山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

16番 観音寺

2016年07月26日 | 神社・仏閣

15番国分寺より徒歩2キロ。

日差しが強くなってきて、体力が奪われます。

住宅街のなか、堂々とした和洋重層の仁王門が見えてきました。

 山門を入れば本堂が目の前にあり、左右に納経所と大師堂。

天平13年に創建されたと伝えられ、聖武天皇勅願の道場だったと伝えられています。

弘仁7年に弘法大師が留錫し、ご本尊の千手観世音と脇士の不動明王・毘沙門天を刻まれ安置されました。

中世のころは荒廃し、万治二年に僧宥応が再興して旧観に復したそうです。

領主の蜂須賀氏は信仰が厚く、現在の堂宇はそのころ再建されたものといわれています。

夜泣き地蔵

子どもの夜泣きに困った親たちがお参りにくるそうです。

ご朱印を頂いている間、お寺の駐車場あたりで、交通事故と思わせる音がして驚きました。

幸いにしてけが人はなく、ワンボックス車が横になってしまってました。

近くにいたお遍路さんたちが自力で起き上がらせ、車は無事に発進できたようです。

狭い住宅街のため、車遍路さんは運転にご注意ください。


15番 国分寺

2016年07月25日 | 神社・仏閣

14番常楽寺から15番国分寺までは、徒歩0.9キロ。

途中、4歳くらいの男の子が私に声をかけてきて、小さな手に握ったマリオの飴をくれました。

大事な飴を頂いたのが嬉しくて、このお寺で男の子の成長を祈願しました。

境内に入ると、創建当時の塔の心礎があります。

重厚な感じの二層の本堂は風格があります。

天平十三年、聖武天皇は国家の安泰や五穀豊穣、正教一致」、地方文化の向上を願い諸国に66の国分寺を建立しました。

子の国分寺もその一つで、辺票13年(741)に建立され、隆盛を極めましたが、兵火で焼失。

いまの本堂のあるところは、もと講堂であったそうです。

ご本尊は行基菩薩作の薬師如来。

当初は法相宗でしたが、弘法大師が留錫して真言宗になり、その後、寛保元年に吼山養師和尚が堂宇を再建し、曹洞宗に改宗しています。

鳥枢沙摩明王堂(うすさまみょうおうどう)の明王は弘法大師が刻まれたもので、不浄除けにご利益があります。

大師堂。

 


