皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

診断を受けてから、苦悩はより深まりました

2015-01-14 21:34:51 | 認知の歪み

私は7年前に発達障害の診断を受けました。

「発達障害カテ」では二次障害と言われている「気分障害」との付き合いは15年を超えました。

幼少期、小青年期の類似症状を抱えた時期を含むと、人生の半分以上は「気分障害」とつき合っています。


発達障害は社会性の障害と言われていることもあるそうですが、その概念を突き詰めていく程に自責の念が強くなってきます。

私は数年前に発達障害支援センターで講演をさせて頂く機会があったのですが、その際に自分自身で「根拠のない自信は大切なことです」とお話しさせて頂きました。

そう話しておきながら、私の自己肯定感は非常に低いです。
そして年齢を重ねる毎に更に低下してきていることを実感しています。

それは、今までの経験した様々な問題を洗い出して、自分に非があるところを改善する方法を模索して実践しても、どうしようもないくらいに圧倒的な齟齬の壁の様な物が立ちはだかる現実をまざまざと見せつけられ続けるのです。

それでも私に問題があるのですから、私が修正し続けるしかありません。

感情を喪失しそうになったり、没個性に陥ってしまったりもよくあります。


人間はフィジカルとメンタルが安定した上で、経験に裏打ちされた自我の発達によって自分や自信を確立しているのだろうなと感じています。

それらを喪失した状態から発達していくには屈強なメンタルが必要だったりしますが、二次障害に陥ってしまうと発達どころか、さらなる喪失を体験してしまいます。


社会生活を送るに当たって陰鬱な状態では、人は遠ざかっていきます。

やはり自分に無理なく居させて貰える居場所と、共に切磋琢磨できる仲間は欲しいと、最近つくづく思います。

自分を認め赦し、他者を尊重する。

一人がみんなのために。みんなが一人のために。

ケセラセラで一日一日を精一杯生きていける居場所、仲間、目的。それらに出会うために行動していきたいです。


 

 

 

 

 


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