
暦が信じられないような昼下がり、庭を横断していると、遠くねこ2頭うなる声。どれどれと一応近くに行ってみる。
すると畑の隅っこ道に出たところ。最近、図体の成長に合わせて勢力伸ばしつつある1歳足らずのおすねこ・ふくめん、ふうふうと闖入者脅かす。おお、がんばなあと敵に目をやると仰天。1年少し前にいなくなったたれ目ではないか。
05年春生まれのたれ目は毛なが柔らか類の巨大なおすねこ。小さい頃に左目を怪我して、手術を受けたけど片目になってしまった(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/a768e5fe271cc672713842cda1d2e56c)。その年の夏は「たれ目の夏」と呼べるほどつきっきりだったのだけれど、大所帯がいやだったのか、1歳にならない冬に出かけたまま戻らない。近所ででかいしっぽの後姿を見て、もしやと思って追ったことも何度かあった。
自分より小ぶりなふくめんにも手加減なくふーっ。何か間の抜けた感じはどう見てもたれ目のそれだ。だーめだよ、と両者にいって引き離し、勝ち誇るホームふくめんを残し、アウェイたれ目を追跡することにした。
車が通る道なのに、長い毛をふさふささせてとことこ逃げる。雪男みたいというかヌウみたいというかの重いからだをもてあまし気味のアクションは、どう見ても懐かしいたれ目だ。それにしても逃げなくていいのに。
たれ目の鳴き方は、まったく他のねことは違っていた。母のキャサリンみたいににゃーんとビブラートで甘えるでもなく、おばのカミーラみたいにニャッ、ニャッとスタッカートで自己主張するわけでもなく、びーっという声は、「鳴く」というより「泣く」ように思えた。20歳頃にみた石坂啓さんのマンガにあった仲のよかった被差別民の子どもが大声で泣くシーンが忘れられないのだが、なぜだかたれ目の泣き方は決して音をきいたわけでないその子どもの泣き声を思わせた。わかったわかったと抱き寄せると、びーっといいつつ長い毛と柔らかい毛をすりつけてくる、その感触は忘れられない。
大丈夫だからな、大丈夫だからなと病院に向かった道。おとなしくしてた待合室。「こんなになりました」と看護師のSさんが見せてくれた手術後。エリザベスカラーで大暴れしてきょうだいたちに突進。何てったって顔だってぶさいくだ。
それは、たれ目ーっ、たれ目ーっ、と抱きしめると、びょーぁ、びょーぁ、と目を細くして叫んでいた、春から冬にかけて。
そんなことを思いながら、とことこ歩くたれ目を追う。ピッチ走法なのに人間が走らなくて大丈夫なくらいのスピードは、なだらかな昼下がりの曖昧な太陽によく似合っている気がした。
まず、10メートルほど離れた家の庭に。周りは畑で出てくるところは全部見えるから川の方面で待ち伏せすると、やっぱり間抜けそうに道を渡って向かいの家の横の畑のあぜ道にうずくまる。
1年ぶりに面と向かったたれ目だった。威嚇するでもなく、姿勢を低くしたままじっとこちらをうかがっている。そういう警戒心のなさは、まさにたれ目だ。
でも、左目をみると、ちゃんと開いて、きちんと見えているようにみえる。その点だけがたれ目と違っていた。ほかは毛なが柔らか類のからだも、ねこらしくない行動もすべてたれ目そのものだ。
1年会ってなかったねこは、かつて何夜も一緒に寝たとはいえ人間を憶えているだろうか。あの内田百がもしノラに出会えていたとしたら、ノラは百先生のことを憶えていただろうか。
時間にしておそらく5分くらい。左目が見えるようになったたれ目と思い出を語って、私は家の方向に動いた。解放されたたれ目は、同じようにとことこと川の方へ歩いていく。
遠ざかるしっぽを長い毛を見ながら、ありがとうな、また会おうなと心の中でいいながら陽だまりの中を家への道を歩く私と川へ急ぐたれ目の間の距離は、少しずつ広がっていった。
一人と一頭がおたがいを確かめていたのをみていたのは一月のぼんやりした太陽だけ。そしておたがいがかわしていた言葉をきいたのは、きっと誰もいない。
今日2月22日は、「にゃんにゃんにゃん」でねこの日だそう。ちょっと前の一月、昼下がりのたれ目を追う。
(Phは「予防接種証明書」のたれ目。これと同じプリクラみたいのももらったがどこに。BGMはこの人はねこっぽい、アルゼンチン音響派の歌姫、フアナ・モリーナ)
