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『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

誰も避けられない老いと死

2016-12-15 06:15:50 | ドイツ文学


『ひいおばあちゃん』 モニカ・ハルティヒ作 イルムトゥラウト・グーエ絵 高橋洋子訳
講談社(世界の子どもライブラリー) 小学校4年から 187頁 1989年(原書で)

昨日ご紹介した『おばあちゃん』(ヘルトリング作)は、交通遺児という特殊な立場でしたが、より一般家庭寄りなのが、この『ひいおばあちゃん』。
この本ね、今の日本にも通ずるところがあって(介護は女性の仕事とかネ)、共感しやすい!とっっってもよかった!もちろん、例によって絶版ですけど
作者は精神療法の女医さんだそうで、子どもの心理描写がもうお見事で。外国の物語だということを忘れて思わず感情移入しちゃいます。

≪『ひいおばあちゃん』あらすじ≫
小2女子のヨシは一人っ子。妹がほしくてほしくて、たまらないのに、ある日突然家にやってきたのは、妹ではなくしわくちゃで泣き虫のひいばあ。部屋は取られるわ、世話は焼けるわ、汚いわ、で早くひいばあに出て行ってもらいたくてたまらないヨシ。ところが、いつの間にかひいばあが大好きになっていって・・・年をとるって、どんな感じかを教えてくれる物語。


【ここがポイント】
・同居の大変さ&素晴らしさ、老いていくとはどういうことかが分かる
・近所の精神障がい者の子の存在が光る
・ひいばあの昔の楽しかった家族の話、戦争の話が心に残る
・ヨシの心の成長が素晴らしいの一言に尽きる
・一人っ子を気に病んでいる人にぜひ

忙しくていつもヨシの話を聞いてくれない両親。子育て世代は、読んでドキッとします。こういうのやっちゃってるよね~
子どものペースと同じで、話を本当の意味で「聞いて」くれるのはお年寄りなんですよね。ところが、現代ではその子どもたちすらも「急げ急げ」でノロノロの老人にイライラしちゃう。それが、同居することによって、ヨシはハっと本来のペースに気付かされるんですね。一緒にノロノロ散歩していると・・・

・・・とてもふしぎなことが起こった。ヨシは、まるで魔法のメガネをかけているような気がした。とつぜん、いままで見たこともないものが見えてきたのだ。まわりのものがみんな、ちがって見える。やぶやしげみは、いちめんにぴっかぴかの金ぱくや真珠でおおわれている。ほかの木は、銀色の羽毛のずきんをかぶったり、枝と枝のあいだにうすくすけるレースがたれさがったりしている・・・

そう。いかに普段私たちがキラキラした美しい“そこにある”世界が見えていないことか。ドライブの帰り、夕日が沈む光景がとてもきれいで、お父さんは車をとめると、ひいばあは手を合わせて小声で言うんです。

「すばらしい一日でした。ありがとう!」


それ聞いて、なんだか私とっても感動してしまったんです。そして、ヨシはこう思うのです。

神さまはきっと、きょうはいつものたのみごとのかわりに「ありがとう!」のひとことが聞けて、うれしかったにちがいない。だって、「ありがとう!」は、すてきなお祈りのことばだもの。

と。大好きな場面は書ききれないくらいいっぱいあるのですが、もう一つ印象的だった場面。実は、ヨシは母方の祖父母があまり好きではないんですね。口うるさくて、いつもきちんとしろと言われて・・・よくある今の祖父母だなあ、と。子どもに対して寛容でなくなってきていて、自分たちの生活スタイルが大事。ところが、ひいばあが漏らしてしまって、それを必死で隠そうとしたとき手伝いにきていた祖母がこういうんです。

「だれにでもあることですもの。」


これね~、言えそうで、なかなか言えない一言。さらに、実はベッドも汚してしまったと告白するひいばあには、

「気にすることはありませんよ!せんたく機があるじゃないですか。」
「いまからあったかいおふろにつかって、さっぱりしたものに着がえましょう。そして、ぜんぶわすれてしまいましょうね。」


って。なんて、思いやりのある言葉。同じ立場にあったら、私こんな風に言えるかしら?自問してしまいます。でね、これを聞いて、今まで祖母のことが好きでなかったヨシは、いっぺんに祖母が好きになるんですね。口うるさいけど、本当はとてもきちんとしたいい人なんだ、ってね。子どもって本質をホーントよく見ています。

最後のほうで、ヨシがひいばあを名前で呼ぶところ、ひいばあが亡くなるところはもう涙、涙。けれど、とっても前向きで素敵なラストが待っています。クリスマスの場面も美しくて、とてもいいので、今の季節読むのにもピッタリ

