「Why?」の疑問に対する二種類の答え方
NHK AM第一放送の『夏休み子供科学相談室』で、「ありはどうして壁を登るの?。」の「どうして」をアナウンサーが、「なぜ」という意味ですか、「どのようにして」の意味ですか、と、即座に、鋭く問い直している場面について触れました。今回は、「なぜ」にも二つの意味があるという点について。いや、より正確には、「なぜ」という問いかけに対する答えには二種類あるということについて触れます。
「すっきり」するために問うのか
番組のなかで、司会のタレントの人が、先生の答え、説明と言い換えてもいいでしょう、のあと、「~~ちゃん、すっきりした?」と問いかけていましたが、これはいただけない。「なぜ」と問うのは「すっきり」するためでしょうか。これは科学の番組です。問に対する答えは次の問題を解決するためのステップなのです。問を立てることこそ重要なことなので、それに対して答えは出るかもしれないし出ないかもしれません。出たとしてもそこから次の問いを立てられることに意味があります。この番組では、子供たちの問いかけこそが貴重です。「茗荷を縦に切ったときと横に切ったときで味が違うのは何故」、「なぜ数字に終わりがないの」、「時計はなぜ右回りになったのですか」、「どうして重さがあるの」、「なぜいい空気と悪い空気があるの」、「毒を持っている動物は毒で死なないの」。先生たちは、これらにうまく答えられる場合もあれば、うまく行かない場合もあります。答え方に関しては、言葉の使い方という観点からすでに少し述べました。今回はこれらのことを疑問思ったということがこの番組の一番の聴きどころだということにこそ注目すべきだと思い記事を書きました。
もやもやを解決するためのWHY
たしかに人はもやもやを解決するために「なぜ」と訊く場合があります。しかし、説明を聞いて「すっきり」した場合、それで解決したのか。うまくだまされたのではないのか、と疑ってみることができます。心の不安はなくなるでしょうが、じっさいの問題は解決するのかと問う余地があります。しかし、すっきりしたくて訊いた人にはそうした動機が乏しいです。「神のお告げだ」という説明を聴いて恐れ入った人は最初から神のお告げを聴きたかったのでしょう。問題を解決するために訊いたのではないです。そう、「すっきり」するために訊くのは、ずっとたどっていくと宗教へ行きつきます。なかにはたちの悪い宗教まがいのものもあるので注意しなければなりません。答えの出ないのを承知で叫びが質問の形をとる場合もあります。キリストの最期の言葉、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」、神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや、はその究極的な表現です。
もう一つのWHY
科学における「なぜ」はそれの対極にあるというべきです。その答えは次の質問につながるのです。茗荷以外の野菜で試したらどうでしょう。味が変わるものと変わらないものに分かれる場合もあるかもしれません。そうしたら、なぜその違いが生まれたかと問うことができます。このように「現実」の問題を一歩ずつ解決していくがもう一つの「なぜ」に対する説明です。
ちょっと残念なのは、年齢が上に上がるにつれ、質問が本質的でなくなる傾向があるのです。なぜか小学校3年生が一番質問してくるようです。6年ともなると塾の勉強で忙しくなるのかもしれません。今日の新聞によると、ノーベル賞をとった本庶さんは、研究の原動力は何かと訊かれたとき、「何かを知りたいという好奇心だと即答したそうです。その上で大切なことは6つのC、「好奇心」、「勇気」、「挑戦」、「確信」、「集中」、「継続」だそうです。6つのCとは何かの答えは下にあります。最初に挙げたのが「好奇心」。これを大人になっても持ち続けることができたら、職業的な科学者でなくても人は幸せものです。
「好奇心」curiosity、「勇気」courage、「挑戦」challenge、「確信」conviction、「集中」concentration、「継続」continuity
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