「同情と、同情していることを示そうと思う気分は別物かもしれない。
気の毒に思う気持ちと、その人の気持ちになり切る事では別物かもしれないのだ。
可哀想にと思うのと、その人の悔しさを我が身に感じるのは別物だ」
俺は夕刊配達のバイトをしているんだが、皆さんはご存知だろうか?
もちろん、ご存じなくても勝手に話を続ける。
それは、みんな俺に着いて来いと言う事だ。
リアルな現実生活では常に周回遅れでビリな俺だが、このブログでは俺がペースメーカーだ。俺について来れない奴はドンドン置いてく!
カブに乗ってちんたら夕刊を配達してた。
ある家の前にカブを止めようとして減速しかけたらベチャッといきなり質量のある音が目の前で響いた。
なんだ?
それは、カラスの糞だった。
もう一瞬でも早くその位置にいたなら、そのカラスの糞は間違いなく俺自身にお見舞いされていただろう。
カラスの糞はギリギリで俺自身への直撃をさけ、配達用の原付である『カブ』のメーターにベッチャリとお見舞いされている。
ムカつく。
見上げると、電線の上にカラスが2羽とまっている。
足元は良く見ると鳥の糞だらけだ。
どうする事もできないので配達を続けるが、目の前のメーターにはカラスの糞。とてつもなく気分が悪い。
なんか拭き取るものはないかと走りながら目を路上にやるが、カラスの糞を拭き取れそうな布や紙は道に落ちてない。普段は軍手とか意味もなく落ちているくせに。
いっその事、どうせ余分に新聞を持って出ている。
確実にあまるんだし、この目の前にある新聞紙でカラスの糞を拭き取ろうかと考えた。でも、新聞屋の仁義に反しているようなのでやめた。
とにかく目の前にカラスの糞があると気分が悪い。
前カゴに積んだ新聞を取る時も、糞が袖につかないように細心の注意をはらう。
考え方を変えよう。
カラスの糞を汚いと思うから気分が悪いんである。
カラスの糞が汚いなんての思うのはただの思い込みだ。そう思うから汚いのであって、なんとも思わなければなんでもないはずだ。
もし、カラスの糞を汚いとではなく可愛いと思えさえすれば、愛おしくなりこそすれ気分は悪くなるはずが無い。
なら、カラスの糞を可愛いと思い込もう。
その、手っ取り早い手段は『擬人化』である。
擬人化して『たん』さえつければ、なんだって愛しく思えるはずだ。
有名なところでは、炭である備長炭を擬人化したびんちょうタン。
ハバネロを擬人化したハバネロたん。
擬人化を擬人化した擬人化たん。
あと、古いところでは、ナポリタンとかコスモポリタン。
他にもポリタンクにガンタンクなどあるが、ようはヲタク文化である。
これは、モノを擬人化して萌えられれば全て了解というとても分かり易い手段でどんなモノにでも応用できる。
この萌え理論さえマスターし、なんにでも萌えられるようになれば、なんだって愛せるようになる。そのとき萌えはガンジーを超えるのだ。君はコスモになる!
さっそく擬人化だ!
カラスの糞たん。
ぜんぜん萌えない。長すぎるんだと思う。短めにしてみよう。
カラフンたん。
あ、少し可愛い!
そう思って、メーターにはりついたカラスの糞を愛でる。
まだ、汚い。
風で乾燥して透明な部分が白く変色し始めて、ますますただの鳥の糞にしか見えない。
妄想力が足りない。これでは、平成のヘンリー・ダーガーを名のる夢は達成できない。もっと、妄想を!
だが、いくら妄想してもカラスの糞はカラスの糞にしか見えない。
つまらない常識が俺の自由な妄想を縛る。