風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

信州ゆったり歴史めぐり 2-1

2017-01-19 | 中部(甲信越)
1日目からの続きです。

● 早朝のお数珠頂戴

2日目は朝5時半に起床。寝ぼけ眼のまま、ミュウに連れられて、善光寺へ向かいます。
貫主(かんす)さまが「お朝事」のために善光寺を往復されるときに行われる「お数珠頂戴」を受けるためです。
お数珠頂戴といっても「ギブミー・ジュズ!」とねだるわけではありませんよ。
貫主さまの持っている数珠で頭を撫でてもらうことをいいます。
早朝から始まる法要なので、近くの宿坊に泊まっている人でない限り、なかなか参加できないチャンス。
善光寺が好きで近くに住んでいるミュウは、何度も参列しているようで、朝早くなのに爽やか~な顔をしています。
私は眠いよー。参道で寝ちゃったら起こしてねー。



お寺に着くと、すごい数のTVカメラがずらりと並んでいたため、びっくりして目が覚めました。
(毎朝こんなにカメラが来ているの?善光寺ってすごいわー。おっと、私すっぴんだから隠れなくちゃ)などと考えていると、ちょうど貫主さまが行列をひきつれてこちらにやってくるのが見えました。
ミュウはぴったりのタイミングがわかっていたようです。さすがは経験者!
参道に並んでしゃがんでうつむき、手を合わせていると、ペコッと頭を軽く押された感じがありました。

なんだか頭にスタンプを押された気分ですが、これがお数珠頂戴なのね~。
ありがたや~。(-人-)



ミュウも、早朝にこんなにTVカメラが来たのを見るのは初めてとのこと。
どうやら最近ワイドショーをにぎわせている、大勧進の貫主さまのセクハラ問題の影響のようです。
その話題が出てから、初めて公に姿を現したそうな。
うーむ・・・でも、功徳をいただいたと思うことにします!

● おびんずるさまの撫で方

その後、ご本堂をお参りしました。
内陣が暗めなのは、朝早いからではなくて、いつものこと。



本堂に入ると、まず大きなおびんずるさまの像が出迎えてくれます。
彼は、いったん破門されたのだそう。
実は手に負えない、やくざ者だったのかしら?
(神通力を人前で使って見世物にしたからだそう)

はじめは自分の悪いところに手を当て、それを彼の身体に当てるのが正式参拝法だと教えてもらいました。
いつも、おびんずるさまの頭をなでてから、自分の頭を触っていましたが、逆だったんですねー。
いくら撫でても、頭が良くならなかったのは、きっとそのせいね!



歴史好きのミュウに、いろいろとガイドしてもらいます。
「かつての地震でずれた柱」と教えてもらい、「ヒエッ」と声が出ました。
長野中越地震の時かと思ったら、もっとずーっと前の、江戸時代辺りの話だそう。
それからそのままなら、まあこれで安全なんでしょう。

● 松代藩と善光寺

江戸時代に善光寺の外護職をつとめて善光寺を保護したのは、松代藩の藩主を勤めた真田家だったそうです。
立派な供養塔が並んでいました。



7年に一度の善光寺御開帳の時に、本堂前に大回向柱が立てられます。
過去の柱も境内にありますが、これは代々松代藩が寄進したもので、今でも松代町が寄進し続けているんだそうです。
ゆかりが深いんですね。

「あ、おはよう」とミュウ。
誰に話しかけているんだろうとキョロキョロしたら、草むらからネコがひょっこり顔を出しました。
顔なじみだそうです。ネコとまで友達!



● 参道ぶらぶら

朝の参拝を終えて、お寺を出て参道を降りていきます。
味があるいい道。
結構な傾斜になっていて、ボールを手放したら下までコロコロと転がっていきそう。



この辺の人なら誰もが知ってる立派なホテル、藤屋旅館。
よく、ここから新郎新婦が人力車に乗って、善光寺で式を挙げるそうです。
絵になるでしょうね。鶴岡八幡宮そばの鶴ヶ岡会館でもそんな光景を見たことがあるなあと思い出しました。



つくしのような謎の物体が・・・。
善光寺大本願の手のひらサイズのお守り、ひとにぎり地蔵。
ひそかな人気だそうです。



広い長野。ここから上田までは距離がありますが、ここにも真田のビッグウェーブが来ています。
『真田丸』効果ですね。



歌舞伎座のような外観の大きな新しい建物がありました。
北野文芸座という演芸場で、文楽などが演じられるそうです。



雰囲気のいい建物が並ぶ参道で、楽しい散策タイムになりました。

● まむしや・へびや

通りから外れたところに、「まむしや」の看板を発見!
まむしやですって!



