皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

特別支援教育におけるWISC-Ⅲの取り扱い

2008-11-21 19:43:48 | アスペルガー症候群

アスペルガー障害児(ちまたで使われてる自閉っ子)も、きちんと発達していきます。
その子のペースで、その子なりの得意・不得意を模索しながら。

『みんな違って、みんな良い』


学校では沢山の生徒達はみんな一緒、勉強も学校生活も遊びもコミュニケーションも・・・
それはある程度仕方のない事だと思います。
教育者にとっては、みんな一列のほうが効率的ということもあると思いますし、
個々の児童・生徒の細部にまで目を通したくても時間もなければ余裕もない。
それは教育者が怠けているわけではなく、今の学校制度、社会制度がそうなっているので責めるわけにはいかない(実際多くの方々はサービス残業などをして、子供達のことを真剣に考えて、日々過ごされているだろうと思っています)。


ワタシが児童・学童の頃から思っていた事なのですが、日本の教育制度に限った事かどうかはワカリマセンが、「数値」・「カテゴライズ」・「パターン化」を重視しすぎる傾向があることが少し残念なことだと思っています。
上記の3つって、個人を判断する際に単純化(ルーチンワーク)にする為に編み出された方法だと思うのです。
「女(男)だから」「○○歳だから」「貧乏だから」「○○学校卒だから」とかで区分されるのって嫌じゃないですか?
ワタシはすっごく嫌なんですよね。
「知能指数」で障害者区分をすることも憤りを感じるのですが(これはまたにします)、

○○障害=こういう傾向があるはずだ。
○○の子はこう考えているに違いない。
○○の子はこうしてあげるのが支援になる。
これらって大人の勝手な解釈(推理)だと思うんです。


WISC-Ⅲにおける、

言語性>動作性、言語性<動作性

群指数の関連性について(VC.PO.FD.PS)

視覚有意・聴覚有意

これらはそれなりに意味はありますが、もう少し突っこんだ話をする必要があると思います。
そもそも発達障害児者のことを“非定型発達”と呼び、型にはまった発達をしていない人間を型にはめるということが馬鹿げていることは感じるのですが・・・
それでも社会の中では個々人とじっくりと接する程の時間的、金銭的、そのた様々な意味で余裕がないため、無理矢理カテゴライズしてしまう事になるのでしょう。

誰も突っこまない部分のようですので書いておきますが、言語性(動作性)IQを算出する変数が独立していること、群指数も、<VC=言語性:知識・類似・単語・理解>、<PO=動作性:絵画完成・絵画配列・積木模様・組合せ>、<FD=言語性:算数、数唱>、<PS=動作性:符号・記号探し>と群を跨いで重複する変数が存在しないことは、“分類のしやすさ重視”で因子分析を施した結果を如実に物語っており、ザックリした解釈しか出来ないことを意味していると感じます。

そもそものディスクレパンシーと群指数間の有意差は“15以上で、能力・影響因に整合性が採れる場合に限る”というところがスッポリ抜けていたりしますので・・・


If・・・ワタシが支援をする立場に立つことがあるとしたら、やはり個人の発達過程を推理するただの目安でしか使わないと思います。


個人的に、より簡潔且つ明瞭に社会的言語で表現出来る方法を模索していますので、纏まってきたら記事にしようと思います。



3歳や4歳児の検診で各種知能検査でふるい分けをする。
シナプス数の増加が見込める4歳程度までに、様々な知識を習得させようと「教育」情報過多なという名の押しつけをする。
ワタシ個人の感想としては、???といった感じです(私の子なんだからあんたには関係ないでしょ、と言われればその通りです)。

子供の欲求を満たし、特にスキンシップを取ることで満足感や多幸感を感じさせることは対人的な安心感・信頼感を促すとともに、神経伝達物質「セロトニン」の分泌を促進し好奇心・楽しい・嬉しい・面白いといった感情を生み出すとされています。「ドーパミン作動系ニューロン」は、意欲・元気・積極性がちょっと足りないかな?という状態の改善には効果的であり、「セロトニン系」と「ドーパミン系」ニューロンのネットワーク形成がより活性化されます
その様な状態が確認されてはじめて“しつけ”とい呼ばれる社会規範や不安・緊張へのケアをすることにより「ノルアドレナリン作動系」ニューロンの働きを促すことが見込めます。
様々な事に関与している「アセチルコリン」という物質などもあるのですが、脳内伝達物質に関しては、また別の機会に詳しく勉強していきたいと思います。


お子さんのいらっしゃるご父兄の方には、どうか褒めることを沢山して欲しいと思います。
ギュッと抱きしめる。手を握る。ハグでもキスでも。
スキンシップとタッチケア。
これって親の側にも「セロトニン」の分泌が期待できる要素でして、親子共々に多幸感が得られると思いますので、親バカだろうと気恥ずかしかろうと思いっきりやっちゃって欲しいなあ。


軽度発達障害の心理アセスメント系文献を参照しますと、確かに巧く要点を押さえているなあ、と思う面もあるのですが、日本人的気質と言いますか・・・やっぱり「カテゴライズ」「分類」し、その「傾向」に当てはめる、というのがかなり目についてしまいます。


みんなそれぞれ出発点も違えば、発達の速度、元々持っている長所も違います。
各々にあった方法で、無理のないペースでいいじゃない。
確かにIQなどと言った数値で他者比較すると、何とかしなくてはと悩んでしまうことは大いに納得できます。
学力が無ければ、進学出来ない、ひいては後の人生の選択肢を狭めてしまう。
学習面での躓きが、自己評価の低下に繋がる、情緒面を不安定にする

そうかなあ?って最近思うんです。
いろんな経験をして、自分の色んな面を見つめて見て欲しいな。
親御さんがその親御さんを愛しているなら、子供さんも親御さんを愛する人になると思います。
親御さんから愛されなかった方も、愛することを自然にしていれば親御さんを愛する人になると。

人間ってみんな違うんですよね。
個人の持っている才能も、心情も、気質も、認知も、そして常識も。

それはアスペルガー障害を含む発達障害児者に限らず定型発達と一部の方が呼んでいる多数派の方にも言える、人間全体に適用した概念だと思います。
日本文化を背景とした、「普通・平均」を求めることも柔軟性を持って。


『みんな違って、みんな良い』


そういう世の中が来るように、ワタシもワタシにできることを少しずつでもしていけたらと思います(その前に、このブログもだいぶん方向性がぶれてきているので、バランス良く記事を書いていきたいです)。



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