スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

皇居その8

2016-04-10 23:02:55 | 日本国内旅行(皇居・2016)
そして坂下門をくぐってすぐに目に入るのが御所である。静かだが威厳を感じてしまう。しかし簡素な場所ではある。海外の王侯貴族の宮殿もだいぶ見てきたが、日本の宮殿とは比べ物にならぬ豪勢さである。日本より遥かに人口が少ないスウェーデンやバイエルン王国の王族でさえ、あれだけ豪華な宮殿に住んでいたのだから。。
ドロットニングホルム宮殿その5
ドイツ旅行その48 レジデンツ
フランス旅行その28 ヴェルサイユ宮殿
オーストリア旅行その10 王宮
オーストリア旅行その22 シェーンブルン宮殿
御所のすぐわきにあるのが下写真の宮内庁である。こちらもいささか古めかしい建物である。調べると1935年の建設なのだとか。御所とは渡り廊下でつながっているらしい。
Wikipedia「宮内庁」

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皇居その7

2016-04-10 22:36:53 | 日本国内旅行(皇居・2016)
坂下門に通じる橋を渡る。こういう場所で観光客がやることは世界いずこも同じ、写真を撮りまくる事である。皆スマホを取り出してカシャカシャ。自分も人の事は言えないが。。。堀の脇に一本だけ桜が佇んでいたりして、なかなか風流である。

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皇居その6

2016-04-10 19:29:05 | 日本国内旅行(皇居・2016)
身体検査が終わり坂下門に向かう。上写真に坂下門、その奥に宮内庁の建物が見えている。坂下門はかつて江戸時代末期に老中が襲われた事で歴史に名前が残っている。桜田門外の変に続いて発生した襲撃事件だが、この時は警備が厳重であったことで老中・安藤信正は難を逃れ、のちに包帯姿で対外交渉に当たった事で相手を感服させたとか。
Wikipedia「坂下門外の変」
Wikipedia「安藤信正」
下写真のごとく周囲にはポツポツと桜の木が見える。皇居にあるというだけで何となく威厳を感じてしまうのは気のせいか。

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皇居その5

2016-04-10 19:10:52 | 日本国内旅行(皇居・2016)
ようやく身体検査の場所が見えてくる。周囲には警察官の姿が多い。ちょうどミネラルウォーターのペットボトルを持っていた事を忘れていた。まずいな、疑われるだろうか。。。と思っていたら警察官から「では、その水を飲んでみて下さい」とのこと。こういう方法もありか。
この一帯は皇居外苑と呼ばれる。東京駅方向を見ると霧に煙った高層ビルが下写真の如く並び、幻想的である。以前スウェーデン人を東京に招待した時、「予想したより緑が多く、ニューヨークみたいだ」と言われた事があった。国際的には都心部に緑が多いのは間違いなくポイントが高い筈である。
ネイチャー
ナミビア旅行
Wikipedia「皇居外苑」
最近では皇居周辺をジョギングするのが流行りだとか。この辺りを走れば健康にもよさそうである。

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皇居その4

2016-04-10 18:36:48 | 日本国内旅行(皇居・2016)
江戸城の続き。明治維新の後、天皇陛下も東京にお住まいを移されることが決定される。理由には諸説あるが、なんと言っても1000年以上も京都にお住まいの天皇陛下が東京に移動されるのである。なかなかすぐには事は運ばず、結局「東京に奠都(てんと)」するという形で現在の皇居に移動されることとなった。要するに「正式に京都でなく東京に住むという決定を経たわけではない」ということで、結局その後の大正天皇、昭和天皇とも即位の礼は京都で行われている。ある意味非常に日本的な決定の仕方というべきであろうか。
Wikipedia「東京奠都」
江戸城でも今の陛下のお住まいは西の丸で、本丸や北の丸は一般に開放されている。特に北の丸には日本武道館があり、音楽のコンサートやプロレスの興業などでも有名である。東京大学・日本大学はじめ多くの大学の入学式も行われ、訪れた経験のある方も多いのではないだろうか。

