題名に書いたことなんかは、生きていたらよく起こるんだろうなあ。
そのたびに絶望とか、何かのせいだー、なんてしていたら、それこそ生きてはいけないと言えばいいのか、どうなのか。
よけいにしんどいというのはそうなのかも知れない。
不条理とか、理不尽とかって、成長の過程でいくらでも体験してきている。
その昇華方法で悶絶したって、そりゃあその時の自分が受け入れられる方法でしかないのだから。
幼いときの、「満たされる体験」というのは重要なんだろうなあ。
どなたかが言っていた「足を知る」っていうのはそういうことを体験していないと出てこないような気がします。
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