King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

さまざまな事象を経て

2023年10月29日 10時45分27秒 | 珈琲
昨日は体育館から眺めた月がとても明るくきれいでした。
いつものバスケットの練習でしたが夜になり足が激しくいたくなりいまにもつりそうになり普通に真っ直ぐ足を伸ばせず、そして眠けも強く寝てしまいました。
この足の痛みは朝も続いていてそんなに走ったかなあと思い返してみて昨日やったリバウンド練習がどうやら原因としか思えなくて改めて諦めてしまうことやできないと思って選択を狭めることの危うさを思うのでした。
昨日エスプレッソレディを飲んでみますとあれこれなにと思うほど全然違うイメージでした。
10月末になり私は吹く風や朝晩の冷え込みにはや冬の気配を感じていますが町を行き交う人の中に必ず半袖姿の人はいて、それはなにも必ずしも若い人や太った人に限らずといった感じなので寒さの感じ方とか季節感なんてあまり万人に共通なものではないのかと思ったりします。私はこんな寒さを感じ始めた季節にはこってりとした深い味わいの珈琲でしばしまったりしたいと思ったりします。
ケニアやモカマタリの深煎りの豆はいつも必携です。特にこんな実りの秋で美味しいものが溢れている時期はなおさら美味しい珈琲豆を用意すべきです。ここのところ何回かクラッシックのリサイタルに行きましたがそんな何百年も前の音楽を何故聞く必要があるのかという当たり前のような質問におのずとでてきたのは今月の100分で名著がアリストテレスのニコマコス倫理だったり絶対王政から人民民主主義、法と自由人権と変わったように古代から人類が目指し何をなそうとしてきたかを理解するにはそんな音楽を聴くと見えてくるのでないかと思えてくるのです。そうして全世界的につながり人類がこの先目指すべき物を考えたとき珈琲の起源から世界的な広がり方。生産者と消費国とその格差のあり方まで含めて何をなしていくべきかも理解させられるような気がします。


コメント
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