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お国入り   その2

2006-08-06 08:10:28 | ある被爆者の 記憶
 そのいら虫に悩まされながら、一行は篠山川にかかる監物大橋を渡ったはずである。篠山川は町の南を西に流れている。お城を守る自然の陣構えともなっている。
忘れてしまったが、監物大橋などと厳めしい名前がついているのも、堤防を築いた侍の名前であったか、この方面守備を任された宿将の名前であったかとも思う。
 仮駅舎みたような篠山駅からこの監物大橋を渡りきるまで、西日を避けて立ち寄る木陰さえない。ただ、そんな時は、道端の叢の中で、油ひでりの音の証明のようにジージーと鳴く、夏の虫声だけがあたりを蔽っていなければならない。しかし、私はそれを聞いていない。おそらく担架を担いだ一行はそれを耳にしながら、黙々と歩いたにちがいない。でも、担架の上の負傷者にだけは時折、言葉かけも忘れなかったはずであるのに、私にはこの間の記憶は全くない。意識を失っていたとは思わない。後の診察結果からいうのだが、この時、私の左の耳は聴覚を失っている。また失明はしていなかったが、左眼は瞼が垂れ下がって開けなかった。だが、右眼、右耳は異常がなかった。私はこの時、何を見、何を聞いていたのだろう。なぜ、事実に関することの一つ、二つぐらいは覚えていないのか―あの日の衝撃から既に丸四日も経過しているのに、と思う。一つだけ思い当たることがある。死者の柩を運ぶのに、どうして肩の上に担ぐのだろうと思うことと重なっている。その昔、負傷者を運ぶのに戸板の上に乗せたのは、果たして合理的な方法とだけ考えてよいものかどうか。実際、経験のある私にとって、それは負傷者を事実認識と切り離してしまう古代からの方法であったかもしれないと、今では思うようになっている。理由は簡単である。死に近い負傷者が戸板にのせられると、視界には空以外に何も飛び込んではこない。ということは、負傷者は空しか見ていないことになるが、そうなると、負傷者は、いつの間にか空を見ている意識は失せて、中空の世界に吸い込まれてしまう。
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