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DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

J.D.ヴァンス『ヒルビリー・エレジー:アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(2016年)(その8)第9章「私を変えた祖母との3年間――安定した日々、与えてくれた希望」!

2020-10-03 09:34:00 | 日記
第9章 私は、母の7番目の夫ケンの家にいて、高校中退になりそうだった!(私16歳、高2=10年生)(206-241頁)
J 私は、母の7番目の夫ケン(韓国生まれ)の家にいて、高校中退が現実になりそうだった。(私16歳、高2=10年生、2000年)
J-2 祖母からは「学校でいい成績を取ることがいかに大切か」何度も言われた。「うちの一族で『出世する』人間がいるとしたら、お前にちがいいない」と祖母はよく言っていた。高校を中退するなど、とんでもない。
J-3 母は看護師免許の更新で、無作為抽出の尿検査にあたった。母は私に「クリーンな尿をくれないか」と言った。母は「当然の権利」と言わんばかりで、私に「高圧的」に「尿を渡せ」と言った。「良心がとがめているふうはなく」、「間違ったことに加担させようとしている自覚もない」。それに「二度とドラッグをやらない」という約束を再び破っているのに「罪悪感が見られなかった」。
J-3-2 私が断ると、母はころっと態度を変え、言いわけがましく必死に縋り付いてきた。涙を流して懇願する。
J-3-4 だがそれはこれまで何度も繰り返されたことで、「これっぽっちも信じられなかった。」私はついに怒りを爆発させ母に「クソみてえな親だ」と言った。祖母が「助けてあげたら、今度こそ反省するんじゃないかね」ととりなした。

第9章-2 私は祖母の家に移った!(私16歳、高2=10年生)誰にも邪魔されることなく、祖母と2人きりで過ごしたこれからの3年間が私を救ってくれた!私は、祖母の家に引っ越した直後から成績が上がりだした!母はケンと別れた!
K  検尿の1件で祖母の我慢も限界を越えたようだった。「もう母の所に帰る必要はない。ずっとここにいろ」と祖母が言った。私は祖母の家に住むこととなった。
K-2 祖母との暮らしは楽しかったが「忍耐力」が必要だった。①祖母に負担をかけているのではないかという不安があった。②祖母は頭の回転が速く毒舌で、なかなかしんどい相手だった。ごみを出し忘れると「クソみたいにぐずぐずしてんじゃないよ」と言われる。宿題をし忘れると「ううすのろ」と呼ばれ、勉強しないと「ろくな人間にならない」と説教された。
K-3 私が高校2年(10年生、16歳)の終わりに母はケンと別れて、数カ月間、祖母の家のソファーで寝起きしていた。
K-3-2  祖母はだぶだぶのジーンズに男もののTシャツといういで立ち、長いメンソールのタバコを唇に垂らしていた。
K-4 高校3年(11年生、17歳)の時、私(著者)はテストに合格し、高等数学の上級クラスにはいった。そして祖母は、「高性能のグラフ電卓」を180ドルもの大金をはたいて買ってくれた。この件で祖母が何に価値を置く人間かよくわかり、私はそれまでと全く違う姿勢で勉強に励むようになった。
K-5 「誰にも邪魔されることなく、祖母と2人きりで過ごしたこの3年間が私を救ってくれた。」「祖母の家に引っ越した直後から成績が上がりだした。」(高2=10年生=2000年、高3=11年生=2001年、高4=12年生=2002年)

