ピンポーン!
ドアチャイムが鳴った。今度こそ冷やし中華だ!
私は玄関に急ぐ。
今朝は6時に目が覚めた。
仕事のある日なら完全に遅刻だが、今日は正月なので休みだ。
良かった、郵便配達の仕事をしてなくて。
酔っぱらって寝ている間にいつの間にか年が明けた。
今朝は2007年1月1日。
新しい年だ、今年は心をひきしめて出来れば腹回りのだぶついた贅肉もひきしめたい。
そんなんで、新年だし初詣に行こう。
今年からは考え方を改める事にした。
心をあらためて正しい日本人として『神道』で行く事にしたのだ。
もし、外国人に「あなたの宗教は?」と聞かれたなら胸をはって「僕は神道です!」と答えられるような正しい日本人に今年はなりたい。
その第一歩は、初詣からである。
初詣なくして公式参拝もお伊勢参りもない!
朝早く神社を目指して外に出ると冬のせいか寒い。
あまりに寒いし耳も冷たいので、歩きながら寒いと思うから寒いんだよ、心頭滅却すれば火もまた涼しいんだよと自分を偽ろうと試みた。
寒さは脳のつくる幻である。脳がなきゃ寒いはずない。
その証拠に真冬の北極海で遊泳しているクリオネが平気で泳いでいるのは脳がないせいだと思う。
北極のシロクマが平気なのは心頭滅却しているせいか、毛皮と皮下脂肪のおかげだろうと思う。
皮下脂肪なら俺にもあるから寒いはずないと思おうとしたが、どう思おうと俺の脳は頑固者であるらしく寒いもんは寒い。
今朝は寒いだけでなく、昨日に引き続き良い天気だ。
幸い風もなく穏やかな天気で神社のお参りだけじゃもったいない。
少し寄り道しよう。
神社に行く前に近所の矢川緑地に寄り道したら、寒さのせいで湿地全体から湯気がたっていた。
湯気の立つ水たまりをカモが何十羽も遊泳して餌をあさっている。すげ、まるで温泉みたいだと感動した。
すごい湯気なので本当はお湯なんかじゃないかと疑いを抱き、確かめる為に水たまりに手を突っ込む。
ボチャ。
お湯ではなかったが、思った以上にぬるかった。もっと冷たいかと思ったのに。手が冷えきっているからぬるく感じるのか?
矢川緑地と目的の神社は反対方向だ。
このまま素直にUターンしてもつまんないし、どうせなら寄り道ついでに富士山でも見ようと思いついて多摩川を目指す。
昨日の散歩ルートとほぼ同じ道をたどり多摩川の堤防の上から富士山を見る。昨日の方がきれいに見えた。今日は少しかすんでいる。
ところで、多摩川沿いには何人かの路上生活者がテントなどをはって住みついている。彼らは早起きで朝早くからゴソゴソとテントのまわりで何かしている。朝食の用意だろうか、この寒空の下のテント生活、いろんな新年の迎え方もあるものだなと思う。
多摩川と富士山を眺めつつ横目で路上生活の人達の様子を見ながら目的地である立川の諏訪神社を目指す。
立川公園の根川沿いの緑道を歩いているうちに、トンネルの中で寝ている老人の路上生活者を見かけた。
ビニール傘を風よけにしてジャンバーにくるまって苦しそうな寝息をたてながら寝ている。この寒いのに良く凍死しないものだ。俺は彼らに何もしてやれないし、不本意であろうが彼らにしても彼らの選んだ道だ。
諏訪神社を目指して柴崎町にじんわり侵入。
少し道に迷いつつ神社を目指す。
場所は知っているのだが多摩川から諏訪神社に行くのははじめてなので、いつもと様子が違う。いつもは自宅か立川駅方面からしか行った事がない。
ここらへんのはずと方向をさだめて歩いているうちに諏訪神社を発見。
時間は朝の8時前ぐらい。
着くと、まだ時間的に少し早いらしく屋台のおじさん達が開店の準備をしていた。
参道を通り、さっそく本殿に行ってお参りと思ったら、本殿前に神主がいて大勢の人の前で朝礼みたいな事をやっていた。
俺は部外者で、そろそろ終わりそうな気配だし行事が終わるまで待とう。
数分待つと行事は終わった。
さて、参拝しよう。
帽子と手袋をとり、100円を手にして参拝の列に並ぶ。
チャリン。
硬貨投入、アタマも下げたし手も叩いた。
初詣は終了である。
任務終了。
これで俺も立派な神道で日本人だ。
終わってホッとして周囲を見渡すと、若い巫女さん達が赤い袴をひるがえしながらサササーと走っていく姿を見かけた。
見逃さずパパパッと観察する。
中でもメガネをかけた若い巫女さんがとびきり可愛い。
巫女さん達は神社の脇にあるおみくじやら絵馬やら売っている売り場にたちまちスタンバイした。
メガネをかけた可愛い巫女さんはおみくじを売っている。
メガネッ子で巫女さんで可愛いのだ。これはかなりものすごく点数が高い。
さっそく俺は占いが大好きなのでおみくじを買おうと思った。
だが、あいにく小銭がない。財布の中には万札が1枚と10円玉が2枚に1円玉が3枚しかない。おみくじはひとつ100円だ。いきなり万札を出して彼女を困らせたら可哀想だ。
あぁこんな事ならお賽銭は100円でなく1円玉でも投げ込んでおけば良かった! だいたいお賽銭なんかに何の意味があるのだ!