すると畑の隅っこ道に出たところ。最近、図体の成長に合わせて勢力伸ばしつつある1歳足らずのおすねこ・ふくめん、ふうふうと闖入者脅かす。おお、がんばなあと敵に目をやると仰天。1年少し前にいなくなったたれ目ではないか。
05年春生まれのたれ目は毛なが柔らか類の巨大なおすねこ。小さい頃に左目を怪我して、手術を受けたけど片目になってしまった(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/a768e5fe271cc672713842cda1d2e56c)。その年の夏は「たれ目の夏」と呼べるほどつきっきりだったのだけれど、大所帯がいやだったのか、1歳にならない冬に出かけたまま戻らない。近所ででかいしっぽの後姿を見て、もしやと思って追ったことも何度かあった。
自分より小ぶりなふくめんにも手加減なくふーっ。何か間の抜けた感じはどう見てもたれ目のそれだ。だーめだよ、と両者にいって引き離し、勝ち誇るホームふくめんを残し、アウェイたれ目を追跡することにした。
車が通る道なのに、長い毛をふさふささせてとことこ逃げる。雪男みたいというかヌウみたいというかの重いからだをもてあまし気味のアクションは、どう見ても懐かしいたれ目だ。それにしても逃げなくていいのに。
たれ目の鳴き方は、まったく他のねことは違っていた。母のキャサリンみたいににゃーんとビブラートで甘えるでもなく、おばのカミーラみたいにニャッ、ニャッとスタッカートで自己主張するわけでもなく、びーっという声は、「鳴く」というより「泣く」ように思えた。20歳頃にみた石坂啓さんのマンガにあった仲のよかった被差別民の子どもが大声で泣くシーンが忘れられないのだが、なぜだかたれ目の泣き方は決して音をきいたわけでないその子どもの泣き声を思わせた。わかったわかったと抱き寄せると、びーっといいつつ長い毛と柔らかい毛をすりつけてくる、その感触は忘れられない。
大丈夫だからな、大丈夫だからなと病院に向かった道。おとなしくしてた待合室。「こんなになりました」と看護師のSさんが見せてくれた手術後。エリザベスカラーで大暴れしてきょうだいたちに突進。何てったって顔だってぶさいくだ。
それは、たれ目ーっ、たれ目ーっ、と抱きしめると、びょーぁ、びょーぁ、と目を細くして叫んでいた、春から冬にかけて。
そんなことを思いながら、とことこ歩くたれ目を追う。ピッチ走法なのに人間が走らなくて大丈夫なくらいのスピードは、なだらかな昼下がりの曖昧な太陽によく似合っている気がした。
まず、10メートルほど離れた家の庭に。周りは畑で出てくるところは全部見えるから川の方面で待ち伏せすると、やっぱり間抜けそうに道を渡って向かいの家の横の畑のあぜ道にうずくまる。
1年ぶりに面と向かったたれ目だった。威嚇するでもなく、姿勢を低くしたままじっとこちらをうかがっている。そういう警戒心のなさは、まさにたれ目だ。
でも、左目をみると、ちゃんと開いて、きちんと見えているようにみえる。その点だけがたれ目と違っていた。ほかは毛なが柔らか類のからだも、ねこらしくない行動もすべてたれ目そのものだ。
1年会ってなかったねこは、かつて何夜も一緒に寝たとはいえ人間を憶えているだろうか。あの内田百がもしノラに出会えていたとしたら、ノラは百先生のことを憶えていただろうか。
時間にしておそらく5分くらい。左目が見えるようになったたれ目と思い出を語って、私は家の方向に動いた。解放されたたれ目は、同じようにとことこと川の方へ歩いていく。
遠ざかるしっぽを長い毛を見ながら、ありがとうな、また会おうなと心の中でいいながら陽だまりの中を家への道を歩く私と川へ急ぐたれ目の間の距離は、少しずつ広がっていった。
一人と一頭がおたがいを確かめていたのをみていたのは一月のぼんやりした太陽だけ。そしておたがいがかわしていた言葉をきいたのは、きっと誰もいない。
今日2月22日は、「にゃんにゃんにゃん」でねこの日だそう。ちょっと前の一月、昼下がりのたれ目を追う。
(Phは「予防接種証明書」のたれ目。これと同じプリクラみたいのももらったがどこに。BGMはこの人はねこっぽい、アルゼンチン音響派の歌姫、フアナ・モリーナ)
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