King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

資本主義終焉の記事に

2015年01月14日 23時56分56秒 | 日々のこと
珈琲屋こよみシリーズを読みんだ後は
文芸春秋を読んでいましたが、これは
エスタブリッシュメントを支える人たちと
その周辺の人の読者の読み物と思っていましたが、
その中で日本大学の教授が書いた資本主義は死んだ
は興味深い内容でした。

今私の中で一つのテーマとして挙がった命題が
非科学的なことを全ての人が取りやめたらと
いうのがあります。

これについては作品になるかどうかわかりませんが、
イメージが降って湧いてなおかつ自分の考えのテーマにも
沿ったものなので是非まとめたいという意欲が久々に湧いた
ものでした。

その伏線ともなる経済至上主義やアベノミクスに
敢然とNOというかのようなこの文芸春秋の記事は
面白いものでした。

一見経済学上数学的に資本主義の行き詰まりを書いて
いるようでいて実は観念的な表現で終始していて人々の
消費行動や現実の消費に基づき本当に現実に拡大が
とまり、もう第四の手法でもない限り順列的な資本の
拡大は果たせないのかという印象を与えます。

つまりは成長戦略でアベノミクスは拡大しえず、失敗
するのだというのが主張することなのは理解しますが、
株価にしろ日本の伸びしろは手を付けていないことが
あり、まだやり方次第ではかつてのように経済でなお
成長路線に乗ることは可能かと思います。

秩父の経済でいえば、今年に入ってお正月商戦や各商店の
売り上げや人出などは今ひとつパッとしないので今年は
厳しいという声が大半です。

行政側や市会議員の話などを聞くと秩父には公共事業が
目白押しでその景気効果も当分続くといいますが、その
取り組みと進み方に疑念の念を持つ人も多く、果たして
どういう結果になるのか、市民としての不便や迷惑を
感じつつもやはりあるべ物はというイメージは皆もって
いるのです。

エネルギー問題でも一見積極的な取り組みの秩父も
実はになっている人や組織に万全の気配もなく、現在
バイオ発電は休止中でその未来も明るくありません。

先の資本主義が死んだでも、それを蘇生させる処方箋
として新たな価値観というカンテラがあったように、
エネルギー問題に進取を取り入れることで開ける未来も
あるのです。

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