![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/2b/837c8e5f00635ebbc0a4ce2c3087d87f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/79/3014a94fdd90358ead25ba1b99a4aa46.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/88/e64da51b33b9f443f5e42d0fd3e8f92a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/8d/00d2d486d354b29e45e506e4b9a41186.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/24/498ab981c0fbfd1143d939bc2fbad818.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/9a/f069ff70c7f23a8b3c2803b1ae4336db.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/cc/4efc9600f36ef205c6db317bafba51da.jpg)
次は「村上精華堂」である。東京都台東区の不忍通りに面して建っていた化粧品店である。1928年建造で、関東大震災後に多く建てられた看板建築という洋式である。創業者の村上直三郎氏はアメリカの文献を参考にしながら化粧品を作成したそうである。一番上写真が外観、2枚目から4枚目までは表のカウンターである。そろばんと帳面が古めかしい。5枚目以降がこの建物の裏手で、裏手で化粧品の調合を行っていたのである。ビーカー、ガラス瓶などが見える。一番下写真の左側の瓶は、村上精華堂が本当に使用していた香水瓶なのだという。