駅から延々と歩いてくると、下写真の様に高速道路の向こうに広大な敷地が見えてくる。これが東京都庭園美術館である。直進していくと正門に着いた。昨年まで改装していたのであるが、昨年末にリニューアルオープンしたのである。まだ庭園は入れないのが残念であるが。。
朝香宮鳩彦王の話の続き。何故この方がアール・デコに?と言うと、思わぬアクシデントが原因なのである。前述の様にこの方は軍人であった訳で、フランスに軍事留学をしたのである。第一次世界大戦後のフランスは軍事先進国であり、日本陸軍も戦車・機関銃・野戦砲など多くの装備をフランスから購入していたのだ。ところがこの留学中の1923年、鳩彦王は交通事故にあって大怪我を負ってしまう。夫人の允子(のぶこ)妃もパリに駆け付けるが、そのまま現地で長期にわたる療養生活を余儀なくされてしまうのである。当時は交通手段は船便のみ、日本とパリの間は片道一カ月以上の旅行日程が必要であった。言葉も完全にフランス語のみ、インターネットも国際電話もない時代である。病気療養中の孤独と寂しさはいかばかりであっただろう。
Wikipedia「鳩彦王妃允子内親王」
が、病気というのは往々にして人生の思わぬ転機となるものである。夫妻はフランスで当時流行していたアール・デコに魅せられていく。元々允子妃も絵を得意とするなど、芸術面の才能を持っておられた様である。1925年にパリ万国博覧会が開催され、ここでルネ・ラリックなどの多くの芸術家が出品した。夫妻もこれを見学し大きな感銘を受けたという。
Wikipedia「パリ万国博覧会(1925年)」
朝香宮鳩彦王の話の続き。何故この方がアール・デコに?と言うと、思わぬアクシデントが原因なのである。前述の様にこの方は軍人であった訳で、フランスに軍事留学をしたのである。第一次世界大戦後のフランスは軍事先進国であり、日本陸軍も戦車・機関銃・野戦砲など多くの装備をフランスから購入していたのだ。ところがこの留学中の1923年、鳩彦王は交通事故にあって大怪我を負ってしまう。夫人の允子(のぶこ)妃もパリに駆け付けるが、そのまま現地で長期にわたる療養生活を余儀なくされてしまうのである。当時は交通手段は船便のみ、日本とパリの間は片道一カ月以上の旅行日程が必要であった。言葉も完全にフランス語のみ、インターネットも国際電話もない時代である。病気療養中の孤独と寂しさはいかばかりであっただろう。
Wikipedia「鳩彦王妃允子内親王」
が、病気というのは往々にして人生の思わぬ転機となるものである。夫妻はフランスで当時流行していたアール・デコに魅せられていく。元々允子妃も絵を得意とするなど、芸術面の才能を持っておられた様である。1925年にパリ万国博覧会が開催され、ここでルネ・ラリックなどの多くの芸術家が出品した。夫妻もこれを見学し大きな感銘を受けたという。
Wikipedia「パリ万国博覧会(1925年)」