第9章-3 アルバイトを通して私は「アメリカの階層格差」について知るようになった!(私17歳、高3=11年生、2001年)
L 祖母は私に「アルバイトをしたらどうだ」と言ってきた。「自分のためになるし、1ドルの価値を学ぶ必要がある」というのだ。耳を貸さない私に、祖母は「強く命令」した。しかたなく私は近所のスーパーでレジのバイトを始めた。
L-2 レジ係として私は「アマチュア社会学者」となった。(ア)ひどいストレスで、些細なことで店員を怒鳴りつける客がいる。(イ)アルバイトを通して私は「アメリカの階層格差」について知るようになった。そして金持ちに対しても自分たちのような(※貧しい)人間に対しても憤りを覚えるようになった。
L-3 (ウ)粉ミルクを買うのは貧しい人だけ。金持ちは母乳で子供を育てる。(エ)スーパーのオーナーは昔ながらの人間で信用のある客は請求書払いだった。「ヒルビリー」たちのような(※貧しい)人間は信用がおけないと思っていた。(エ)-2 私は「いつか自分も請求書払いで買い物できる人間になってやる」、そう思って自分を奮い立たせた。

第9章-4 「生活保護制度」を利用しうまくやっている連中は、役所から気前よくお金をもらって暮らしている!その上、贅沢品を手に入れられる!(私17歳、高3=11年生、2001年)
M 「生活保護制度」を利用しうまくやっている連中についても知った。(a)フードスタンプで炭酸飲料を2ダース買い、それをディスカウントストアに売り払って金に換える。(b)食べ物はフードスタンプで買い、ビールやワインやたばこは現金で買う。(c) 「携帯電話」で話をしながら会計を済ませる。(Cf. 私は当時、「携帯電話」も持たず、ろくな服も着ていなっかった。)(d)連中は役所から気前よくお金をもらって暮らしている。その上、私が夢に見る事しかできないような、贅沢品を手に入れられる。
M-2 私たち(私と、私の話を聞いた祖母)は、「労働者階層」の仲間の一部に不信感を抱くようになった。私たちはみんな、何とか生きて行こうと四苦八苦しながら、「きちんとやりくりをし、一生懸命働いて、より良い人生を送りたい」と願っている。ところがかなりの数の連中が、生活保護で生活しうまくやっている。
M-2-2 奴らは俺たちの社会をバカにしてる。「働き者」が、「あいつら毎日働いてるぜ」って笑いものにされる。
M-3 近所の生活保護を受けている薬物依存者がTボーン・ステーキを買っていく。私は税金を徴収されているのに、自分では金がなくステーキなど買えない。
M-4 これが17歳(高3=11年生、2001年)の時の私の考えだった。祖母が「労働者の政党」と呼んでいる民主党の政策は、さほど褒められたものでない。
M-5 これが、アパラチアや南部が、「民主党」の強固な地盤から「共和党」の強固な地盤へ変わった背景の一つだ。

第9章-5 祖母の立場は対極をいったりきたりした!「極端な保守主義者」になることもあれば、「ヨーロッパ型の社会民主主義者」になったりもした!
N だが祖母も私も「働いている貧乏人」と「働いていない貧乏人」との共通点を認めざるをえなかった。「真面目に働く」ヒルビリー移住者も、「生活保護」受給者も、ドラッグや真夜中の喧嘩は同一だった。
N-2 祖母は分裂していた。一方で「政府が手を出しすぎだ」、「怠け者に金をやるクソ政府、大っ嫌いだ」と言う。(※共和党支持者の側面!)他方で「政府があまりに何もしない」と怒る。(※民主党支持者の側面!)(祖母は弱い人に同情的で、情に流されすぎるくらいの人間だ。)
N-3 祖母の民主党支持者の側面:(1)「どうしてこの国は、空母を買う金があるのに、母のような薬物依存者が治療を受けられる施設をつくる金はないのか。」(2)「金持ちが、その地位にふさわしい社会的責任を果たす気がないのはもってのほかだ。」(3)学校改善の増税が住民投票で繰り返し否決されることに対し、「社会が私のような子供に質のいい教育を提供する気がないのだ」と祖母は怒った。
N-4 祖母の立場は対極をいったりきたりした。「極端な保守主義者」になることもあれば、「ヨーロッパ型の社会民主主義者」になったりもした。
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