皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

デクノボーであること

2010-02-08 16:35:35 | 認知の歪み

ワタシ、書いていることにとても矛盾が多い。
書いている時点でも気付くし、昔書いたことを読み直してもその時々に気付くことがヒジョーに多い。
まあ、それでいいのだと、このブログに持たせている『自分的意義』の中では勝手に思ったりなんかしている。

ワタシ自身もそうだし、まあそれなりに生きてきて感じることの一つとして、『答えを求めすぎ』ていることが多いのでは?と思うことがある。

『原因』があって『結果』がある、といえば、それはそうなのだが、どうも『結果』を観て『原因』を求め、『安易な方法』で答えを得る。という風潮が、いつのまにか流れてきているというのを感じたりなんかする。

『向上心』とか『問題解決力』とかが極端に希薄なのかもしれないので、『努力しろよー』とお叱りなんかを受けるかも知れない(というか、結構お叱り(愛の鞭という表現のほうが適当)を現実的に受けている。)

ワタシは『市場原理主義』だの、『競争社会』だの、『資本主義』だのからは半身リタイアしている。まあ使えなかったというか、そういう世界では通用しなかったとも言えるだろうな。それ自体に特に悲観するようなことはない。


『半身』というのがミソで、『半身』はそういうところに身を置かないと、『生活できうる術を今は持っていない』というのが現実問題であり、ワタシの中で行ったり来たりしている訳であるが、何となく言いたいというか行動したい方向性みたいなものは、こんなワタシでもまあ何十年かくらいは生きているので、ワタシ流の考え方なんかはある程度固定されていたりなんかする。


ワタシが思うに、デクノボー的生き方というのも一つの選択肢に入れてもいいんじゃないか、と思う。

どう解釈するかは別として、

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモ マケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨク ミキキシ ワカリ
ソシテ ワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモ アレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ 母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ 死ニサウナ人アレバ
行ッテ コハガラナクテモイイ トイヒ
北ニケンクヮヤ ソショウガ アレバ
ツマラナイカラ ヤメロトイヒ
ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
ミンナニ デクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフ モノニ
ワタシハ ナリタイ

「『アメニモマケズ』宮沢賢治」


こういう生き方を『役に立たない人生』というのであれば、そういうものがいい、と個人的には思う。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぴーまん)
2010-02-08 18:41:28
矛盾と成長発達上の思考の変化は、別のような気がします(^-^)

わたしは、盛岡で生まれ、20歳まで盛岡で育ちました。息子は賢治が大好きです。
返信する
Unknown (pluto)
2010-02-10 00:55:56
>ぴーまんさん
こんばんは。
成長は気恥ずかしいので、変化くらいにしておきたいです。
御出身ですかー。この歳になって思うこと、子供の頃に思ったこと。好きであることに変わりはないなあ、と。
返信する

コメントを投稿