ヒトは空想の世界を生きている。
ヒトの思考は、無数の過去の経験の蓄積の一部が表層化したモノである。
個体の体験した出来事の積み重ねが知識を形成し、その中で思考する。
現在という地点を静的に眺めると、個体は閉じた社会に身を置く。
経験に裏付けされた知識の深度が深まるにつれ、その幅は狭くなる。
そのように捉えると、経験は視野を狭くすると感じてしまう面もあるが、現在という地点は静的であると同時に動的でもある。
ある瞬間において、外部刺激により内部の変革が訪れる場面というのは日々訪れる。
同一条件下において、過去と現在で同様の体験をおくるということはあり得なかったりする。現在を形作っているのは無数の過去であり、仮に有限要素を全て同一にした場合においても個体内部の状態は全くの異質である。
外部刺激による内部の変革は意識と無意識の狭間で葛藤する。
大人になるということは、無意識を統制する意識の無意識化でもあり、無意識化された領域は固定観念という障壁になる場合もある。
現在を形作る外的世界は、先人達の空想の集合体であったりする。
地面を歩き、空を見上げて飛ぶことを夢見た先人の空想は、形を変え現在のジョウシキの一部を形成している。
箒で空を飛ぶ魔女は現れなくとも、ヒトは既に飛ぶことを知っている。
遠く離れたヒトの声を聞きたいと願った空想は、日本の国土の97%の地域で遠隔的相互配信できる携帯電話という物質となり、パソコン通信という媒体になり、インターネットという巨大媒体にまで膨れあがった(個人的にはどちらもあまり好きではないが…)。
今この一瞬に全世界60億人が空想する世界の断片が、数十年後の世界を形成しているだろう。
空想というと、非科学的と見られがちで妄想と言われてしまう面があるが、空想や妄想が科学を産み、世界を形作っているというのもまた事実である。
日本は平和ボケしていると言われることが結構あるが、ワタシ個人は平和ボケな世界で産み出される空想は、次の時代が平穏である大きな要素だと思う。
って言葉には関心しました。面白いです。
こんにちは。
ブログを放置してコメントしてませんですみません。
大人にならなきゃ、って思う部分もあるのですが、
子供の頃に使っていた領域や手法も残していきたい
って最近思うんですねー