日本国の首都である東京都。
その東京都の多摩地区と呼ばれる地方自治体が寄り集まった場所には、「小平市」と呼ばれる小さな行政区がある。
うっかり「小市民」と読み間違えそうになるが、読み間違えてはいけない。小平市の小市民の皆様に怒られる。
この日本国においては、簡単に言うなら大中小の3つの行政によって市民は支配されている。
日本には「大は小をかねる」ということわざがあるが、行政は大だけでは駄目らしい。それはそうだろう。人間というものは大便だけでなく小便まで出来てはじめて人間と言えるものなのだから。
日本の一番大きな行政の単位は「国」である。
次に中ぐらいの、アメリカなら「州」とでも呼ぶべき行政機関を日本では「県」や「都」とか「道」などと適当に気分で使い分けて呼ぶ。
これは外国から来た人間にいらない混乱を招くだけで、百害あって一利無しであり、老婆心ながらどれか1つに統一したほうがかっこいいよと忠告したくなるが、余計なお世話なんだろう。ちなみに、中ぐらいの行政機関の呼び名は4つあり「都道藩県」と呼ばれている。
最後の小行政区は「市町村」と呼ばれる。
この呼び方は人口の多少によってランクづけされたものであって、番外に島もある。
まぁ、島は島としか呼びようも無いという事情もあるのだろうが、あきらかに人口が多い事のみを問題にしたランク付けで自治体の価値とは比例していない。だが、1票の格差は反比例するらしいから、日本とは不思議な国だ。
ところで私は、小平市を仕事の都合でウロウロする事が多い。
職場があるのが小平市だから仕方ないとも言える。
私は仕事の都合で小平市に来ているだけの人間で小平市民ではない。だが、小平市には問題が多いと思う。その1例をここにあげよう。
ちなみに小平市の気候は、地域的には「東京砂漠」に含まれるベッドタウンで、夏は暑く冬は寒い、春には春となる。標準的な東京の気候である。
だが、実は、東京は東京湾まで含めると広大な首都であり、このような広大な首都は世界に例がない。ロンドンでもパリでも首都の中なら頑張れば徒歩のみで移動出来るが、東京都内の移動は徒歩だけでは無理だ。船とキャンプ用具一式が必要となる。
これは、日本人が首都の概念と都道府県の概念をゴッチャにしているせいであり、日本には明確に首都「東京」と呼べる地域は無いと思った方が良い
東京都はあるが、首都「東京」はどこにも無い。
話が飛んだ。話を飛ばすのと、ツバを飛ばすのは私の得意技だ。望むなら手鼻も飛ばそう。
過去の江戸こそ、本来なら首都と呼ぶべきものである。
その江戸の名物は「家事にケンカと稲荷鮨に犬の糞」。
日本人は過去の伝統を無かった事にして、先進国の猿真似するのが好きなようだ。
今や、日本のどこに行っても家事とケンカと稲荷鮨は見られない。
あるのはコンビニのお惣菜が並んだ食卓と、ストリートファイトにすし詰めの満員電車だけである。
日本人は伝統なんかクソ食らえであるようだが、日本の犬だけは律儀に伝統を守っている。
その証拠に日本の道は何処に行っても犬の糞だらけである。
やはり、日本人でも犬の糞を踏むのは嫌いらしい。
あちこちに犬の糞を片付けろと訴えるポスターが貼られている。
そのポスターには色んな種類があるが、小平市で一番目につくのは「犬のフンは 飼い主のマナーです 小平市」というものである。
これは、間違った日本語だ。
なんとなく言いたい事は分かるが、これを認めると日本語そのものがグダグダになる。「は」という接続詞とは何か?
簡単に言うなら、「は」は「イコール」だ。「は」で繋がるなら、前後の内容は同じであると言う事だ。
ならば、「犬のフン イコール 飼い主のマナー」となる。
小平市の言いたい事はなんとなく伝わるがこれは省略のしすぎだ。
犬のフンと飼い主のマナーは、明らかにイコールじゃない。
引っくり返してみれば良く分かる。
「飼い主のマナーは、犬のフンです」
「犬のフンの始末は、飼い主のマナーです」なら、正しい日本語となる。
ためしに引っくり返しても支障はない。
「飼い主のマナーは、犬のフンの始末です」
偉そうにという声が聞こえてきそうである。
自分の文章を棚に上げて何を偉そうにと思われるだろうが、それなら大丈夫だ。私は今、棚の上にモニターとキーボードとマウスを上げ、私自身も棚の上に乗って執筆中である。
棚に上げてどころか棚の上でこの文章をタイピングしているのだ。
これなら問題なく全てが棚上げされている。
ようするに、棚にさえ上がれば問題は何も無い。
今の私は、私自身も全て含め棚上げし、やや高い視点から、神の目線でタイピングしているのだ。
なにも問題はない、突っ込まれる余地は無いはずだ。
でも、棚の上にいると、神の目線と言うより、猫にでもなったような気がするニャァー。