1.東武亀戸線と8000系車両
東武亀戸線はもともと本線として機能していた時代もあった路線である。
現在の東武鉄道の本線格は浅草から伊勢崎までの伊勢崎線であるが、
東武鉄道の最初の開業区間は、
1899年8月に開業した北千住から久喜までだった。
しかし東武鉄道は最初から吾妻橋を起点に考えていたようで、
さらには越中島までの延伸計画もあったが、なかなか認可が下りなかった。
1902年4月1日にようやく吾妻橋までの延伸が許可された。
この延伸の時に同時に申請されたのが曳舟から分岐して亀戸までの支線であり、
1904年4月5日に開業して亀戸から、
総武鉄道(現・JR総武線)に入り両国まで乗り入れていた。
これによって曳舟から吾妻橋までの区間は廃止された。
両国が東武鉄道にとっても起点駅となったのだが、
1907年9月1日に総武鉄道が国有化されると再び起点を吾妻橋に戻し、
旧吾妻橋(現・とうきょうスカイツリー)を起点として駅名を「浅草」とし、
1910年3月に旅客営業を再開、
これに伴って総武線への乗り入れは中止された。
現在の起点の浅草への乗り入れは京成電鉄と競合した。
京成電鉄は自社に有利に免許が交付されるように政界工作し、
それが発覚して社長が逮捕されるなどの事件となった。
京成電鉄はこのことにより浅草乗り入れを断念して、
東武鉄道が1931年5月に旧浅草を業平橋に改称、
浅草雷門(現・浅草)まで開業させた。
業平橋は東京スカイツリー開業に合わせ、
2012年3月17日に改称された。
亀戸線には南栗橋車両管区春日部支所所属の、
8000系2両編成が投入されている。
大師線と共通運用のため、一部の車両は曳舟から西新井まで回送される。
亀戸線、大師線はワンマン運転区間で、対応車両が充当されてる。