誰にでも来る老いと死の物語。とても現実的で、かつ心に残る素敵な物語でした

『おばあちゃん』

2016-12-14 06:48:24 | ドイツ文学


おばあちゃん』ペーター・ヘルトリング作 イングリット・ミゼンコ絵 上田 真而子訳 
偕成社 170頁・小学校高学年から


え~、まだまだ続きますよっ『老人と子ども』シリーズ
先日の『ヨーンじいちゃん』と同じ作者ヘルトリングが、今度はおばあちゃんを描いたのが、題名もそもままずばり『おばあちゃん』。

交通事故で両親を亡くしたカレは、67歳になるおばあちゃんに引き取られ、一緒に生活していく物語です。世代の違いから、なかなか自分のやり方は変えられないけれど、それでも孫の心に寄りそおうとしていることとかが伝わってきます。

まあ、同性のせいか、自分が嫁の立場だからか、平気で死んだ嫁の悪口言っちゃうこのおばあちゃんとの同居は、私は遠慮願いたくなりましたけどね。『ヨーンじいちゃん」のインパクトが大きかったせいか、こちらは少し印象が薄くなってしまいましたが、続けて読まなければ、十分インパクトのあるおばあちゃんだったかもしれません。

【ここがポイント】
・各章の最後におばあちゃんの心の中のモノローグがあるのがイイ
・完璧でないおばあちゃんの姿が現実的&人間味がある
・僕を未熟な子扱いしないおばあちゃんがイイ
・貧しいながらも、たくましく生きてる姿がイイ
・いつかやってくる死に向かい合う姿勢がイイ
・世代の感覚のズレをよく描いている

ただなあ、僕がいい子すぎるんだなあ。ほかに身内がいないので、おばあちゃんに反抗心を抱くより、まだまだ甘えたい年齢なのだろうけれど・・・友だちとのことに口出しとかされたら私ならもっと嫌がるな、と思ってしまいます。でもね、身内に反抗できるって、それだけ愛されてる自信があるからこそ、できることなんですよね。主人公のカレは多分まだまだ愛に飢えているのかも。そう思うとちょっぴし切ない。

こちらに出てくるおばあちゃん、67歳とのことですが、今の67歳はおばあちゃんって感じしないですよね。まだまだ元気にその親の世代を介護してたりして、孫にもおばあちゃんと呼ばせず、○○さんと名前で呼ばせる人も多かったり。そういう意味では、おばあちゃんという言葉がふさわしい年齢自体が変化してきているようにも感じる今日この頃です。



おかしくてホロリ『ヨーンじいちゃん』

2016-12-07 21:03:30 | ドイツ文学


『ヨーンじいちゃん』ペーター・ヘルトリング作 上田真而子訳 偕成社
(1981年、206頁、小学校高学年から)


昨日の北欧のバイタリティ『三つ穴山へ、秘密の探検』のおじいちゃんは子ども心を忘れない、子どもに近い存在のおじいちゃんだとすると、こちらのドイツのおじいちゃんは、子どもとは全くの別の存在でありながら愛すべき頑固者。クスクス笑えて、最後にはホロリ(人によっては、うわーんかも?)とさせられる物語。ヘルトリングだから暗いかと思いきや、明るい

小6の教科書の中の推薦図書に挙げられてるそうなのですが、イイネ、イイネ。老人がどういうものかワカラナイ現代っこたちにとって、老いの‘厄介さ’も‘尊さ’も身近になるから。とはいっても、このおじいちゃん、相当強烈ユニークで、一般的とは言えないかもしれないんですけどね。とても読みやすい文体なので、本が苦手な子にも。

≪『ヨーンじいちゃん』あらすじ≫
口論の末、母さん方の祖父と同居することになったシルマー一家。ヨーンじいちゃんが来てからというもの、孫のヤーコプとラウラはハラハラしっぱなし。だって、じいちゃんは何をしでかすか分からない。せっかく新しく張り替えた壁紙が気に入らないと、白く塗りつぶし、配線はぐちゃぐちゃにするわ、泥酔して帰宅するわ、76歳にもなって恋はするわ。でも、いつしか、そんなヨーンじいちゃんに孫たちは惹かれていくのです。ところが、ある日突然おじいちゃんが倒れて・・・。


まさに我が道を行くヨーンじいちゃん。訛りがあるものまたいい味を出してるんです。気難しいし、我が強いし、こだわりも強いし、いわゆる仏のようなニコニコの愛すべき老人ではないんです。でも、その強烈な個性も徐々にみんなが好きになってきて、村人からも愛され始めるヨーンじいちゃん。もちろん、私も途中からすっかり虜に。

