「社会人」の英語教育はどうすれば効果的か。若き英語教師Aさんへ。2/3
「社会人が英語を学習する際、英語以外の何かを目的とすべし。」
一回目は、この言葉で終わりました。エッセイの題目は「「社会人の英語教育、学習」はどうすれば効果的か」なのですが、一回目は「どうすれば」まで至らず、社会人の英語教育の意義について触れたところで終わりました。学校教育という人工的な枠組みがら外れることで、人々の頭は「試験モード」から「問題解決モード」に変わっているので、社会人になってからの方ががんらいの英語学習をしやすいというのが一回目の趣旨でした。
■小学生に戻って英語を学ぶ
よく”Enjoy Englsh!”という言葉が使われますが、その言葉に抵抗を覚えると述べたのが、NHKの小学生向け英語講座『プレキソ』の初回ヴァージョンを監修された小泉さんという方でした。Aさんもお気にいりの番組でしたよね。現在進行しているプレキソではなく、2011年に作成されたヴァージョンですが、これは、傑作といってもよい語学番組です(このブログにアーカイヴを見る方法があります)。その番組では、「英語以外の目的」、たとえば、長方形の紙から正三角形を作るにはどうしたらよいか、という問題を設定し、その問題を解く方法を英語で説明するように何人かのnative speakersに求めます。その過程で、the same length (同じ長さ)、fold(折る)、sixty degrees(60度)という英語がどのポイントで言われるか、動画とともに見ている人の頭に入れさせようとします。見た後、小学校の教室や家庭で、登場人物が折っている場面を指摘して、「この時なんて言っていた?」と訊いて、”Fold it.”と答えればOK。その子は今後、foldという単語が出てくると、このプレキソの一場面を思い浮かべることでしょう。最終的に正三角形は完成します。問題が解決されたわけです。この達成感は語学習得の効果と無関係ではないでしょう。
社会人への英語教育は、ある意味で、このような小学校教育の一面に戻ることを意味します。つまり、中学校、高校の試験体制による強制に曇らされていた目が晴れるのです。大人になると小学生並みになるとは変に思われるかもしれませんが、リアルに問題を見つめる力は小学生時代に芽生えているのです。大人ともなると、つまらないものも含めて情報量だけは増えていますから、具体的なアプロウチは違います。
■英語以外の何かが英語学習に必要
ある生徒さんは、サービス業の国際基準の制定に携わっていますが、ヨーロッパ基準と、ヤマト便から始まった日本発の基準の違いを1、2分の英語で述べる練習をしています。この方は会話力は初歩段階なのですが、教師の助けとともに、箇条書きで、ひとつひとつ短い英語で言うことができました。「英語以外の何か」を英語で表現する作業ですね。⓵サービスとモノの違い、⓶欧州は組織全体の基準、⓷日本は個々の作業の基準の集合…、などです。一見難しそうですが、英会話の初歩段階でもけっこう言えるものです。最初は助けられてなんとか。二度目はご自分の力で。ちょうど終わるころ、次のクラスの中級の生徒さんが来られたので、まったくしろうとの、その方に3度目のプレゼン。そして質問を受ける、という段階まで練習できました。英語にすることで、より問題をより明快するという効果もあります。なにより、ゆっくりでも、1分、2分でまとまったことを言うことは自信につながり、次の学習の動機づけになります。
もっと簡単な「英語以外の何か」を言う練習もあります。日常的な、とても小さなことを筋道立てて英語で言うという練習です。昨日スーパーへ行って何のために何を買ったかを行ってみるなど。たんなる「感想」ではなく、小さくても論理的に組み立てることに意義があります。その過程で、but、so、andから始まる接続詞を正確に使ってみるなどの練習になるのです。さきほどのピーターセンは、日本人は作文で結果のsoの使い方をよく間違えると言っていますが、こういう一見小さなことの訓練は中学、高校で元来しておくべきものでしょう。この点についても、Aさんの意見を伺いたいです。
■学校を出てから経験する新鮮な英語学習
狭い意味での英語にかぎっても、たとえば、不定冠詞のaと定冠詞のtheのあるなし、または取り違えが大きな意味の違いにつながる、または笑ってしまうような事態を引き起こすことなど、案外みなさんにとって新鮮な体験です。マーク・ピーターセンが『日本人の英語』で述べている、「昨日、鶏を食べました」をI ate a chicken yesterday.と言うと、「一匹食べたの?」と言われてしまう話はAさんも読んだことがありますよね。I ate chicken(「鶏肉を食べた」)と大きな違いです。大學受験だけでなく、TOEICなどにも言えることですが、名詞の数、冠詞、それに、動詞、助動詞の形は英語の根本をなす要素であるにも拘らず、そもそも試験問題になじまないのです。それらの要素は、「文法的知識がある」とかないとかではなく、会話でも文章でも、身につけていないとお話しにならない大切な点であるのですが、試験モードで学習しているとすっかり意識から抜けてしまいます。
名詞の数、冠詞、動詞や助動詞の形の学習の重要性は、それらが<日本語には存在しない>ということです。外国語学習でつまづく一つの点は、母国語にない表現の学習です。つまり、外国語の学習は、自分とは違う言語を使っている人、さらに言うと、自分とは違う考え方をする人を理解し、かつその人に理解してもらうということです。英語学習を再開した方はそのことに気が付きます。それは新鮮な体験で、学生時代になかった英語学習の動機づけになるのです。
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