ようやく皇居が近づいてくるがそれにしても人、人、人である。まだまだ人の列が続いている。皇居に入るにあたっては身体検査を経なくてはならず、そこで時間が割かれるのである。
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皇居その3

2016-04-10 18:09:02 | 日本国内旅行(皇居・2016)
人の流れは思ったよりも早く、皇居の建物が近づいてくる。江戸城の建物が見えてきた。

江戸城は江戸時代を通じて政治の中心であり続けたが、その時代にも終わりがやってくる。明治維新である。西から攻め上ってきた新政府軍が江戸に迫り、旧幕府勢は江戸で一戦を行うかどうかの決断を迫られる。当時世界有数の100万人近い人口を誇った江戸である。戦闘になれば勝敗の如何に関わらず大損害が出たことは間違いないだろう。
榎本武揚や小栗忠順らが激しく主戦論を主張する中、徳川慶喜は朝廷への恭順を決め、交渉を勝海舟に一任する。新政府側の西郷隆盛との会談にて江戸城は無血開城されることとなり、江戸での戦闘は比較的小規模の戦闘(上野の彰義隊の戦闘など)で終わった。以降の戦闘は東北地方が主体となったが、それも函館・五稜郭の戦闘で終わりを告げる。
横須賀その3
この段階で旧幕府勢にはフランスの軍事顧問が付き、新政府側にはイギリスの支援があったことを考えると、かえすがえすも日本にとっては幸運なことであったと言えよう。国内の内戦に海外の勢力が加担した時何が起きるか、現在のシリアの内戦などを見て頂ければ一目瞭然である。
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皇居その2

2016-04-10 18:04:29 | 日本国内旅行(皇居・2016)
並ぶ人の中には外国人の姿も混じる。上写真は和田倉噴水公園で、昭和36年に天皇皇后両陛下のご成婚を記念して作られたものである。
和田倉噴水公園(千代田区観光協会)

さて皇居についてである。「皇居」と言われると天皇陛下がお住いの場という意味であるが、元々のこの場所が「江戸城西の丸」であることをご存じの方は多いと思う。明治維新までは徳川幕府の本拠地として使われた場所である。
Wikipedia「江戸城」
江戸城の築城は1477年にまでさかのぼる。城を築いたのはあの太田道灌である。今でも城内には「道灌濠」と太田道灌の名を冠した堀が残っている。一時は廃城となり荒れ果ててしまったが、この地が交通の要衝であることを見抜いたのが徳川家康である。小田原城攻めの後で入城した家康は城下の整備を開始、現在の東京の繁栄の元を作り上げた。
江戸時代に入り江戸城は多くの政治ドラマの舞台となる。あの「殿中松の廊下」の跡などが今でも遺されている。なお江戸時代初期には天守閣があったが、1657年の明暦の大火で焼失、その後に「天守閣に今や軍事的な意味は低く、そんな物よりも庶民の救済を優先すべきである」と主張したのが名臣の誉れ高い保科正之である。以降は天守閣を持つことなく今日に至っている。
Wikipedia「保科正之」
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皇居その1

2016-04-10 17:12:47 | 日本国内旅行(皇居・2016)
忙しく日々は過ぎる。ただワタワタと過ごすばかりで何もせず時が過ぎるのは良くない。たまにはどこかに行って見れないか?
深夜にネットニュースを覗いていて、ふと目に留まったのが皇居である。皇居の中は普段は立ち入れないが、桜の季節などには一般公開される時があるのだ。これも経験である。一回出かけてみることにした。
一般公開の入口を目指すと驚いたのがおびただしい人出である。坂下門から遥かに離れた場所でも写真のごとし。
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ドウダンツツジ2016

2016-04-10 00:06:51 | 日本の動植物
ドウダンツツジが咲き始めとなった。まだ葉がつく前に花が咲き始めている。
ドウダンツツジ
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