廃校になった分校を利用した「谷口がっこそば」は、地元で取れた素材をお母さんたちが上手く料理し、地元産の蕎麦粉を使い、蕎麦を打っているそうです。
開校明治20年の金山小学校谷口分校は、金山町北部の谷口地区にある学校でした。
校舎裏には樹齢80年の金山杉。
周りには畑や田んぼがあり、のどかな環境の学校でしたが、残念ながら廃校されることになってしまったそうです。
なかに入ると、懐かしい雰囲気が漂っています。
板そば(700円)と揚げ蕎麦のついたそばセット(1000円)を注文しました。
その日のおかずは、沢庵とセイサイ菜でした。
沢庵は塩分控えめに漬けて後、生姜汁などで再度漬け込んだ、手間がかかったお漬物でした。
こちらの土地ではセイサイ菜はカラシ菜という名前で親しまれていて、一度塩漬けしたものを水で塩抜きして油で炒めたものがおかずに出されました。
「いずれも野菜の再利用なのよ」と丁寧に教えて頂き、食べ物を大事にする心や、保存の工夫を学ぶことができました。
お蕎麦は毎日ひきたてで、地元産の蕎麦粉。
蕎麦板にもこだわり、地元産の金山杉で作ったものだと聞きます。
キリリと冷たくしめられた、平たい中太麺が滑らかに喉越しを伝い、蕎麦の甘味がふんわりと立ちのぼる美味しさでした。
汁が丸十ふうなので、いまひとつ、ひと手間が欲しいものです。
「そば揚げ」は地元産の菜種油で揚げられ香ばしく、外はサクリと、中はモッチリしており、油の嫌味はなく、まるでマシュマロのような口どけでした。
蕎麦ソフトは絶品でした。
甘いものは嫌いな私にも、このソフトはリクエストしたい味でした。
時空の中では、常にいろいろな事柄(モノ・ヒト)が分岐点を迎えるものです。
それを排除するか、何かに活かそうと最大限の知恵を絞るのか…
「がっこそば」は再利用精神、モノを大事にする姿勢を今に伝えています。
こうしてたくさんのお客様が、山の奥の「がっこ」を訪ねてくるのも、今なおモノを大事にしようとする人の心の顕れである様な気もします。
かつての校庭でブランコに揺られながら、世間話をしている地元のお母さんたちのイキイキとした表情が、遠目から見ても微笑ましく印象的でした。
■谷口がっこそば
■住所 山形県最上郡金山町485
■TEL 0233-52-7577
■営業 土・日曜日 (午前11時~午後3時)平日は予約(10名様以上)
開校明治20年の金山小学校谷口分校は、金山町北部の谷口地区にある学校でした。
校舎裏には樹齢80年の金山杉。
周りには畑や田んぼがあり、のどかな環境の学校でしたが、残念ながら廃校されることになってしまったそうです。
なかに入ると、懐かしい雰囲気が漂っています。
板そば(700円)と揚げ蕎麦のついたそばセット(1000円)を注文しました。
その日のおかずは、沢庵とセイサイ菜でした。
沢庵は塩分控えめに漬けて後、生姜汁などで再度漬け込んだ、手間がかかったお漬物でした。
こちらの土地ではセイサイ菜はカラシ菜という名前で親しまれていて、一度塩漬けしたものを水で塩抜きして油で炒めたものがおかずに出されました。
「いずれも野菜の再利用なのよ」と丁寧に教えて頂き、食べ物を大事にする心や、保存の工夫を学ぶことができました。
お蕎麦は毎日ひきたてで、地元産の蕎麦粉。
蕎麦板にもこだわり、地元産の金山杉で作ったものだと聞きます。
キリリと冷たくしめられた、平たい中太麺が滑らかに喉越しを伝い、蕎麦の甘味がふんわりと立ちのぼる美味しさでした。
汁が丸十ふうなので、いまひとつ、ひと手間が欲しいものです。
「そば揚げ」は地元産の菜種油で揚げられ香ばしく、外はサクリと、中はモッチリしており、油の嫌味はなく、まるでマシュマロのような口どけでした。
蕎麦ソフトは絶品でした。
甘いものは嫌いな私にも、このソフトはリクエストしたい味でした。
時空の中では、常にいろいろな事柄(モノ・ヒト)が分岐点を迎えるものです。
それを排除するか、何かに活かそうと最大限の知恵を絞るのか…
「がっこそば」は再利用精神、モノを大事にする姿勢を今に伝えています。
こうしてたくさんのお客様が、山の奥の「がっこ」を訪ねてくるのも、今なおモノを大事にしようとする人の心の顕れである様な気もします。
かつての校庭でブランコに揺られながら、世間話をしている地元のお母さんたちのイキイキとした表情が、遠目から見ても微笑ましく印象的でした。
■谷口がっこそば
■住所 山形県最上郡金山町485
■TEL 0233-52-7577
■営業 土・日曜日 (午前11時~午後3時)平日は予約(10名様以上)
土曜日の14時頃でしたが、空いていてラッキーでした。
お母さん方は、本当にいきいきとなさっていましたね。
お料理の事を聞くと、丁寧に答えて下さって、そのひたむきさに感激しました。
仙台市内からそんなに近い距離ではありませんが、珍しさもあるんでしょうね、きっと。
古いものを残すという文化が、あまりないからなのかもしれませんね。
私は「廃校利用の蕎麦屋」という珍しさに魅かれて、前から行ってみたいお店でした
昨年、念願叶ってやっと訪問できました。
その時は、ものすごい混雑でびっくりしたのですが、雛子さんが訪れた日は、
空いていたようですね。
お母さんたちが、張り切って働いていた事が印象に残っています。
それと車のナンバーは、ほとんど宮城か仙台でした。