あのペーター・レーゼルのピアノを聴いてから
クラッシックの他の音楽を聴かないようにしています。
あの美しいイメージが少しでも長持ちするように
大切に大切にとっておこうという気がするのです。
この小説も
『ヘブン』も実に美しいと感じました。
最初は書評とか週間ブックレビューなどでも
いじめをテーマとしているということから『悼む人』みたいな
現実の悲惨な状況をえぐった現代風刺がテーマのような
読むのが苦痛となる本を想像していました。
出揃ったパーツとヘブンという表題から当然、苛められて
どこからに救いを見つけそれが題名に結びついて
いるんだろうなと安易な予測を立ててしまいます。
最近の小説のように殺伐とした人間模様や社会風景は
今更知らされたくもないし、その先にあるものや
作者の導き出しなども安易で陳腐な物が相当と端から
魅力を感じないのです。
最近、そんな小説的な感動を持たない作品ばかりです。
そんなものの一種だと読み出したのですが、テーマと
しての苛めを受ける少年の身の回りはやはり暗く何の
救いのないように展開しますが、しかし何の誇張も
何の割引もない淡々とした展開は妙に静かに美しく
やがて少年の理解者が現れるともうこの世界から
目が離せなくなります。
最近小説を読むと『1Q84』のヒットをねたにした
漫画の一節をいつも思い出します。
小説っておちがなくていいんだ。
普段簡単な完結的な物語に慣らされた人から見れば
それは至極当然な台詞だろうと思います。
小説とはうちっばなしの鉄砲と同じでその軌跡も
見ることはないし、着弾点をどうこうすることも
ないし、そのスタイルをどうこうすることは出来ても
どんな気持ちで弾が飛んでいったかなんて知る由も
ないし正しい飛び方だったかなんて議論することも
憚られるのです。
あの打ち方ならかなりいいところに飛んだんだろうと
いいあい、あの人が打ったからいいとか好きだとか
あの鉄砲だからいいとか日々議論はかしましいのですが
そんなことは本の中の疑似体験とは無関係です。
それでもこの小説は先日のピアノソナタのように美しい
と感じさせる世界があるのです。
切なくむなしいやりきれないような世界を書いているのに
何かを好きになったり、愛おしいと思ったりすることの
なんと美しいことか。
それに気づかせてくれる小説です。
それがとても醜い世界の中での出来事でも、それを見させて
くれてありがとうといわずにはおれない物語でした。