家族の葛藤もまたリアルでいいんですよねえ。同居したことある人はすごく共感できるのではないでしょうか。すぐカッとなる大人げない父さんに、おじいちゃんの味方の子どもたち。ところが、時々その子どもたちですら「もう限界!」ってなると、今度は父さんが笑いながら諭しはじめる。・・・あら?父さんが一番我慢ならないんじゃなかったんでしたっけ。誰かが感情的になると、もう一方が落ち着くの法則

ヨーンじいちゃんが輝いてるのはね、遠慮しないからなんです。自分を生きてるからなんです。お世話になってる身、少しは遠慮しろ~、って最初は思うのですが、結局は周りも認めざるを得ない。ヨーンじいちゃんの部屋にはアインシュタインの写真が貼られるのですが、なぜアインシュタインが舌を出してるの?と聞く孫のヤーコプに対してこう答えるんですね。この写真です↓



「んのっ、どうしてだと?気持ちがええからさ。この人は、ひとをからかえるんだ、ちっとな。こういうことをする自由をちゃんともっとるんだ。わかったか?」

さらに、どうしてこのポスターを掛けておくのか聞かれると、

「わしに必要だからさ。このアインシュタインは、わしをたすけてくれる。わしのかわりに舌をだしてくれとる。わしはいくじがないから、だせんがの。わかったか?」


って。また、ヨーンじいちゃんが恋に落ちたとき、まだ女の人が好きになれるの?と聞いた孫に対しては、こう啖呵を切る。

「おい、孫ぼうず、わしのようなおいぼれは、もう、ほれることもでけんと思うのか?-もうでけん!もう生きとるなんてもんじゃない。頭はからっぽ、心もからっぽ、血管の中はほこりでざらざら。そう思うとるんじゃろ、ヤーコプ!え?利口なつもりでおるんじゃろうが、ちっと、ばかなところがあるぞ、おまえには!その気になりゃあ、わしはまだまだ燃え上がることがでける!うっとりとして、わくわくして、首ったけになることがでけるんだ。ああ、大でけじゃとも!」

ね?素敵なおじいちゃんでしょう?こうして、いつしか読者もみんなヨーンじいちゃんが大好きになっていくから、突然倒れて、痴呆になっていく姿はショックです。おじいちゃんが死んでいくところは、自分自身の経験と重なって、電車の中では泣けて泣けて読めませんでした。ヨーンおじいちゃん大好き。

黒魔術を越えるもう一つの魔法

2016-11-05 05:54:26 | ドイツ文学


『クラバート』オトフリート・プロイスラー作 ヘルベルト・ホルツィング絵 中村浩三訳 偕成社

またまた毒虫に刺され?足が腫れ上がり、祝日含めた数日は寝込んでおりました。
普段ね、薬を取らないせいか、薬が効いて効いてもはや記憶が飛んでる!?朝家族としゃべったと思ったら、次に気付いた時は夜でびっくりしました。このところ悩んでいたことが、夢にでてきてそれが妙にリアルで、寝ながらにして恐怖味わったり・・・それには寝込む直前に再読し終えたこの本も影響したかも

名作!!!何度読んでも引き込まれるし、面白い!
けれど、『表紙が残念な本特集』がテーマだった第2回児童文学ピクニックでも話題になりましたが、表紙で敬遠しちゃう子が多いんじゃないか、とそこが残念。ところがですね、読み終えてみると、もうこれほどぴったりな挿絵はないんじゃないか!と思うほどこの物語の雰囲気にぴったりなのですよ、これが

≪『クラバート』あらすじ≫

少年クラバートはある日不思議な夢に誘われ、コーゼル湿地の水車場の見習いとなる。村人たちの寄り付かないその水車場は、実は冷酷な親方から12人の弟子たちからなる秘密団が魔法を学ぶ場であった。新月になると現れる大親分の謎、復活祭の儀式、大晦日に毎年弟子のうち誰か一人が死ぬ・・・。3年間の修行ののち、親方の跡継候補になるくらい魔法を習得したクラバート。自由を得るため、愛する人と友情の力を借り、親方に対決を挑む。
ジブリの『千と千尋の神隠し』がこの作品から刺激を受けていることは有名。



THE★暗いです!でも、引き込まれる。常に死の匂いがまとわりつき、魔術といってもワクワクする類のものではなく、日々課せられる労働の日々も暗く重たい。最初はその陰鬱さに息苦しくなるのだけれど、でもね、人間って不思議なものでそんな状況にも慣れちゃうんです。そんな中でも魔法を使って村人や仲間をからかって笑ったり、仲間内である種の連帯感があったり。クラバートは魔法の習得に夢中になっていきます。ヴェンド人の伝承が元になって、プロイスラー自身が徹底して歴史背景や当時の生活風習を調べたうえで書かれているので、説得力があります以下ネタバレ含めますのでご注意を。

