※鴨長明(1155頃-1216)。 ※現代語訳は角川ソフィア文庫を参照。
「発心集 第五」「二 伊家(コレイエ)並びに妾、頓死往生の事」
男(藤原伊家)がある優美な女性に言い寄り、長年通っていたが、だんだん途絶え、とうとう通わなくなった。女は嘆きながら年月を送った。ある日、男が牛車で女の家の近くを通った。女は「申し上げたいことがございます。お立ちより下さい」と告げた。男は車を留め、邸に入る。しかし以前と違い、庭はすっかり荒れていて、男は自分の罪深さを知った。女は少し面やつれしていたが依然と同じように美しく、肘掛けにもたれ法華経を読んでいた。女は法華経の「この命終に、即ち安楽世界の阿弥陀仏のもとに往く」という部分を、二度三度繰り返し読み、そのまま眠るように、座りながら息絶えた。鴨長明の意見:男に捨てられ苦しさから悪霊になった女の例などと較べれば、この女は、その苦しさを極楽往生の機縁にした点で大変立派な心の持主だ。
《感想》鴨長明は、男に都合の良い綺麗ごとを述べている。女は悪霊にならなかったが、絶望は深く救済を法華経に求めるしかなかった。絶望が女を悪霊にし、男に復讐したとしても、女が責められる理由はない。
「発心集 第五」「二 伊家(コレイエ)並びに妾、頓死往生の事」
男(藤原伊家)がある優美な女性に言い寄り、長年通っていたが、だんだん途絶え、とうとう通わなくなった。女は嘆きながら年月を送った。ある日、男が牛車で女の家の近くを通った。女は「申し上げたいことがございます。お立ちより下さい」と告げた。男は車を留め、邸に入る。しかし以前と違い、庭はすっかり荒れていて、男は自分の罪深さを知った。女は少し面やつれしていたが依然と同じように美しく、肘掛けにもたれ法華経を読んでいた。女は法華経の「この命終に、即ち安楽世界の阿弥陀仏のもとに往く」という部分を、二度三度繰り返し読み、そのまま眠るように、座りながら息絶えた。鴨長明の意見:男に捨てられ苦しさから悪霊になった女の例などと較べれば、この女は、その苦しさを極楽往生の機縁にした点で大変立派な心の持主だ。
《感想》鴨長明は、男に都合の良い綺麗ごとを述べている。女は悪霊にならなかったが、絶望は深く救済を法華経に求めるしかなかった。絶望が女を悪霊にし、男に復讐したとしても、女が責められる理由はない。