浜っ子として、反応します。
だって伊勢佐木町には、泣く子も黙る(?)「へびや」がありますからね。
きっと同業者でしょう。



● モーニングサービスがない?

起きてから何も食べていないので、散策をしているうちにそろそろお腹が空いてきました。
でも、おいしいと評判という、ミュウご推薦の参道のおやき屋はあいていませんでした。
モーニングを出すカフェも見当たりません。
「そういう文化、ないかも」とミュウ。えー、そうなの?

きゅるきゅると鳴るお腹を押さえながら、セブンイレブンに入りました。
焼き立てのおやきが買えなかったので、ここでおやきを購入。
長野限定販売だそうで、味は数種類ありました。
あるくまのイラスト付きです。あるくま、知らないうちにJRキャラから県キャラに昇格したんですね。



長野限定販売といっても、セブンイレブンにおやきが売っているって、すごいですよね。
なぜだろうと思ったら、セブンイレブンジャパンの創始者は長野県(坂城町)出身だそうです。
なるほど、それで~。

善光寺のインパクトがあまりに大きくて、この界隈はお寺ばかりがずらりと並んでいるのだろうと思っていました。
たしかにその通りですが、教会も、予想外に多くみかけます。
つまりは一大宗教地域ということでしょうか?

ミュウハウスに戻って、買ったばかりのおやきを温めて、いただきます。
うん、おいしい。久しぶりのおやきなので、コンビニものでも十分ハッピー。
食事が済んだら、睡魔が襲ってきたので、少し寝てから出かけました。

● マンホールからホース

長野に来てから、気になっていることがあります。
マンホールから、なぜホースがでているのでしょうか?
あそこも、ここも、もぐらたたきのようにピョコッとホースが頭をのぞかせています。



ミュウに「どうして?」と聞くと「ほんとだ!いままで気が付かなかった~」と言われました。
うそーん。

● 飯縄大権現

車に乗って、まず飯縄神社の里宮に向かいました。
私のリクエストです。渋すぎますか?ええわかってますよ~。

飯縄神社ってご存知でしょうか。
飯縄と書いて「いいなわ」ではなく「いいづな」と読むトラップ。
長野の飯縄山の山頂に祀られている飯縄大権現は、長野の外ではあまり知られていませんが、実はあちこちに祀られている、すごい神様なんです。

たとえば、日光山輪王寺の御本尊が、このお方。
高尾山薬王院もそうです。
これを話すと、たいてい「あそこは天狗を祀っているんでしょう?」と言われますが、違いますよ~。
伊勢原の大山阿夫利神社近くにも祠があり、山岳神社好きとして気になっていました。

今回は本家本元をお参りできる、絶好の機会。
ぜひ行きたいところですが、飯縄山は、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山と共に「北信五岳」と呼ばれる、標高1,917mの高い山。
丸腰ではとても登れません~。
山頂にある奥宮まではとても登っていけませんが、里宮の方になら行けそう。

マイナーな場所なので、ひそかに一人で行こうと思っていましたが、ミュウも一緒に行ってくれることに。
偶然にも、近日中に友だち数人で登る山だそう。えー、登るのねー。
山が身近なこちらでは、登山も人気があるレクリエーションなんでしょうね。

● 里宮なのに山の中

ナビに入れようとしましたが、神社の住所が入っていませんでした。
まさか、地元でも有名じゃないのかしらと、ちょっと不安になります。
地図で探すと、戸隠バードラインという戸隠へ向かう道の途中にあるもよう。
 
里宮ときいて人里にあるお宮、つまりにぎやかな界隈にあるものだと思っていましたが、車はどんどん山の中に入って行きます。
あれ?
途中、七曲がりという場所にさしかかり、先の見えないきついカーブを何度も曲がっていきました。
あまりのくねりように、カーブを数えるのを忘れて車のドアにしがみつきます。



車酔いしそうになりながらもなんとかそこを抜けたら、こんな見晴らしの良い場所まで出てしまいました。
ここまできたら、もはや里じゃなくて山ですよね。
長野の人にとって、ここは山じゃないんでしょうか?