おみくじをあきらめて立川駅方面に向かう。
立川駅に向かう理由は腹が減ったせいだ。
朝にバナナを1本食べたのだが、2時間近く歩いたらものすごく腹がへった。だが、こんな正月に営業している店などコンビニか牛丼屋ぐらいだろう。でも、正月からコンビニ弁当は食いたくないな。せめて牛丼をと思い立川駅を目指す。
駅前に行くと正月の朝8時だというのにけっこう営業している飲食店があった。マックにガストに松屋。たぶん吉野家も営業しているはずだ。うーんみんな働き者だなぁ。
でも肉料理しか選択肢がないんだよねぇ。
働いてもいないのに朝からカロリー高いもんは食いたくないなぁ。
ふと見ると、オリジン弁当も営業していた。あーオリジン弁当にしちゃえ。
オリジン弁当で「ノリアジフライ弁当」(399円・税抜き)を購入。
歩くのがかったるくなってきたので弁当をかかえて電車に乗り南武線で西国立駅に。喉も乾いたので西国立と自宅の間にある近所のコンビニでビールを購入してから帰宅。
自室に戻りアジフライ弁当をつまみにビールを飲む。
俺んちの正月は朝ご飯がないのだ。昼ご飯からはじまる。それまで待てないのでアジフライ。
今年は健康的な正しい日本人になるのが目標です。
(誤解があるといけないので書いとく。「平成マシンガンズを読んで」の死神と俺は違う。俺は無神論者ではない。神様を信じていないだけで、神様がいるのかいないのかは俺には分からない。
神がいないとまで言い切る気もないし、いるという人に文句もない。信仰は自由であらねばならないし、その基礎である神の存在を否定する気もない。
だが、同時に神が信じられないよという俺の気持ちもそっとしておいて欲しいかなと望む。
そんな俺だが、元々は純粋に神様の存在(宇宙の高次意識のような存在)を無垢っと信じていた。魂や転生輪廻も信じていたし、悪霊に意識を乗っ取られて暗躍する人間の存在なども信じていた。
なぜなら、当時流行った『幻魔大戦』という小説にはまって、その内容を信じ込んでいたからだ。ただの小説などではなく平井和正の書く事はほぼ真理とまで思っていた。
その原因は『幻魔大戦』を読む前に高橋佳子という宗教家の書いた『真創世記』という本を読んだことにある。
その本の内容は『幻魔大戦』に通じており全ては真実であるかのように書かれていた。
高橋佳子はその父である高橋信次の創設した GLA という宗教団体の主催者で、平井和正や大川隆法と並ぶ現在のスピチュアル・ブームの元祖のような人ではないかと思う。
神を信じられなくなったのは、こういった人達が言う事への疑念からである。所詮は人間である者の言葉に絶対の真実などあり得ない。
さらに最新の脳科学の分かりやすい新書などがぞくぞく出版され、臨死体験や霊視など多くのオカルトは脳の見せる幻であるという論に惹かれたせいもある。
解剖学者の養老孟司の本は、俺にとって科学への入門書となり分かりやすく素直に納得できた。
人間は常に誤解する生き物だ。人間の言葉に真実はない。だが、誤解を誤解と認める心のみが新しい局面に人を迎え入れてくれる。
誤解している事を怖れずに自分の誤解を認めて正す心こそが人間を成長させる。間違っている事を謙虚に認め事実をねじ曲げずに生きていければなと思う)