リキデンタルオフィス 医療関係者向けブログ

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27年6月27、28日 日本顎咬合学会学術大会

2015-06-29 08:14:30 | Weblog
今年も日顎学会で東京に。

今回、PGI名古屋のメンバーでは
藤井元宏、今枝常晃、伊藤正樹、前岡遼馬、大林敏、飯田真也の6名が
一般口演でプレゼンを行った。
一つのスタディーグループから6名のプレゼンは多い方と考える。

またテーブルクリニックでは、今年はPGI本会の飯山先生を推薦し、
総合診断からみる治療計画について講演をいただいた。

メンバーのプレゼンも頑張ってくれて嬉しい限りである。
名古屋から参加したPGI名古屋のメンバーの皆様 お疲れさまでした。

27年6月14日 BADS

2015-06-15 07:43:45 | Weblog
今月は大阪の南清和先生による総合歯科診療論Ⅱ
昨年10月の内容の続き。
今回もかなり内容がアップデートされており、
我々のために構成したという言葉をいただき光栄であった。

学術の世界においてのアカデミックな臨床家の内容は
説得力があり、結果がすべてであることを再認識できる。
南先生 お忙しい中本当にありがとうございました。

呆れた番組

2015-06-08 12:55:53 | Weblog
昨晩民放で紹介されていた良い歯医者そうでない歯医者の差 いう番組。
内容にかなり呆れてしまった。一つ一つ見解を述べたい。。。

初診の時に治療計画や口腔内診査でかける時間が長いということは
当たり前のことで、初診時だけでなく毎処置時も普通に時間をかけて
処置するべきであることが触れられていない。

一般開業歯科医に得意不得意分野をいうこと自体がおかしい。
専門分野で診察するというのは大学病院でいうことである。
一般開業歯科医は総合歯科診療が主であって、すべての分野に精通していなければ
いけないということではないが、各分野においてそれなりの水準のスキルと
知識をもっていることが当然ではなかろうか。

毎回口腔内写真を撮ること。
この表現だとすべての患者の口腔内写真を毎来院時撮るという風にとらえられる。
この様なことであるなら現実的にありえない。
口腔内写真を撮る臨床家の多くは学会や勉強会で見せるための症例を中心に記録を
撮っていることが多い。しかし口腔内写真で記録を追う本質は、トピックスとなっ
ている症状の経過の記録を撮ることや状態の変化を追う意味で撮るのである。
勉強会や学会に使うためではない。

毎治療前に歯科衛生士が口腔内清掃をする。
この表現も捉え方によっては大きな誤解を生む。処置前に清潔な環境を作る目的と
いうことを強調する必要がある。この解説が十分ではなかったと考える。
一般の人にとってはこの言い回しは歯科医院が自分たちの口腔内を人任せできれいに
してもらっていると捉えてしまう。誠の予防歯科学の考え方ではない。

虫歯をすぐに削ろうとしない。
これも解説が十分でなかったと考える。初期段階の齲蝕にドックセメントなどを
用いるとよいと説明されていたが、まず保険適用でない処置であることを述べていない。
また、程度によって可能でない場合についてもっと触れるべきであり、
齲蝕処置の術式が左右すること(MIの概念など)をもっと触れるべきである。

メディアもこのような形で特集を組むなら、もっと掘り下げた内容で歯科事情を
紹介するべきである。公共の電波で不特定多数の視聴者が見ることを考え、
もっと慎重に編集するべきである。
出演していた歯科医も偏ったことを述べるべきでないと思う。
はっきりいって、いい歯医者 悪い歯医者 という部類分けを行う前に、
歯科医療の本質にフォーカスをあてれば自然に良質な歯科治療を行っている歯科医は
どんな歯科医かふつうにわかると思う。

学会で頻繁に講演を行っている先生だからその先生の講演がすべて素晴らしい?
本当にそのような素晴らしい先生はごく一部だけと私は考える。
研修会や海外の大学に研修に行っているからその先生は凄い人だ?
研修会に参加し学術を研鑽することは大切なことだが、その学んだ知識をどう臨床に
役立てているかの方が重要である。頻繁に海外の研修会に参加してることを自慢気に
掲げていることはむしろみっともない。また数日間だけ海外の大学で研修しただけで、
海外の○○大学卒業と表記していることは虚偽以外なんでもない。
ましてや経営セミナーの講師の域などは医療の本質とは程遠い、
医療を完全に商売化したものであり患者はお客様になってしまっている始末である。

「メダチタガリヤのペテンシのホラフキ・ハイシャになるよりも、
      患者から感動と感謝と尊厳が与えられる歯科医師になるべし」
PGI創設者の故・寿谷一先生の記した言葉 
まさに我々が指針とすべき内容であり全てはこれが出発点ではなかろうか。