ワタシの場合、何年か前にリセットボタンを押した。
文字通り脳内の『デリート作業』である。
ワタシの脳みそのスペックなんぞ、たかが知れている。
その小さなスペックの脳みそに、目一杯の『知識』を詰め込んだら、『知恵』を使うスペースが無くなっていたりなんかした。
本来の機能もモンダイなのだが、情報の接続法と情報の排出法に大きなモンダイがあり、積もり積もって暴走したりなんかしまくった。
まあ今も昔も暴走するのだが、相対的に『うつ病』と診断されている間の十数年は、どうにもこうにも悲惨な連鎖を繰り返し、まあ『剛体』がズドーンとしてるか、ベキッと折れた状態、という物凄く極端な状態で過ごしてきた。
最近、『しなり』を意識する様になって、変化の兆候が現れだしたことに、自分自身でもすこーしだけ気付いていたりする。
気をつけている、というか、気にかけている大きな要素の一つとして、『怒り』の感情に注目している。
まあ日常生活を送っていると、結構な確率で、『イラッ』ときたり、『カチン』とくる。
ワタシなんぞは、器が小さいは、『ジョウシキ』がずれてるはで、そりゃあもう、小さいモノを拾ってるとキリがない。
ここのところ、特に思うようになったのだが、自分が『何に対して』イラッときてるのかを精査してみると、まあだいたい『矛先マチガイ』に気付いたりなんかする。
いや、そもそも生理的にダメ、ってのも含めて、『いったい何に感情を揺さぶられるのか』を注意深くみてみると、ある種の傾向を描くコトがみえちった。
ここ、今、センモンカと雑談混じりに詰めているのだが、結構な肝らしい。
らしい、というのはセンセーの食いつきがいい。
もう少し、自分自身で煮詰めたいのだが、この『怒り』という類の感情の高ぶり、自分自身の『内面』にかなり大きく反映されるモノで、自分自身でも気付かなくなったような内部の出来事を表面化させる、リトマス試験紙みたいなものだったりする。
基本的に、感情を表面化すること自体に、善悪などはない。
それに対する反応とか、影響とかいう、二次的産物にヤラレル、というのも当然ある。
だが、その発生している感情を抑制するのは、かなりヤバイだろう、と思う。
発生のめかにずむに着目するのもアリだが、発生したモノの『本質』と、自分自身の『表現』と、それを表現する『目的』を考えてみると、なるほど、かなり『角度』が変わる。
モノは変わっていないのだが、『角度』は変わるだろう。
ヒトって、よっぽどの環境に置かれたり、よっぽどのコトが起こったりしない限り、『好戦的』なヒトは稀である。
それが稀でない世界も、当然あるのだが、まあ今の東の果ての島国では、相当れあけーすである。
そのれあけーすが個体、小集団内で起こっているのが、○○だ。
そう思い込んでいるのが××だ。
と言えばそうなのだが、ここではヤヤコシイので割愛。
まあ、なんにせよ、初期の段階で、『自己抑制』を覚えてしまうと、デフォルトになるわけで、えらい歳くってからも思春期だったりする。
ワタシが言いたいのは、過去に縛られるのでも、責任の所在を明らかにするコトでもなく、今ワタシが持っているモノで、如何に生活していくか、だったりするわけで、この本質を知るコトは、結構重要だったりする。
感情が起伏するコトは、おおいに結構なコトである。
モンダイは、『何に』、『何で』、『で、どうする』だったりするわけたなあ。
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このいい感じで…
って大切。いろんな細々としたモノなしに、すんなりくる。
嬉しかったな~
自然に伝わると言う感覚は心地よいのです。
記事内容とは関係ない事ばかり書いてごめんなさい。
二日くらいかけてゆっくり拝見します。また、コメントしちゃうかも!!
完全に燃え尽きないでいてくれてよかった~
うんうん、そうですね。
こんばんは。
ようやく峠を越えました。
ワタシ自身、色々行ったり来たりしてるのですが、まず自分自身が心地よく、それで読み手の誰かも心地よくなってくれるといいなあ、と。
誰かにとっては、不愉快に感じたり、ワタシの思考が歪んでるのが出たり、ヒトによってはきつい内容もあるかと思いますが、自分の芯は持っていたいですね。
こんばんは。
『アタリマエ』という言葉で片づけられそうな、『何に』、『何で』、『で、どうする』ってヒトによっても違うし、自分自身でも固定観念を捨てられず、妙な固執みたいなので方向性を見失ったりしちゃいがちなのかなー、と思ったりします。