ちなみにこちら、2008年に映画にもなっていて、日本では公開はされていないけれど、DVDにはなっています↓



もはやお決まりの(!?)原作ファンガッカリな内容らしいですが、映画から入った人もサブタイトルの闇の魔法学校から、ハリーポッターのような華やかな魔術を連想してガッカリする人が多いみたい
そう、クラバートに出てくる魔術って地味なんです。でもね、それがなんていうかもう現実味を帯びていて。実はこういうことってあるんじゃないか、って思えて思わず身震い。ザクセン選帝侯に戦争を続けるよう仕向けるところとか。現代社会にも黒魔術でなくても、こういう負のエネルギーが渦巻いていて、それに影響されるってあるなあ、って思うんです。

ただね、私自身はクラバート自身の魅力がイマイチ分かりませんでした。成り上がり者が苦手なのかも?トンダやミヒャルには感じたような人格者的な魅力がクラバートにはあまり感じられなくて。野心は強いけれど、観察力もあまりないし。まぬけを装ってるけど、実は賢いユーローのほうが、断然魅力的(私はね)。なので、いまいち分からなかったのです。クラバートたちを救うことになる女の子がどうして、それほど話したこともないクラバートを愛し、命までかけられたか、ってことが・・・。そこをもうちょっと描いてほしかったなあ。とは思うけれど、黒魔術を越えるもう一つの魔法(愛だよ、愛っ←CM風)がある、これもまた現実だと思いました。

そんなわけで、個人的にはクラバートという人物像に入れ込むことができなかったのですが、現状を疑い、おかしいと思ったらそれに立ち向かう、その気概だけで天は味方をしてくれるのかもしれない、そんなことを思ったクラバートでした。



魔女といえば・・・

2016-10-31 21:10:25 | ドイツ文学


週末はハロウィン三昧。写真はこれだとなんだかよく分からないかもしれませんが、次男が考えた、自然を活かしたハロウィンの飾りつけだそうです(笑)。カラスウリをジャックオーランタンに見立ててます
私こういうイベント大の大の苦手なんです。けど、仲良しご近所さんたちとの気を遣わなくていいハロウィンは好き~。久々に二日酔いになるくらい楽しみました♪集まった中には何人かWikipediaに掲載されるくらい有名な方々もいらっしゃるのですが、子ども通すとフラットな仲(ただの飲み友だち)になれる。自分だけでは出会わなかった世界を子どもは運んできてくれて、ありがたいな~、って思います。

さて、ハロウィンといえば、魔女の格好してる子が多いですね~(一番はプリンセスですけど。単なるコスプレイベント化してる点も苦手な理由・・・)。魔女ものの物語はたくさんありますが、まずぱっと頭に浮かんだのが、小学校2,3年のころ大好きだったコチラ↓



『小さい魔女』 オトフリート・プロイスラー作 大塚勇三訳 ウィニー・ガイラー画 学習研究社

≪『小さい魔女』あらすじ≫
127歳のしんまいの魔女がいました。この魔女は、気のいい魔女で、よい魔女になろうと修業にはげみ、あの手この手の魔法を使います。でも失敗ばかり…。無邪気でそそっかしい小さい魔女の、明るくてユーモラスな物語。(BOOKデータベースよりそもまま転載)


え、学研なんだ!?岩波か福音館っぽいけれど、学研出版ということに今気づいてちょっと驚き。あー、でもやっぱり絶版。私の中ではこ~んなにもメジャーな物語なのに!
プロイスラーは『おおどろぼうホッツェンプロッツ』や『クラバート』を書いた人。大人が読んでうならされるのは『クラバート』なのだけれど、『小さい魔女』昔読んで楽しかったという思い出はあせませんね~。とにかく、楽しかった!という記憶だったので、大人になって読み返し、ほうほうこんな感じだったか、と。すごく美味しい焼き栗が出てきたとい強烈な印象があったのですが、読み返してみてビックリ。焼き栗の美味しさが特に力を入れて書かれているわけではなく、ただ「外で焼き栗売ってて寒そうな小男に、栗をつかむ指がやけどをせず、足の指が凍えないように魔法をかける」という内容だったんですね。いかに自分が食いしん坊だったか。子どものころって、こういうちょっと書かれた一文や出てくるモノに、限りなく惹かれたりワクワクするんですよね

小さい魔女が意地悪な年上魔女たちをやっつけるところは痛快。最後は小さい魔女と一緒になって、「ワルプルギスのよーる!」と叫びたくなります