。
外に出ると、とたんに鼻を突く、強い硫黄臭。
以前来た時には、山のカーブで車酔いをした上に硫黄の匂いを嗅いで、さらにぐったりした記憶があります。



青森駅前のホテルを出てから3時間、電車とバスを乗り継いで、ようやく恐山菩提寺にたどり着きました。
おおお、迫力に圧倒されるわ。
以前の時はとにかく怖くて、ずっとビリビリしていたことだけ鮮明に憶えています。
この六地蔵たち、小さく見えますが、そばにいる人と比べると、その大きさをわかっていただけると思います。



入り口の総門をくぐると、参道の途中に立派な山門が見えます。
周囲には、荒涼とした岩だらけの景色が広がります。



山門の左側にある赤い屋根の平屋の建物は、夏の大祭でイタコの口寄せが行われる場所。
普段は参拝者の休憩所として使われています。



目の前の灯篭は、屋根がなくなり、黄色く変色して崩れかけています。
風と硫黄で摩耗したようです。



● 禅宗の板木の言葉

右側には、御朱印をいただく場所が。お坊さんに書いていただくだけでも、なんだか非日常感に胸がドキドキしています。
その場所から庫裏に続く長い廊下がありました。
ピカピカに磨かれた木の廊下に吸い込まれそうになります。



板木(ばんぎ)には
     「白大衆 生死事大 無常迅速 各宣醒覚 慎勿放逸」と書かれています。

      敬って大衆に白す(うやまってだいしゅうにもうす)

      生死事大(しょうじじだい) 無常迅速(むじょうじんそく)

      おのおの宜しく醒覚すべし(おのおのよろしくせいかくすべし)
 
      慎んで放逸なることなかれ(つつしんでほういつなることなかれ)



     (お寺に生まれた皆さんにお伝えします。
      「生き死に」は我々にとって重要な事です。
      諸行無常に過ぎゆく世界の中で しっかりと目を覚まして
      無為に時を過ごす事がありませんように。)

● 霊場の中にスパ

参道を進んで山門まで来たところで、入り口を振り返って見ました。



雲が立ち込める殺伐とした光景ですね。バスの中にもう一人いた、女性のおひとりさま乗客。
その人が映っています。きっとツワモノです。

山門をくぐり、なおも続く参道の奥には伽藍が見えます。
右にある小屋は、温泉です。



恐ろしい恐山ですが、意外なことに温泉が湧いています。
霊場スパ!えー、どんな気持ちで使ったらいいのかしら。
こちらは男性用。外から男性たちが湯小屋の中をのぞきました。
多分、木戸をあけるよりすぐわかるからでしょう。
本当に簡単にのぞけちゃいます。こんな聖地でハレンチ事件を起こす人はいないのでしょう。



● 死者を導くお地蔵さま

参道を歩ききった場所にある本堂。
ここは地蔵菩薩がご本尊なんですね。
お地蔵様は地獄で霊を導くので、なるほどと思います。

私の前に、登り龍がデザインされた派手なTシャツ姿の男性がお祈りをしていました。
町なかですれちがったら(わあ、山師みたい)と思いそうですが、手に持つ袋の中からたくさんの黄色い棒が出ていることに気付きました。



それをみて、ピンときました。
(あれはきっとかざぐるま。この人は、亡くなった自分の子供の供養に来ているんだわ)

じっくりと長い時間をかけて、その人はお祈りをしていました。
その後ろ姿を見ながら、胸がいっぱいになりました。

● 地獄めぐり

総門をくぐり、地蔵堂をお詣りしてから、賽の河原に向かって地獄めぐりを始めます。



緑のない荒涼とした岩肌の続く、不毛な土地。
さまざまな地獄を巡っていきます。



硫黄のために草木が育たない場所。



ところどころ、その山のなかから蒸気が上がっているのは、今なお硫黄ガスを排出しているから。
この光景を地獄になぞらえるのは、しごく最もです。



生気がなく、見渡すかぎりに石を積み上げた小山ができています。
おびただしい数の石の山を見ると、これだけの山を作った人々の気持ちがわかるよう。
私も、小石を積みました。



