墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平マ236 死んだら死ぬ10

2007-01-04 22:05:11 | 
「命は受け継ぐもの。
 過去から続いたヒトいう種の存続の末に預かったバトンなのだ。
 バトンを受け取った以上は走るしかない。
 不細工な親が SEX して自分が生まれたとかそんなの関係ない。
 受け取った以上は走るしかないのだ。
 また、人間は1人とも数えられるが、1人の人間は何兆個もの生命の集合体である。何兆もの命を勝手に処分して良いはずはない。
 生きる事に目的も意味もない。
 生きる事はただの義務だ。
 人間は力つきてくたばるまで死んではいけない。
 人間以外の動植物はよけいな事など考えずに、どちらかと言えばあさましいまでに必死に生きている。
 死んでいいはずがない!
 死んだら死ぬ。
 確実に死ぬ!
 自殺する奴は最低の馬鹿だ。
 どんな理由があろうとも勝手に死んでいいはずがない。
 命をなめるな!
 魂あろうとも、どうせどんな宗教でも自分の都合で自殺した人間はたいてい地獄行きだ。
 たしかに人間はあさましくて醜い。
 飯食ってウンコひり出しながら死ぬまで生命にかじりつく。
 それしかないし、そういうふうにしか生きられない。
 だが、それでも自殺して良い権利なんて誰にもない。
 死ぬまで生きるのは生き物の義務だ。
 どーせ、わざわざ自殺なんかしなくても、誰だってその時になればいつか死ぬのだ。明日車にひかれて死ぬ運命かもしれないのに今日自殺してなんの意味がある。自殺なんかは、死刑囚が死刑執行が怖くて自殺するのと同じくらい意味がない行為だ。わざわざ自殺なんかしなくても確実にみんな死ぬのだ!
 自分の死で他人にダメージを与えられるなどと考えているなら、とんでもない勘違いだ。人間なんてお前が思う以上に醜い存在だ。自分にとって大切でない他人の死なんかなんとも思っちゃいない。
 お前の命はお前だけのものでない。勝手に死んでいい権利はない。どんなに苦しくても、あさましく生きる事に食らい付くしかないのだ。
 この先、今以上のさらなる苦しみと悲しみがお前を襲うだろうが、そんなもん生きる事にゃ関係ない。どんなに辛くても悲しくても苦しくても、そんなもので死にゃしない。死にゃしないから生きる。人間以外の動物はみんなそうして生きている。
 力つきて死ぬまで生きるのは生命の義務だ。
 義務を全うして死ぬからこそ、死は美しいのだ。
 義務を放り出して死を選ぶ奴に、死の慈悲はない!」


平マ235 死んだら死ぬ9

2007-01-04 21:35:06 | 

「生きているという事は何か?
 その定義は循環にある。
 有機物が循環するシステムを我々は生命と呼ぶ。
 その定義にのっとるなら生命の最小単位は細胞だと考えられる。
 細胞こそが最小単位の生命である。
 なら、人間は多くの細胞が寄り集まって1つにまとまって生きている細胞の共同体だと言えはしないだろうか?
 ハチやアリなどの昆虫を『社会性昆虫』と呼ぶ。
 女王を中心としたコロニーは1つの巣としてとらえらえるが、その巣を支えているの多くの生命だ。
 人間は1人と数えられるが、その1人の人間は何兆個もの生きている細胞が集まった生きた細胞の固まりである。
 その多くの細胞を制御してコントロールするのが脳だ。
 その脳に自我が宿っている。
 脳はコントロール器官にすぎない。
 国家で言うなら脳は政府だ。
 過去の我等の政府は、政府の都合で多くの国民の生命を犠牲にしたが、それで良かったのだろうか?
 自我は脳の働きにすぎない。
 その自我の勝手で、何兆個もの細胞の生命を道連れにして自殺なんかして良いものだろうか?
 個々の人間に宿る「自我」は単なる肉体の管理者であるとも言える。
 本来なら管理者の義務はその管理する己が肉体の存続にあるはずだ。
 魂があると仮定しても良いだろう。
 死んでも魂が残ると考えるなら人間の身体は仮の物にすぎないだろう。
 そうであるなら、さらに、借り物である自分の身体を勝手に処分して良いのか?」


