そして美術館の本館に入る。むかし懐かしい影絵の世界が広がる。
藤城清治は慶応大学の出身。大戦中に学徒出陣を体験しており、九十九里浜の部隊に配属になったという。その後実戦には参加しないまま1945年8月に戦争は終わるわけだが、もしあのまま戦争が継続していたら1946年3月1日には米軍は九十九里浜に上陸を開始していた訳で、そうなれば確実に氏の命はなかったであろう。
Wikipedia「ダウンフォール作戦」
そんな現地でも氏は人形劇を作って部隊で上演していたという。終戦後に周囲からは反対されつつも「少しでも世の中を明るくしたい」と画家への道を歩む。最初のころのスケッチも残されている。最初はごく普通の、どこにでもある様なスケッチだったのが、次第に現在のような独特のイラストに変化していく過程を見ることができる。人が一流になっていく過程は何事もかくのごとし。やがて「暮らしの手帖」に連載された影絵が評判となり、現在の地位を築いていくのである。
ちなみに美術館にはシニア割引なる制度があり、藤城清治本人以上の年齢である、91歳以上だと入場料金が割引になる。入場者の中で91歳以上の方がどのくらいいるのだろうか。。。
藤城清治は慶応大学の出身。大戦中に学徒出陣を体験しており、九十九里浜の部隊に配属になったという。その後実戦には参加しないまま1945年8月に戦争は終わるわけだが、もしあのまま戦争が継続していたら1946年3月1日には米軍は九十九里浜に上陸を開始していた訳で、そうなれば確実に氏の命はなかったであろう。
Wikipedia「ダウンフォール作戦」
そんな現地でも氏は人形劇を作って部隊で上演していたという。終戦後に周囲からは反対されつつも「少しでも世の中を明るくしたい」と画家への道を歩む。最初のころのスケッチも残されている。最初はごく普通の、どこにでもある様なスケッチだったのが、次第に現在のような独特のイラストに変化していく過程を見ることができる。人が一流になっていく過程は何事もかくのごとし。やがて「暮らしの手帖」に連載された影絵が評判となり、現在の地位を築いていくのである。
ちなみに美術館にはシニア割引なる制度があり、藤城清治本人以上の年齢である、91歳以上だと入場料金が割引になる。入場者の中で91歳以上の方がどのくらいいるのだろうか。。。