「人はみな それぞれ悲しき 過去を持ち 賽の河原に小石積みたり」と句が彫られていました。



穏やかなお地蔵さんの像に、癒されます。まさに「地獄に仏」。



穏やかな顔のお地蔵様が、池の真ん中でお祈りを捧げています。
しかしここは「血の池地獄」。
名前と光景のギャップに、オドオドします。



無限地獄、金堀地獄、賭博地獄、修羅王地獄など、数ある地獄のうちで一番腰が引けたのが「重罪地獄」。
底知れぬこわさを感じます。









水子をしのぶ親がさす風車が、あちこちにあり、風を受けてはカラカラと乾いた音を立てて周っています。
やりきれない思いになります。



一つ一つの小石を積み上げた、いろいろな人の気持ちを考えていると、人の命の重みとそれを失った哀しみを感じて、耐えられなくなってきます。
そんなつらい思いをなぞりながら、不毛の地獄をさ迷い歩いた果てに、最後に導かれるのは、宇曽利湖(うそりこ)です。





この世とも思えないような美しい湖面。
極楽浜とも浄土の浜とも言われています。
それまで水が全く無い場所を通り、カサカサに乾ききっていた参拝者の心がうるおいます。



● かざぐるまが周る

地獄めぐりをしている時に、私と前後して、本堂でお参りをしていた一人の男性が歩いていました。
ヤンキーのような風貌をしていましたが、一体のお地蔵様の前でその人はしゃがみ込みました。
袋から黄色い棒を一本取り出し、お地蔵様の前にさして手を合わせました。
それはやはり、水子供養の風車でした。

歩いてはあちこちの仏像の前で座り込み、風車を地面にさして、祈りをささげる男性。
私と同じくらいの歩みで地獄めぐりを行っていきます。
最後に宇曽利湖に出た彼は、水のほとりまで歩いて行き、そこにも一本風車をさして、砂浜の上にあぐらをかいてどっかりと座り込みました。
煙草を吸うのか、お酒を飲むようなぞんざいなしぐさでしたが、さすがにここは聖地。
開けたのは、缶コーヒーの蓋でした。

湖に流すのかしら?と思いましたが、そうではなく、自分で飲みながら、ただ静かに湖を見つめていました。



おそらくはこの人もお盆の供養として、亡くした子供を偲んでいるのでしょう。
ふたたび涙が出そうになりました。



かくいう私も、父とのお別れのためにここまでやってきました。
きちんと送り出してあげようと思ったのです。



ここは死者の魂が集まると言われている場所。
お盆のこの時期には、特に地場がパワーアップすることでしょう。
変な地縛霊にとらわれたりしないよう、数珠とお清めの塩をぐっと握りしめます。



夢のように美しい湖は、とても澄んでいました。
火山噴火でできたカルデラ湖なのに、不思議。
酸性が強いため、魚はほとんど棲めないそう。
やはりここは、何もかもが非日常感にあふれています。

その2に続きます。



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2 Comments

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Unknown (アネッティワールド)
2017-03-18 15:19:08
よくおひとりで恐山まで行きましたね。
怖かったでしょう?

昔テレビで恐山の「イタコ」の番組
よくやってたんですよ。

死者の声を呼び起こす、
不思議なんだけど信じていました。
きっと両親の声が聞けたら信じるでしょうね。
本州最北端まではなかなか行く機会がないですね。

お父様を見送りに最果ての地まで、
きっと「優しいいい娘を持った」と喜んでくれているでしょうね。
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アネッティワールドさん (リカ)
2017-03-21 11:34:56
優しいお言葉を、どうもありがとうございます。
恐山、正直こわかったし、よく行けたなあと今でも思いますが、やっぱりその時は「行かなくちゃ」という気持ちの方が強かったんですね。

イタコは独特の風習ですし、捉え方は人それぞれだと思いますが、青森の人にとっては、先立たれた家族と結び付けてくれる彼女たちの存在が必要なんだなと思います。

イタコを別にしても、恐山は本当に最果ての地だと思います。機会がありましたら、ぜひ訪れてみてくださいね。
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