「確かこの辺から曲がるんだと思うよ」と、野生の勘でハンドルを切るミュウ。
神社の標識がないので(ほんとに?)とあやしみましたが、全権はドライバーに委ねてあるので、黙っています。
車一台がようやく通れる細道を通っていったところに、見つけました。勘が当たって、すごいわー。
わかりにくい場所にあるので、自分一人ではとてもたどり着けなかったでしょう。
地元の人に案内してもらって、助かりました。 

● 明治政府の対応

なんとか無事にたどり着いたので、参拝します。
市内一といわれる大杉がそびえたっていました。



天狗伝説があることからわかるように、飯縄山には修験者がいます。
その長を代々務める行者は「千日太夫」と呼ばれます。
里宮は、千日太夫の冬の期間の居所として、武田信玄が創建したものだそうです。
信玄公の粋な計らいですね。
ちなみにこの里宮でさえ、雪深い冬には行けなくなるため、町なかに分社があるそうです。
やっぱり里じゃないと思うんですけど!



大きな鳥居の扁額には「皇足穂命神社」と書かれていました。
おや?先ほどは石柱に里宮と書いていたのに、まさか違う神社にはったわけでは?と足を留めますが、説明を読んで納得。
権現は、神仏習合体なので、神仏分離令を出した明治政府としてはちょっと具合が悪いんですね。
そこで明治時代になってから、飯縄大権現は保食神の皇足穂命(すめたるほのみこと)とされるようになりました。
そのため、神社の扁額も、そちらの名前になっています。
大人の事情が見えます。



そんなこんなで、予想以上にタフな思いをして、ようやくたどり着いた飯縄神社。
念願の権現様に、やっとお参りできました。
ふー、スッキリサワヤカ~。
松の木立の参道が、また雰囲気があります。



● 小布施の町へ

飯縄神社参拝ミッションをクリアしたことに満足して、これで一日が終わったくらいの気分になりましたが、まだ昼前です。
朝が早かったので、午前中が長いわ。
再び七曲りのうねうねカーブを抜けて、次は小布施へ向かいました。
前からほんのりと憧れがあった町なので、嬉しいわ。
きれいな小さな町。呉服の豪族の出身地で、葛飾北犀が招かれ、製作活動を行ったことで、芸術的な町になったそうです。
すばらしい。江戸時代にフランスの貴族のようなことをした呉服屋がいたなんて、いなせだわ。



オー、ジャパニーズデザインのマンホール。
凝ってますね。北斎の描いた波でしょう。



● くりごぜん

お昼時になったので、栗菓子屋さんが経営している食事処、小布施堂本店に行きました。
人気のお店で、順番を待って入ります。
小布施は栗が有名なので、迷わず栗御膳にしました。



栗はもちろんのこと、高知なすがおいしかった~。
豚の角煮もとろっとろにやわらかくて、舌の上でなくなる感じ。
2人で「はう〜、おいしい〜!」ととろけました。



ちょうど席から、美しく手入れの行き届いた日本庭園が見えました。
気持ちの良いランチタイムです。



● 桝一市村のオープンガーデン

食後に、少し町を散策しました。
道端に大きな石があります。
「市神」と呼ばれるこの石は、市の守護神として町人に崇められていたのでしょう。
今でもきちんと祀られているのがいいですね。



水面に浮かんだ睡蓮の花が風情がありました。
酒屋の社長のお屋敷の敷地がオープンガーデンとしてリノベーションされて、一般開放されています。



桝一市村(ますいちいちむら)酒造場は、小布施堂を営む市村家が江戸時代より営んできた造り酒屋だそうです。
今しがたランチを食べたお店もですし、小布施に来たら小布施堂とは縁が切れないんですね。



酒樽がありました。
桝一のマーク「❏一(スクウェア・ワン)」がシンプルでわかりやすい!
ここのお酒のボトルは、どれも素敵なデザインのものばかりです。



すてきな醸造所の建物があります。
レンガでできた煙突は、現役だそう。



自然石をそのまま灯篭にし、両脇に配した逢瀬神社。
風情があります。
小布施の地名は、この神社の逢瀬という名前から発生したとも言われているそうです。

その2に続きます。



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2 Comments

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Unknown (アネッティワールド)
2017-01-19 15:17:26
真田丸の最終回で解説されてましたが
徳川家に就いた真田幸村の兄信之は松代藩の大名になるんですね。
その松代藩が生んだ佐久間象山によって幕府崩壊へと繋がるところに
真田家と徳川家の因縁めいたものを感じます


くり御膳美味しそう!(^-^)
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アネッティワールドさん (リカ)
2017-01-19 17:33:01
ああ、確かに真田信之も佐久間象山も、松代ゆかりの人物ですが、そう考えるとなんとも不思議な流れを感じますね~。

信之は好きな武将で、実直というイメージですが、松代市がいまだにずっと善光寺に回向柱を寄進し続けているというところも、もと藩主の意向をくんでいるのかしらと思ったりしています(^_^)
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