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お百度詣り  ( その1 )

2009-08-06 08:15:00 | ある被爆者の 記憶
篠山の二月は、雪が降らない限り、まるで枯死した屍のように自然が動かない。雪国にあるような、ひっそり冬越ししている感じなら、まだどこかにぬくもりがある。篠山は雪国とはいえない。来る日、来る日、寒気が生きの根を止めてしまうのだ。だから、雪でも舞い始めると、却って救われた気になる。
 夜にでも入ろうものなら、凍てついた道は、死人に薄化粧したように冷たく光り、道端の枯葉は、霜に焼かれたというより、霜の挑梁にのたうっている。
 私には、忌わしい篠山の冬の二月の思い出があるから、なおさらそうなのであろうか。それにしても、私たち兄弟とその母は、この篠山の冬の二月の夜の寒気に翻弄されねばならなかった。
 母は、私と弟の手を引いた。もう手を引かれる年齢でもないのに、家を出るとき、決まってそうしたのには、凍てついた道に転ばぬためというより、やっぱり、悲しみと興奮を押えるために、そうせずにはいられなかったにちがいない。
 さすがに、家を出るときは、母の手のぬくもりが伝わるのだが、帰り道は、私も弟も、母と手をつながなかった。その手が氷よりも冷たくなっていることを知っていたからである。
 お百度詣りというものが、どういうものか、まだその名前すら、兄弟は聞いたこともなかったはずである。おそらく、なぜお百度詣りをするのか、それをすれば、どんな効能があるのか、また、どうして、深夜に行わなければならないのか、等々について、母は教えたにちがいない。また、私たち兄弟の方が先に尋ねたかもしれないのに、どんな言葉をやりとりしたのか、何一つ確かなことは覚えていない。母と私たち兄弟の間にやりとりされたいたわりや励ましの言葉よりも、子ども心にも、つらくて、悲しくて、そして訴えようもなく、深みに沈み込んでいく思いの方ばかりが、ずっと ゝ 大きかったからであろう。
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