King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

たい焼きとブラックサンダーに

2019年02月21日 09時06分36秒 | 珈琲

先日のドキュメント72時間は四谷のたい焼きでした。

これはやる前から楽しみにしていて録画していつ見ようかと思い、

昨日やっと見たのです。

 

なぜそれほどたい焼きが私を魅了するのか。

それは、私には幼少期に毎日食べた思い出のたい焼きがあるからです。

それがあの一匹づつ型で焼くあの薄皮であんこたっぷりのたい焼きです。

秩父の銭湯のある裁判所の裏門の路地に小さなたい焼きやがあって毎日

食べていました。お店の人と仲良くなり、焼かせてもらったこともあります。

 

私は甘いものが嫌いできんつばなどもらっても食べない子供でした。

取り分けあんこが嫌いであんこの入ったアイスを泣いて嫌がり、あんこを捨てて

食べたといったエピソードを思い出します。

 

それなのにたい焼きは他のまんじゅうなどと違い大好きで毎日食べていたのです。

 

小さなたい焼き屋は薪で焼いていて見てくれもよくなく、近くに一遍に10個以上焼ける

型を備えた専門店ができるといつの間にかなくなり、誰もその後をうわさすらしませんでした。

新しくできた店は皮も今たこ焼き屋などで見る引き金を引くと小麦粉が流れるものを使用し、

ガスの連台でものすごい速さで大量生産が効きます。連日行列ができしっぽまで餡が入っていると

評判でした。

 

ですが、私は昔食べたあの十円玉を握りしめて買いに行ったあの味とは違うと思っていました。

 

当時、泳げたいやきくんという歌のヒットもあり店は評判となりましたが、その時に生意気にも

しっぽにあんこが入っていてはいけないんだという同級生がいたのを覚えています。

私の記憶にある皮がパリッとしていて中はあんこがたっぷりというたい焼きは秩父では消えましたが、

なんと大都会東京では生きていて、それも私が昔食べたのと同じ一尾一尾の型焼きのままの店が

まだあるのです。

 

そんなこともあり、六本木と甘酒横丁のたい焼き屋は行列に並んで買いに行きました。

 

今回の四谷の店は初めてですが、あの一尾一尾の焼きでパリパリの皮です。

 

それは画面を通しても伝わり、もうあの当時の記憶が蘇りどうしようもなく愛おしいという

感情に駆られます。

 

されとて今までの経験で行列して苦労して手に入れてその場で食べてもかつての記憶が

蘇るだけでその時代に戻れるわけでもその時の意識が蘇るわけでもありません。

あくまで一尾分の幸福が膨大な幼少期の記憶を引き寄せるだけです。ただ、それができる人と

そんな体験のない人には及びもつかないたい焼き愛がない人には一尾分の幸福の度合いも

けた違いなのに違いありません。

 

そんな思い入れと昔の体験はあとから追加できるものではなく、昔の駄菓子屋で買い食いした経験

を持たない人を不幸に思ったりしますが、実は私も持たないその種の記憶があることも事実で、それが

先日テレビで見たブラックサンダーです。

番組でブラックサンダー愛を語る外人の映像に安倍首相や体操の内村航平など有名人も好きなブラックサンダーと

いうお菓子の人気に驚いたのでした。早速昨日スーパーで見かけて買ってみました。

 

食べてみてただ甘いだけのその菓子に何の魅力も感じないのでした。

 

やはり物には物語が必要なのかと感じる出来事ですが、私の売る珈琲豆もそんなことで

売るしかないのかと感じたり、人と人のつながりとか単純ではないものを売るということ

をあれこれとずっと考えさせる事件なのでした。


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