King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

それは解らないけれど

2011年04月24日 10時13分40秒 | 日々のこと
昨日のニュースには複雑な思いをしました。

教皇に世界中の子供から質問が寄せられ、それに
答えたというものでした。

その質問者に日本人の被災者の女の子がいました。

『私は地震で大変怖い思いをしました。なぜこんなつらい
体験をしなければならないのですか』

そうです。私も多くの識者に、とりわけ宗教者には
どんな説明をするのか聞いてみたい質問でした。

地震以来読むものや見るテレビなども何か世の中とシンクロして
色々考えるようになってしまっています。

震災の電気の供給も不安定な中読み出したのが『opローズダスト』、
テレビでは『フラッシュフォワード』、新聞では履歴書がブッシュ
になっていろんなシーンが現実に重なってきます。

テレビに映る延々と続く廃墟の町並み。襲い掛かる津波、
そして続くインフラを断たれ集団で不自由な生活を続ける人々。

中々収まりのつかない原発事故。会議やら担当大臣ばかりつくり
何もできない政府。

なぜ、こんなつらい思いをしなければならないのですか。

そんな素朴な疑問に教皇はなんと答えたか。

私の見たテレビでは、『それは私にも解らない。気持ちは貴方達と
共にあり、祈る事はできる』というものでした。

ベネディクト16世の答えが神のご意志などというものだったら
がっかりですが、私にも解らないがというのは見事だと思いました。

例えば日本の宗教者に同じ質問をしても解らないとはいわないでしょう。

日本人にとって神は絶えず助けてくれるものであり、病気や天災は
何かの罰でした。

テレビでは敢えて神という言葉を省いたのか、違和感とさすがだなと
感じたイメージも実際の言葉は少し違っていたようで、ネットで見た
言葉にはキリストの痛みとか神は我々の側にという言葉も見られます。

所詮宗教で気持ちを楽にしたり、政治や行政に期待する事は
できないということははっきりと解ります。

そもそも何かに期待して待ったり、何かを人に託して依頼したりと
いう気持ちに自ら足元に立ち返り、もう一度自を律して見なくては
なりません。

神ならず者に神の気持ちを聞くことも結局そういうことです。

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