14番 常楽寺

2016年07月24日 | 神社・仏閣

13番大日寺から17番井戸寺までは、平地で各々の距離もそう離れていないので、かなり楽な巡礼コースになっています。

13番から14番まで徒歩2.5キロ。

荒々しい岩の上に本堂や大師堂が建っているため、足元を注意しなければなりません。

「流水岩の庭園」と名付けえられているそうです。

四国霊場で唯一、弥勒菩薩を本尊としています。

弥勒菩薩は、釈迦入滅後56億7000万年にこの世にあらわれ、民衆を救うといわれている未来仏です。

木造建築の美しさにしばし目を奪われました。

このお寺で、旅館吉野でご一緒したYさんと再会しましたが、このお寺の後はご自宅に帰るそうです。

仕事の合間を見て、続きを歩きます、とおっしゃっていました。

皆、仕事に戻って行くのですね。

途中、こんな派手な建物を目にしました。


阿波一宮神社と一宮城跡

2016年07月23日 | 神社・仏閣

13番大日寺のはす向かいには一宮神社があります。

馬の銅像が立派です。

神社から山にかけて一宮城跡になっています。

wikipediaより引用

 一宮城は、南北朝時代に天険を利用した山城で、のちに大幅に改修された。

東竜王山の北東に延びた枝尾根の最先端にあり、本丸部分は標高144.3m、麓からの比高は約120mの山嶺に築かれ、石垣下は急傾斜となっている。

北は鮎喰川、東は船戸川、園瀬川が天然の濠として、背後には四国山脈がひかえている。

一宮城は南城と北城の二城から成り立っている。本丸は北城に属し、明神丸等の曲輪は南城に属し、山麓には居館があったと言われている。

一宮城は徳島県内で最大級の山城で、三好氏と長宗我部氏の攻防の舞台にもなった。

1954年(昭和29年)8月6日、徳島県指定史跡に指定。


13番 大日寺

2016年07月22日 | 神社・仏閣

「なべいわ荘」から13番大日寺までのコースはいくつかあるらしいのですが、私は山越えコースをひた歩き。

昨日は3つ山越え、その日は1つ山越え、脚の疲労が蓄積されて、痛みで心が折れそうです。

そんな時、藤井寺の後の「旅館 吉野」、焼山寺後の「なべいわ荘」でご一緒したY夫妻と、道の途中で逢い、一緒に大日寺を同行しようと至りました。

私の持っていたガイドブックだけでは、大日寺にたどり着けなかったと思います。

何となく、勘で辿りつけるかな~という気持ちで歩いていましたから、本当にY夫妻には助けて頂き感謝しています。

ご夫妻は本当に仲良しで、強い絆で結ばれているのと、強い信念でお遍路巡りを何度もされています。

市民マラソンなどにも夫妻で参加し、日頃から足腰を鍛えられているため、歩くスピードも速くて、私は着いていくというより、私のペースにY夫妻が合わせて頂いたという申し訳ない感じがありました。

途中郵便局を見つけたため、お遍路後半の宿代を下す必要があり、そこで夫妻とお別れしました。

同行により歩調を早めたためか、連日の山越えのダメージか、ひとりになってみると、途中から痛みのため足がうまく進まなくなり、ビッコビッコしながら杖だけはしっかり地面を叩きながら、ゆっくりゆっくり歩いくしかありませんでした。

車しか走らないような国道を延々と歩きます。

なんでこんなことしているのかと、ふとそんな思いも湧いてきたりするのですが、自分が決めたことだから絶対に正しいことをしているのだって、自分に言い聞かせ歩き続けました。

 

そんな時、私の前に一台の車が停まりました。

「乗りなさい」と女性の方。

今回のお遍路で人から受けた志は、何があっても断らないと事前に私は決意していました。

その方にとっても、お遍路の高徳が得られると思ったからです。

「ありがとうございます」といって乗せて頂きました。

丁度道向かいにバス停所のベンチがあり、数人の歩き遍路さんが休んでおられて「いいな~~」という声が聞こえてきました。

その後、車窓から先ほどまで一緒に同行して頂いたY夫妻のお姿もありました。

その時は本当に「申し訳ありません(自分だけ楽して)」という気持ちでした。

車に乗せて下さったIさんは、藤井寺から焼山寺の途中にある「浄蓮庵」の清掃のボランティアをなさっているとお聞きしました。

足が良くないそうで、大日寺で健康安全のお札を納めますといってお別れしました。

本当に足もですが、心も折れそうになっていた時、見も知らない私をIさんは助けて下さり、感謝しかありません。

時々大変そうな歩き遍路さんに、車を停めるそうですが「歩き遍路なので車はダメです」など、断られることも多いそうで、やはり断られると傷つくような気持ちになるそうです。

だから今ではその歩き遍路さんを助けて良いのか、断るタイプなのか、判断して車を停めることが多くなり、自身切ないと。

Iさんは何度も歩き遍路をなさっていて、歩き遍路さんの心に寄り添う姿勢をもっていらっしゃいます。

焼山寺から大日寺までは21キロ。

宿からだと18キロ程度の道のりでしたが、うち5キロ分は車。

車で拾って頂き、Iさんの優しいお心に触れることができ、歩き遍路して辛いこともあるけど、こんな優しい出会いもできて、本当に良かったと思いました。

13番大日寺の薬医門。

弘法大師がこの地に巡錫され「大師の森」という所で護摩修法されているとき、現在、寺のある附近から大日如来が示現し「この地は霊地なれば一宇を建立すべし」と告げられ、大師は大日如来を刻み、堂宇を建立し、この尊像を本尊として安置し、大日寺としたそうです。

その後、兵火で焼失するがまもなく再建され、諸国に国の総鎮守である一ノ宮が建てられたとき、その別当寺として門前の一ノ宮を管理。

一ノ宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観世音だが、明治の神地分離にあたり、十一面観世音を大日寺へ移遷し、本尊として安置。

このため、現在は大日如来が脇仏となっているそうです。

本堂。

大師堂。 

 

幸せ観音。

 

本日の宿泊先はこの「大日寺 宿坊」を予定していた為、10時にはご朱印を頂いたので、お寺に荷物を預かって頂き、次の14番常楽寺へ向かいます。

大日寺のお勤めは17時から。

「17時までには戻ってきて下さいね」と言われました。