平マ234 死んだら死ぬ8

2007-01-04 21:07:39 | 

「自殺する者は「死後の世界」でも信じているのか?
 死んでも魂は生き残るという確信でもあるのか?
 馬鹿野郎!
 死んだらソレで終わりだ。
  死後の世界はない。
 死ねば、その瞬間に意識はなくなり2度と意識は戻らない。永遠の意識の消滅。意識ない死骸はやがて朽ち果て跡形もなく消え去り、自分が生きていたという記憶や記録もいつか消え去る。
 死んだらなにもかも終わりだ。
 そう徹底的に教育すれば自殺者は減るかもしれない。
 だが、逆に生きる事にしがみつく「健康馬鹿」が増えるだろう。
 どうせ誰で死ぬときは死ぬんだ。死にたきゃ死ねばいい。
 むしろ自殺すら人権の一つかもしれないな。
 死ぬのは自由だ!
 自由に死ねば良い。
 種をひとつの生命と考えるなら、ヒトという種は最後の1人が死に絶えるまで存続するだろう。もちろん、ヒトという種の存続と個々の人間の命とは関係ない。
 だが1人1人の人間の体は、ヒトという種を存続させる為に過去からずっと受け継がれてきたヒトという種の共同財産でもある。
 たしかに当の本人である自分にしてみりゃたまたま両親が SEX したから生まれたに過ぎない哀れな命だ。
 だけど、その与えられた肉体はヒトという種が存続していく為に必要な要素の1つでもあるのだ。そういう物を個人の勝手で処分して良いのだろうか?
 生物学者である池田清彦は著書にこう書いている。
『人は自己の身体の管理権を有するだけで所有権はない。自己の身体は、自分が作ったわけでも誰かと交換して手に入れたわけでもない。物ごころついた時にはすでにあったのだ。自己の所有物であるはずがない。自分の所有物でないものを自己決定で処分する権利はない』
『臓器移植 我、せずされず』池田清彦(小学館文庫)よりだ!」


平マ233 死んだら死ぬ7

2007-01-04 20:52:25 | 

 キレイゴトで人は救えない。
 監視しているだけでも自殺は止められない。
 死にたい人の気持ちはなんとなく分かる。でも、どうしても分からないのは死を選んでしまう最期の心境だ。何故、自殺者は「最期の一歩」を軽々と踏み越えて死を選べるのだろうか? 死が怖くないのだろうか?

「死にたい奴は死ね! 死にたい奴はみんな死ねばいいと思う!」

「死神ダメだよ! 口が裂けてもそんな事を言っちゃダメだ!」

「うるせぇ。死にたい奴はみんな死ねばいいんだ!」

「信じさせて。死神なら得意のへ理屈で全ての自殺者を救えると」

「へ理屈で人が救えるかっ! 死ぬ奴は死ぬんだ!」

「ダメだよっ。なんの為のへ理屈なんだよ! その程度のへ理屈で『愛』を破壊できるものかっ!」

「そ、そうだった。
 あくまで俺の最終目標は『愛の完膚なきまでの破壊』。
 たかが自殺志願者の1人や1万人くらい言いくるめられなくて野望の達成はない!」

 そうだ死神!
 この物語の作者はまるでアテにならないぞ!
 私達が頑張んなきゃ未来はない!

 ふとみると、protozoa はズボンの中に両手を突っ込んで安眠していた。


平マ232 死んだら死ぬ6

2007-01-04 20:28:56 | 

「自殺は増えすぎた人類の生き物としての本能かもしれない。増えすぎたレミングが海に向かうように、飛蝗と化したイナゴが群れをなして破滅めざして飛ぶように、増えすぎたヒトのストレスが本能的に死を選ぶのかもしれない。現代という時代に生まれたヒトの動物としての本能が、多くの人に死をささやくのだろうか?」

「そんな本能とか言い出したら、何も分からないし、何も出来ない! 何か救いはないの? なんでもいい!」

「自分の頭でものを考える知性と、純粋な生きる欲望」

「それが自殺を望む人間の心を癒せるの?」

「分かんないけど、知性だけでも欲望だけでも人は救われない。知性と欲望の両方をあわせもつ事で人の心は絶望を乗り越えられる力のようなものを手に入れらそうな気がする。無理かもしれないけど」